カテゴリー「モーツァルト!」の134件の記事

新生3

2018年「モーツァルト!」二回目を観てきました。

■古川ヴォルフ
前半のバカっぽさがちょっと落ち着いちゃったのは個人的には惜しい(笑)。「僕は大都会に出ます!自分一人の力で!」に「ダメーーーーッ!」と叫びたくなる坊ちゃんぶりは健在でしたが、初日ごろのはっちゃけ感、でも愛せちゃう感は古川君じゃなきゃ出せない味だと思うので。
そういうドラ息子なのに「あなたがたに一つ、おとぎ話を聞かせてあげましょう」の、ほぼ序盤で男爵夫人の寓意に気づいちゃう聡さも実は持っている、そういうギャップには心底ゾクゾクします。バカだけど天才、だけどバカ。だけど天才。
パパとの関係もギシギシ来ました。「最近の曲は複雑すぎる」「これ以上単純には書けないよ」のやりとりがかみ合ってるのが大層嬉しい。ここ長くなるから過去の葛藤は省略するけど(笑)、ブルク劇場の言い争いで「曲が複雑だ」に対して「…またそれ!」っていう表情を浮かべる、このやりとりはレオポルトとヴォルフの日常で、少しずつ限界を迎えていたんだね、…あー親子!あぁぁぁ家族!!!っていう衝撃。長年「これパパが悪いよ」「ああヴォルフが悪い」と思ってきた場面でしたが、どっちも、ぜんぜん、悪くない、でも壊れていく、っていう、クリアな悲しさの伝わってくる場面になったなあと。

■コンスタンツェ
生田コンスタンツェよかったです。素直にヴォルフを好きになって、わけがわからないヴォルフに振り回されて、傷ついて去っていく。このお話のコンスタンツェの役割がとてもすっきり伝わってきたなと。
今の演出だと、この「コンスタンツェの役割」って過去作以上に残酷なんだけどね。「愛していればわかりあえる」の歌詞に全部「(錯覚)」がついてくる切なさ。本人ぜんぜん悪くないしどっちも嘘ついてないんだけど、結果的に完全に嘘になるっていう。
だから「ダンスはやめられない」の冒頭でヴォルフのコート着てる、っていうのは、だんだんずれ始めたヴォルフの気持ちに「少しでも近づこうとするコンスタンツェの努力」だと思ってます。プチ苦言だけどあのコートをあんまりバッサーっと捨ててるとそのへん薄情に見えちゃうぞ。(それはそれで解釈は成り立つけど)

■振付の話
演出変更が大きい割に振付があんまり変わってないなあ、というのが二回観ての感想です。ちょっぴりもウィーンも、セットが変わったことへの対応が大きくて、振り付けはおおむね2010年ベースに見える…特にウィーンなんかマイナーチェンジと言っていい…曲も短いし動きも少ない。「謎解きゲーム」も考えてみると元は全員の動きがものすごい緻密に組まれていたのが、シカネーダーやバルバラ(か?アンナか?)たちだけ振りがついて他の人は動きがずいぶん減った。(セット回転による転換は鮮やかで好きですが)「Mozart!Mozart!」も正直、おとなしいと感じた…ヴォルフ見てろよという内容に見える(正しいっちゃ正しい)。
…と見渡すとやっぱり、こう、例によって、テコ入れが一幕でタイムアップしたパターンじゃないかコレ?という邪推はできてしまうな(^^;)ベスに比べりゃ軽いけどな、話は変えてないから(毒は少しずつ吐いておく)。

■おとぎ話
「星から降る金」をこの作品の主題ととらえると、いろんな物語がとても綺麗に繋がるよね、という話。
男爵夫人が示す「星から降る金」に向かって旅立つということ。「すべての鎖断ち切る」こと。「残されたプリンセス」であるナンネール。
新演出でも「星から降る金」の大切さはより強まっていくものなんだろうなと思います。
そこで、今すごくもったいないのが「魔笛」の扱い。
男爵夫人の語る「おとぎ話」は後にヴォルフとシカネーダーが作り上げる「魔笛」に繋がっていく、「おとぎ話さ!」っていう言葉が、「ついに星から降る金に手が届く」っていう瞬間に重なる…っていうのが以前の解釈でした。「魔笛」のカーテンコールの歓声の中、シカネーダーがヴォルフのために用意した「MOZART」幕を下ろす、そこから垂れてる星のつぶにヴォルフが手を伸ばす…(とアマデが幕を奪って落とす→綱引きへ)そこがよく見える「星」の象徴でもあった。「だから『憧れの精』はシカネーダーなんだよ」っていう解釈も成り立ったし楽しかったけどこれはオタクの主張なんで放っといていいです(笑)。
とはいえ今回も、「破滅への道」で「市民に向かって作品を作る」っていうことを歌い上げてる以上、大衆オペラである「魔笛」をこの作品のクライマックスに持ってくることには意味があってほしい。なので「フィガロもドンジョバも」みたいな導入台詞、あれだけでもなんとかならんか…フランス革命も半分カットしちゃったからすごい大雑把に見えるんだよ、ヴォルフの大衆への向かい方が。
さらに魔笛アトリエのカット、「がんばれよ!」と激励して去っちゃうシカネーダーのもったいなさ。カットされた「ちょっぴり」リプライズが心底惜しい。かつての某井上吉野級にイチャイチャしろとは言わんが(嫉妬するから)(そういう話じゃない)、「大衆が喜ぶヤツだぞ!」「オッケー!任せて!」から何年も一緒にやってきて、ついに「魔笛」が完成する、っていう喜びを表現できる大事なフレーズなのにさあ…たったの四小節じゃねえかケチケチすんなよ…。
とはいえ二回目に観たとき、「魔笛」のラストでキャストが散っていくところ、最後にシカネーダーがちょっと残ってヴォルフに向かって大きく手を振りかざす、っていう動きになってたのは嬉しかったです。

がんばれよ(万感)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新生2

「モーツァルト!」雑感続き

■和音ナンネール
新演出版の「モーツァルト!」は改めて「ヴォルフガング」を中心として一本の筋を通したというか、他のキャラクターの役割はそれぞれ過去より一歩引いたものになったかな、と思います。アマデですらそう。
ナンネールについても、冒頭「ただの大人になってしまう」での表情の変化とかなし、市場の曲も思い切り短縮。「モーツァルトの姉」であり「ザルツブルクに置いてきた家族」であり、過去、特に2010年の高橋ナンネールが入った本当の「モーツァルトの影」みたいな役どころに踏み込むことはないんだな、と思いました。
ラストまでは(笑)。
いや、良かった最後の表情。箱を手にとって、箱から溢れる光に目を見開いて、音楽に包まれながら広がっていく微笑。
微笑。
笑った。あそこでナンネールが。
その笑顔が「影から逃れて」のイントロでゆっくりと引いていき、落ち着く顔はあくまで無であり、笑いでも哀しみでも前向きでも後ろ向きでもない、ニュートラルな、ゼロの表情。
「音楽」と共に在った奇跡の少女、ヴォルフと同じお城に住んでいたプリンセス。
その光の表情を消して、市政の人々の中に立ち混じって行くいく。ひゃあ。
ひとつの解釈ですけども。「奇跡の少女です」がグッと戻ってくるラストが凄い衝撃でした。
新しいナンネール、出会えて本当に嬉しいです。

■コンスタンツェ
今までで最も、ヴォルフとコンスタンツェが遠くなったと感じました。ドライな変化だけど、おぉアリだなこれ!と思った。
アマデと凄まじい綱引きを演じ、ほぼヴォルフを勝ち取れる(芸術じゃない、人間としての幸福に引き戻せる)んじゃないかってとこまで来てたhiroやソニンのコンスタンツェの物語も大好きでしたが、今回の綾コンスタンツェにはなるほどと思った。ヴォルフを本気で好きになったし、「あのままのあんたを愛していたかった」のも本当。だけどダンスはやめられない。
いや最高でした「ダンスはやめられない」切なさとかヴォルフに届かない思慕とかそーゆー方向性じゃない、とにかくコンスタンツェとしてここに!いるの!私が!という在り方、カッコよさ。
アトリエでの冷たさもかくのごとしで(あそこの古川ヴォルフがまた史上最高に冷たい(笑))、インスピレーション云々のところが歌じゃなくせりふになったことで、「ふつふつと怒りが高まる」じゃなくてシンプルに怒るシーンになったなと。

■シカネーダー
明るくてクリアーで、元気で親切で、ヴォルフと仲いい。好き嫌いでいうとけっこう好きだなあ。シンプルに、ヴォルフガングに友だちがいるっていうことが嬉しい。
吉野シカネーダーが作ってきたのは歌にしろキャラにしろ本当ーーーにザッツ吉野なので、いつぞやコンサートで「チョッピリ」を歌おうとした芳雄君が元の楽譜とのあまりの違いに気づいて舌打ちした、っていう話もさもありなん(大笑い)。…一事が万事コレなんで、モーツァルトウォッチャーの思い込みを覆すのホント大変だと思うけど遠くからエールを送る。
それにしても今期、羨ましいのが「ちょっぴり」で物理的に色が変わるところ。酒場から銀橋にじゃーっと場所が移って、照明もじゃらっと変わってスポットライトきらめいて・ハイ!みたいな。素直に手拍子に入れたし。(個人的には手拍子はあってもなくてもいいです。どっちかというと観客の拍手が好〜きで引き込めるかのほうが重要(だから黙れオタク))。
あと仮面舞踏会!ほぼソロっぽいダンスがある!あれはねたむ!そねむ!!K吾ファンが何年あそこでソロよこせと思ってきたと思ってんだ羨ましい!!(笑)(笑)

■色の話
かつて「モーツァルト!」の舞台って全体が黒っぽい印象だったんですが、今回そうじゃなくなったことで、視界の印象がかなり変わったなと思います。特に「星から降る金」。リプライズも含めて、茶色い階段の上っていう、ヴォルフ達と同じ空間に男爵夫人がいると、男爵夫人が、よく言えば身近に感じられ、悪く言えば幻想っぽさがなくなったな、という印象でした。なので、一幕の「星から降る金」は以前よりさらに「家族」の絵が強調されたし、涼風男爵夫人もそういう役どころに見えた。暖かく優しく、妖精チックではない(妖怪チックでもない)(蛇足)。
そしてリプライズではより、セットのピアノが強調される。直前まで敷いてあった四角い布(敷物?)をヴォルフがはねのけてピアノの鍵盤っぽいところがむき出しになる、そこを枕に倒れたヴォルフの表情、ピアノの上に伸びたヴォルフ、目を見開いた、強い表情を中心とした絵に、「金の在処見えているはずよ…」という歌声が落ちてくる。
他の場面では基本的に「えーー邪魔ー」だった茶色い階段(すまん)、ピアノの出番がついに来たじゃねえかと思ったんだった。
ついでに絵的な話付け足すと、ピアノセットと絶妙に仲がいいのが猊下。あの手前の丸いとこ(正式名称不明)に収まってるとこといい、マントじゃっらーといい「神よなぜ許される」といい、絵的にものすごくしっくりくる。堂々としてるから階段が似合うんだな。赤いし。
そしてもっとも相性が悪いのが「ここはウィーン」(すいません)。紛れるんだよ色がピアノに!特に肯定派!!衣装の色が!!!!
そーでなくても曲がめっちゃ短縮されて個体認識がしづらくなってるところへ、「床を全部使って左と右に両派が別れる」っていう絵が物理的に作れなくなっちゃったから、「なんか貴族の人が歌って踊ってサーッと終わっちゃった」って印象だったわけだ(私は)、そして背景が黄色いからキューも人も目立たんし、ツィンツェンドルフとサリエリばっか目に入るんだ、そうだそうだやっと分かった。
正直、もっと華やかなナンバーだったのにもったいないと思うけど(^^;)とっととヴォルフの物語に戻るっていう意味では今回らしい変更なのかも知れない。うーむ。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

新生

2018年、新演出版「モーツァルト!」、古川ヴォルフガングの回を観てきました。

★★★新演出ネタバレです★★★

新演出おもしろかった。雄大ヴォルフはさらに面白かった。
過去に置いてきたさまざまなシーンやキャストの記憶や名残は消えませんが、新しい「モーツァルト!」が生まれてこれから続いてくことがとても嬉しい。そんな風に感じられたMy初日でありました。

■古川ヴォルフ
ザルツ時代は明るく脳天気、マンハイムでは隙だらけ、ウィーンでは傍若無人、それって。
どう見てもネイティブヴォルフガング(ごしごしごし)
いや、びっくりした…アッキーがヴォルフだったのと全然違う、違うのに、びっくりするほどアマデウスだった…素直で、普通の子供で、悪気がなくてやんちゃで、音楽以外なーーーーんにもできず、生活力ゼロ。控えめに言ってろくでなし、なのに人を引きつける、かつ無自覚。
アマデとは最初から最後まで一心同体。支配力を持たれることはあるけど、主導権を取り戻そうっていう発想がヴォルフ側にない。だって自分なんだもん。
一幕を通じて若くて愚かな音楽バカで、それはウィーンに行っても変わらない。でもだんだん大人になってはいっていて、パパの死後についに覚醒の瞬間がやってくる。「星から降る金」リプライズ、ピアノの上に横たわって男爵夫人の声を聴いている。今期の「モーツァルト!」はこの絵がクライマックスだな、と思います。初めて観たよそんなの。
いや、歌の構成はそうなってんけどさあ!「もう守ってはもらえないだろう」とか「大人になった男は」とか、言葉の上ではヴォルフはあのあたりまで子供なんだけれども!ホントにやる人はいままでいなかったんだよ(笑)。井上ヴォルフは期によるけど下手すると「赤いコート」の時点で大人だったし、中川ヴォルフは大人とか子供とか関係ないヴォルフというイキモノだったし。山崎ヴォルフも芳雄君とは違う意味で大人だった。今期どうなってるんだろう。
かくして多くのオペラと「魔笛」を作り上げ、命数を使い果たして、みんなの熱狂に食い尽くされて終わっていく。あんな自然な「お前も死ぬ」もアリなんだ…。
開眼しまくりました。きっと見逃してることも、ここからの可能性もいっぱいあるだろうな…がんばれよ…。

■「破滅への道」
新曲。むかーしハンガリーで観たときは本気でスゴイと思った曲だし、日本語訳もカッコよくてメロディもメリハリあって凄い。
ただ、今日見た限りではこの曲の立ち位置はピンと来なかったです。韓国で聞いたとき、あまりのカッコよさとあまりの唐突感に「ファンサだな!以上!!」って思っちゃったんだけど、コロレドとヴォルフガングの関係の取り方によっては最高にドラマチックになれる曲ではあると思う(訳:初見で聴いたら違っただろうなー)
ただ、あそこで「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」が「貴族社会を否定するオペラ」として挙げられて、急に音楽の立ち位置が単純化したというか、お話の中で「魔笛」とほぼ同じ位置になった印象を受けたのはちょっと残念でした。史実はともかく「モーツァルト!」という物語では「魔笛」は特別だったからなあ。

■ナンバーズこまごま
特に一幕は順番が変わったり、曲が短くなったりが多し。
順番変わったのはGJだと思います。これ初めて韓国で観たときブラボー!と思ったんだけど、

  市場→心を鉄に閉じこめて→ウェーバー一家→パパのお祈りソング→コンサート(母の死)

これが

  市場→ウェーバー一家→心を鉄に閉じこめて→コンサート(母の死)

これで、お話の流れも尺も大層すっきりしたなと。ただ市場のラストの「姉さんは信じてるわ」が妙に昭和だけれども(^^;)。
曲のカットは多し。旧作オタクが慌てるレベルでザクザク切られてる。
以下、供養リスト。
・ギリシャの胡椒オリーブブルーベリー(このへんなくなっていきなり「おやナンネール」になったので、八百屋以外誰が何屋だか全くわからなくなった)
・天なる父よ哀れな息子を(全カット)
・「並の男じゃない」の二番(二番て)
・「ここはウィーン」はいろいろカットしてほぼ半分になった。ソロパートはほとんどなくなったかな。ほぼ一瞬で終わるし退場も早いし、衣装の色変わりが少ないのでツィンツェンドルフが一番目立つという(^^;)。「サリエリだ!」は残して欲しかったなー。
・「友だち甲斐」も半分かなあ。ザルツの姉さんが~の歌とかなし。お金を得たらとっとと出かける(実も蓋も)。
・ゾンネンフェルスは役ごと消滅。「帰れまともなヤツは…」のくだりがなくてシカネーダーがふつうにヴォルフに声かけるので、尺は短くなったのに二人のやりとりには余裕があるという(笑)。
・ちょっぴりリプライズもなくなった。今回のバランスだとそれもそうかな、という感じ。
・アトリエ。「私ひとりをパリに出して」ぜんぶ台詞に移行。これはこれで怖い(笑)。
けっこう変わってるな!

つづきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

少女の話

五演目を終えた「モーツァルト!」は一つの節目を迎えたわけで。
いつの日かこの作品にまた会えるとしても、いろいろなものが、後で振り返ってみれば「今回限り」になっていくんじゃないかと思います。
今までだってそうだったし。続いてきたものもあれば、「あ、あれはあの時が最後だったんだな」ってこともいっぱいある。
その中で一番大きかった存在はやっぱり、高橋由美子さんのナンネールでした。

今期のナンネールは花總さんに変わったことと、ラストシーンの動線が変化したことで、役どころや雰囲気、結果として見えてくるドラマが大きく変わったと思います。…自分的には「モーツァルト!」という物語の構造自体、2010年と2014年で全く違うものになった。
それぞれ、好みなり解釈なりありますけども、やっぱここで以前のナンネールの印象もまとめておこうかと。

以下、主に2010年・四演版を中心にした高橋ナンネールのスケッチです。

■プロローグ
レオポルトの「残念ながらもうじき…」で気遣わしげにパパを見やって、メスマーさんの「乾杯!」でハッと振り向く。ここは現在も同じですが、その後の「笑顔に戻るまでの時間」がすごく長かった。「乾杯、神の子に、この子の未来に」って歌う貴顕淑女の真ん中で、無心にピアノを弾くアマデと、複雑な表情で見下ろすナンネール。やがてパパがやってきて肩を抱く、それに気づいてパパを見上げて、笑顔に戻って、幸せな親子三人の絵に至る。
きらびやかなパーティ、少年モーツァルトの成功を確信する圧倒的なコーラスの中、ナンネールだけが予感めいた表情で弟を見つめている。しかも音楽は「MOZART!MOZART!」。後の「熱狂の」場面では関わった全ての人々が現れるけど、ナンネールとレオポルトはそこにいないわけで。「この子の未来」の予感と実際、その対比効果ハンパないなと。

■市場
キャラそして身長の効果ってもんでしょうが(笑)、小娘感全開だった高橋ナンネール。「魔法の国の物語」に対して「痛いねこの娘は」っていう周りの呆れ方が、以前のほうが露骨に感じられたのもそういう影響かな。

■星から降る金
かつて「あこがれの精?」に「そう!」って答えてたのは久世さんだっけか香寿さんだっけか。ヴォルフと並んで「子ども達」として聴いていた、幼さを残すナンネール。パパとヴォルフの険悪な雰囲気を振り払うように笑って、男爵夫人が座る椅子の手前に、客席に背を向けて、スカートを広げて座る。ニコニコとくつろいだ様子で物語に聞き入るんだけど、それが「ここより他によい国はないと」で夫人の意図を察して真顔になる。
「真顔になる」って書いたけどここの表情は客席からほとんど見えない。こちらに向けた背中がスッ…と伸びて、弛緩していた姿勢がみるみる緊張していくのが分かる。この瞬間がホンット好きで、顔も見えないのにナンネールの背筋をオペラグラスでガン見していたという(笑)。
男爵夫人が出て行った後も、以前は、ヴォルフと一緒にパパの膝元から見上げて、ウィーン行きを許して欲しいって請うていたんですよね。これはナンネールが「レオポルト寄り」になった2010年にはなくなってたかもですが。

■終わりのない音楽
「演技プランが違うんだな」と一番、思った点がここ。
「もし私が男なら、音楽を続けた」は由美ちゃんの場合、はっきりパパを糾弾するニュアンスで。ヴァイオリンをパパの方に掲げて、ムチのような響きで歌い上げる。「姉」っていうより「もう一人の娘」としてパパに主張してるように見えた。「なんでヴォルフばっかり」とまでは言わないけど、この人は「ヴォルフガングの姉」だけど、彼女自身はどう思ってるのかな?…という影が見え始める。

■プリンスは出て行った
ハイ「闇」全開。
場面全体にタテ線が下りるブラックホール、パパ危険だそれ以上近づくな。ヤンデレ少女ナンネール全開の場面でござった(言い過ぎ)。逆にこの人形遊びでナンネールを屈折して見せない花總さんも凄いと思います。「悲しみ」はあるけど病んでるイメージはないもんなあ。
それにつけてもこの曲、手前が「愛していれば分かりあえる」で直後が「友だち甲斐」ですからね(^^;)なんってぇ話だモーツァルト。

■パパの手紙
森田ベルヒトルトの「ただいまブリザード」は初演からの名物ですが(私は)、あの倦怠感に対して武内さんのイヤミメガネもいい勝負。どちらの夫婦も拍手モノの冷えっぷりです(客席ダイヤモンドダスト)
大きく違うのは「もちろんよ!」のニュアンス。いやいや由美ちゃんの直立「もちろんよぉ」は怖かった(笑)。そこまでは従順そうな奥さんなのにここで「何なのアナタ誰のことおっしゃってるの幸せじゃなかったら何だっていうのよアリエナイ」ぐらいのニュアンスを叩きつける。「プリンスは出て行った」で見せたヴォルフへの鬱屈の裏には、まごうことなき愛情と身内意識=プライドもあるんだな、っていう。「あ、こりゃ疎通しないわ旦那とは」という物凄い納得感。
まあこの「旦那も可哀想かも」感には、「彼らは意に沿わない結婚をした」っていう情報が伝わりづらいっていう問題があったんですけどね。今はくっきりベルヒトルトがヤな奴で、必死で合わせるナンネールの立場は一貫して「努力してるけど受け入れてもらえない」感じだから、話としては今のほうがクリアになった気がします。本当に姉さん「最愛の人」とは結婚できなかったんだなあ、ヴォルフと悪い仲間のせいで、っていう。(相変わらず説明不足だとは思うけどね(^^;))

■「パパが亡くなったわ」
そんな積み重ねがあるから、この場面のナンネールの印象の違いも大きいわけで。動線も言葉も同じだけど、ここまでの流れで「パパを裏切り、私を裏切った」のニュアンスがぜんぜん変わってくると思うのです。まずパパの為に怒って、私だって、って付け加えるのが花總版なら、パパのことが怒りの直接の源だけど、そもそもなんでザルツブルクを出て行ってしまったの、っていう絶縁宣言が高橋版。「パパ」と「私」のどっちが強いかっていうダークネス。

■ラスト
第四演で変更されたラストについて。今回はまた変わりましたが、当時の流れはこんな感じ。
ウェーバー夫人が去り、コンスタンツェとメスマー医師が去る。そこへ「終わりのない音楽」が流れて、ナンネールが走り込んでくる。
まず、この時のナンネールが喪服を着ている。既にここで「愛する姉」っていうより「駆けつけた遠くの親戚」っていう現実感がある。
駆け寄ってきた彼女はまず立ち止まり、ヴォルフの死に顔を見つめる。一瞬、手を上げて近づこうとする…んだけど、これまでのわだかまりが押し寄せたかのように、ぐるっと後ろを向いてしまう。そのままヴォルフに背中を向けて沈黙したまま、気持ちを落ち着かせる。それから気を取り直して振り返る。「片付けなければ」っていう、わずらわしさすら漂わせた、縁の薄い身内であるかのような表情で振り返る。
2010年初日、私これ二階席で観てたんですけど、客席に沈み込んで床をぶち抜いて一階に堕ちるほどのインパクトがありました。「MOZART!MOZART!」の座長のとある動線でガックガクに震えていた自分でしたが、さらなる奈落へズズンと。姉さん、ついに姉さんの愛が枯渇してしまった、本当にヴォルフとの絆を断ってしまっていた…
……からの「箱を見つける」。
ヴォルフに向かい、手を出して数歩近寄って、ふと、ピアノの上の「箱」」に目を落とす。この「箱に気づく」っていう動作、首を傾ける動きが当時はかなりくっきりしてたんですよね。で、箱を開ける。
そして彼女は箱から溢れてきたモーツァルトの音楽に包まれて佇む。(箱はピアノに置かれたまま舞台奥に消えていく)。そうして「影から逃れて」のイントロの中、視線を正面に戻し(光が消えたような表情チェンジ)、一人の女に戻って、背を向けて去っていく。

なんっで変えちゃったかな、これ…(^^;)。

なんせ一旦ヴォルフと完全に切れてるので、最後の「箱に気づく」っていう動きのインパクトが物凄かったんです。今まで誰も触れなかった、アマデがずっと抱いていた「箱」に、ナンネールは触ることができてしまってる。この瞬間に「ヴォルフガングの人生」を追ってきた「モーツァルト!」全てのストーリーが裏返る。ヴォルフとアマデっていう二つに分かれた天才の、さらに裏側にはもうひとりの「奇跡の少女」がいたんだっていう。その少女は飛び立っていくモーツァルトの音楽を、目を見開いて、泣き出しそうな、焦がれるような表情で見つめ、やがて、これまで生活してきた「ただの人」に戻って、他の、天才ならざる人々の間に紛れていく。
…ある意味「ナンネールが全て持っていく芝居」になっていたんだなあ、2010年。

【追記】このへんについて、より深い話。2010年ナンネールについて、るんせるさんのブログ
「モーツァルト!」---彼女は彼を許さず、そして彼女は、彼の世界から弾き出された

最初っから最後まで本質的に「少女」だった高橋ナンネール。成長しても、嫁いでも、よく言えば少女の心を失わない、悪く言えばヴォルフと同じ生き物(こら(^^;))だった。
このナンネールの居方が「おとぎ話」っていうキーワードにとって重要だったんだなあと。男爵夫人が見せた、ヴォルフがたどり着こうとしていた、最後にシカネーダーが叩きつけてきた、出て行ったプリンスの「おとぎ話」。それに対して、そういうキラキラから完全に置いていかれたの「残されたプリンセス」の物語があった。
この辺のつながりをもっと味わってみたかったけど、今回、かなわなかったのが心残りです。

花總ナンネールは大人でした。「優しい姉」であり「気配りできる長女」であり、諦めや悲しみはあるけど、自分の才能への未練とか運命への反発とかは抑えられてる印象でした。パパへの愛情も豊かだし、ヴォルフへの怒りもストレートだし。「モーツァルトの姉」として、いい意味でスタンダードな役作りだったと思います。最近のレオポルトの「マトモな父」化もあって(なんって言い草だ)、ヴォルフの「置いてきた家族」っていう絵の一部になっていて。たぶん脚本からしたら全く正しい。
とはいえやっぱり、彼女にも、置いていかれたプリンセスとしての「闇」を見てみたかったなあ、というのが今回の正直な感想です。花總さんならその気になればものすごいの作れると思うんだけどなあ。それを演出家が選ばないとしたら、その理屈も分かるのだけど。(また井上山崎で全く違う結果になるだろうし)

何年か後に、会えるかも知れない「モーツァルト!」が、どんなドラマになるのか。どんなヴォルフガングが、ナンネールが生まれるのか、わかりませんけども。
この12年観て来た二人の姉さんを、きっと思い出したくなるだろうなーと思うので書き留め…書き殴ってしまいました(^^;)。大好きだよナンネール。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

MOZARTのツボな情景2015-3

「モーツァルト!」大阪千秋楽のネタこまごま。

■サプライズゲスト
前振りから今日この場に現れそうな人をいろいろ想像して、「あっきーは東京で登場したし、ソニンかな、育三郎君かな」からの西田ひかる嬢、確かにびっくりした(みんなの脳内に響き渡る「そこぉぉぉ?!」)。相変わらずのマイペースなほがらかさに大笑いしました。
思い出すのは初演の大千秋楽、松澤さんの司会でキャストが一人一人登場しての挨拶(「こんな美しい男がいていいのでしょうか」とか言われて某紫がジャケットで顔を隠さざるを得なくなったアレですよ(笑))、彼女に対しては「この数ヶ月、本当に辛く、孤独だったと思います」っていう感じの紹介で。松たか子さんと入れ替わり、二人目のコンスタンツェ、長い「モーツァルト!」の歴史の中、初めて入ってきた新キャストだったんですよね。バーーーン!っていうタイプからしっとりしたタイプへ(フィーリングで(^^;))大きく印象の変わったコンスタンツェでした。その後12年間、そらもういろんな妻が現れたわけですが(笑)。
あとカテコでもう一つびっくりしたのは「小池さん」と呼ばれて袖から登場した美菜子ちゃんだな。後ろから本物出てきたんだけど、ちょうどモノトーンの男の子風のカッコしてたので「小池さんが縮んだ」感が凄かった(笑)。

■従僕ウォッチ
公演のダンスキャプテンが今、誰なのかはわかりませんが(初演では男子はKENTAROさん女子は友ちゃんだった)、コロレド邸のダンスリーダーは奥山君に決定(勝手に)。もうホントに猊下登場のずんずんちゃーっちゃっちゃららーの時の踊りが大好きでね…アグレッシブさとチャラチャラ感とコミカルさを決めつつ、でもあのメンバーに溶け込んでいるあたりが。
ただし屋敷の従僕の中ではかなり下っ端のほうなんじゃないかと想像する。リーダーが松澤さんで古参が小原さんKENTAROさんあたり…ってまんまですね(笑)。寺元君あたり中堅っぽい。「ドクトルメスマーがお越しです」は2010年は個性全開でしたが、今回は普通にクリアでよかったなと。

■りんかアマデ
書き忘れふたつ。
序盤でヴァイオリン弾く姿がとてもカッコいい(^^)。
最期は悲しそうな表情が印象的でした。美菜子アマデとちょうど対極というか、差し上げた羽根を切なそうに見上げる。もっともっと音楽を作り続けたかったのかなあ…。

■綾コンスタンツェ
プラターの俺様ぶりは歴代ナンバーワン(笑)でもドヤコンスとか呼んでごめん。
育ヴォルフとだと序盤で波長がスカーンと合って、後半でまたバカーンと破局する、っていう流れが納得行くというか、ストーリーのすっきり加減が鮮やかなんですが。井上ヴォルフだと「なんで彼女がこんな目に逢わなければならなかったんだ…」っていう哀しさ、可哀想さが際立ちます。歴代コンスタンツェに感じてきた「彼の世界から完全にはじき出されてる」感の真髄というか。「星から降る金」リプライズの最後の最後、別れ際にヴォルフがコンスタンツェの頭を胸に抱いて微笑む一瞬、優しい関係と、でも超えられない壁とが同時に感じられて切なかったです。

■猊下こまごま
出た千秋楽五割増(^^;)。ショーストップ入ったけど私は普通のほうが好きだなー。
それはともかく今期、コロレド様の歌うような台詞に今更、聞き惚れてました。猊下というより祐一郎さんがって話ですが、全てにおいて音楽なところ。「お前ほど不愉快なしもべはいない目障りな役たたずめ!」の同じ音ダダダダダダっていう調子とか、「彼をザルツブルグに呼び戻すのだ。私は恩赦を与える」の高低のなめらかさとか。なので逆に、「歌」が「叫び」に変わったとしてもそれが音楽になってるところが凄いなー、と冷静に感じた「神よなぜ許される」でございました。
トイレも偉いことになってましたね(笑)。「アッ…!」ってなってお尻を触った手を前に広げて、目をカッと見開いて佇む、瞬間の客席大爆笑。アルコさんも毎回よく維持されました、いろいろと…。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

微笑

「モーツァルト!」大阪、大千秋楽を観てまいりました。

カテコ挨拶で芳雄くんが、ラストいったいどういう気持ちになるかと思ってけど、やってみたらびっくりするくらい「楽しかった」ってことを言ってたけど、本当にのびのびと、キラキラと、ワクワクさせるヴォルフガング。今までずっと観てきた、毎回しっかりと、だけど新鮮で「そう来たか!」と思わせてくれる、舞台で生き切るヴォルフを見せてもらいました。

楽ネタもまたいろいろですが、心に残ったことちょっとだけ。

「僕こそミュージック」の美しさ。「このままの僕を、愛して」の直後の一瞬、はちきれそうな喜びの顔で宙に向かうヴォルフガング。

名乗りポーズでは特に何も起こさなかった(いいんだそれで(笑))シカネーダー、「観客の拍手が好き」のほうはもちろんノリノリの客席を煽って煽って煽ってバトン回しまくって最後に股間にコーン!と(笑)。
そして「作る側に、立、て、(ば)」でバトン違うステッキを受け取ったヴォルフ、圭吾ファンみんな信じてたと思うけどもちろん、脚の間にはさむよね、ステッキをね(笑)(笑)。

「魔笛」アトリエ。最後にくっきり、はっきり、アマデに向けて微笑ったシカネーダー。
名残を惜しむような「チョッピリ」リプライズ。ヴォルフが手を添える仕草がね…。

「MOZART!」幕の下でハグする劇作家と作曲家。だいたいここ「また一緒にやろうな」的なことを熱っぽい口調で語ってるんだけど、過去273回で最も接近した顔を見てチューすんのかと危ぶんだ人は私だけじゃない(笑)。…いやいや見つめ合う二人、素敵な数秒でした。

ラスト。「影から自由になりたい」の最後の最後のヴォルフガング。
こころもち上を向いて、目を閉じて、笑った…。

笑ったよ…。

薄い、笑いというより透明に溶けていくような微笑でしたけども。
なんかずっと「終わらないで」「続けて」って思ってた自分ですが、この最後の井上君の表情を見て、ああ、ちゃんと終わろう、気持ちを終わらせよう、ってようやく思いました。
いや続いてもいいよ?(笑)先のことはわからない、だけどこの締めくくりを、この美しいラストシーンを、腹に落として13年間ありがとう、ってちゃんと心をまとめよう、と思わせてもらいました。

名残は尽きないけれど。
最高のフィナーレでした。ありがとうございました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

MOZARTのツボな情景2015-2

「モーツァルト!」498・499・500回目の感想。溜め込んだのでカオスです(^^;)。

■りんかアマデ
土曜ソワレのカーテンコールで育三郎君が「りんかは今日が千秋楽で」って言ったんでえぇぇぇ!と思ったんですが山崎ヴォルフとの組合せがって意味でしたね。表情をごく抑えた、クールなりんかアマデ。3ヶ月間の積み重ねの賜物で歩みとか動きとか、育ヴォルフとのシンクロ率はさすが。なので、「中身はぜんぜん違う、だけど元は一つでした」っていう見え方がけっこう強烈です。小さなアマデと大きなヴォルフ。落ち着いたアマデと奔放なヴォルフ、感情を見せないアマデと表情筋の稼働率100パーなヴォルフ。だけど動きは見事に重なる、っていう。
プロローグのアマデの落ち着きと、箱を手にした時だけ一瞬、湧き上がる内なる情熱、を見た後に「ウォォォォナンネェルゥゥゥねえさん外国に行こう昔みたいに!」を見たときの「何があったんだオマエ」感は果てしない(笑)。
錨のようにそこに立って、ヴォルフを繋ぎとめ、縛り、音楽を極めさせる、それも意思とかじゃなく本能で、みたいな。悪意も善意もない、静かで揺るぎない、「もう一人の自分」でした。

■妻
土曜マチネ。井上ヴォルフ&ソニンツェ
悔いなし(T_T)。
ヴォルフガングとコンスタンツェのドラマに全く新しい物語を作ってくれたソニンに感謝です。他キャストそれぞれいっぱいいいところあるけれども、とにかく「井上ヴォルフが」コンスタンツェにこれだけ引っ張られた、そこから展開したドラマには度肝を抜かれました。星金リプライズでの居方にしても、アトリエでの別れにしても目からウロコがバラバラ落ちまくった。
「怖い夢?」「…忘れた!」の後、セシリアたちが入ってくる前のヴォルフ、ベッドに寝転がってクロワッサンみたいに丸まって、ベッドの端に腰掛けたコンスタンツェの体を巻き込むような不思議な抱きつき方をする。そのヴォルフを見下ろして、右手で背中をそっとさする。
「嘘をつくのは嫌だ」のやりとりで、とにかくヴォルフを心配そうに見やりながら近づこう近づこうとする。
ヴォルフの子どもっぽさを全部受け止めて、どうにかして癒してあげようとする、それだから「亡くなったけど気にしないで」が出るし、子どものヴォルフの弱さを知り尽くしてるから「大人になるのよ」って言うし、でも突き放さずに努力し続けたんだよなあ…愛情の塊だよな…。

■たいとろーぷ
この公演期間を通して、井上&ソニンの組合せから受けた印象は「アマデとコンスタンツェのもの凄い綱引き」でした。「綱」とはもちろんヴォルフガング(笑)。
帝劇の中盤、「星から降る金」リプライズの最後にコンスタンツェと額を合わせて優しく微笑するヴォルフ、からのアトリエでの、全身でダメだダメだダメだってオーラを出しながらも彼女を拒絶してしまうヴォルフを見て、どっひゃあああと思いまして。そういうラブモードから、帝劇終盤では同じ場面、ヴォルフはやっぱりアマデ側だなって印象を受けて、話が「魔笛」に戻ったな、とか思ってたんですが。久々に見たらまた怒涛の愛の物語に戻してしまっていた、ソニンが、力ずくで(笑)。いやもう、凄い。
「とにかく…今は…『魔笛を仕上げなければならないんだ』」のヴォルフの、「言わされた」感。放したくないのに彼女を突き放してしまう、致命的な間違いを自覚してる顔。
アマデや音楽に嫉妬して離れていった訳じゃない、ヴォルフに捧げて、尽きるまで尽くして、全部を使い果たして終わったコンスタンツェ。
あと一歩で彼女はアマデに勝てたかも知れない。いや、無理か…。せつないよおぉぉ

■ぷちぷち
・土曜・育ヴォルフ、赤いコート。「ちっくしょう、どうして分かってくれないんだ、全く!」の「畜生」がパパの退場より前にかかっちゃって(笑)、パパがやおら振り返って「畜生。」と返すという恐怖体験。
・ピーク時には4人を数えた「酒場のスキップ隊」、寺元君一人に戻ったな。
・プラター公園の綾コンスタンツェの「シカネーダーとも知り合い」感が楽しい。
・日曜マチネ井上ヴォルフ。フランス革命でヴォルフとシカネーダーが肩組んで走り出てくところ。
 S「おとぎ話だ」
 V「よし、やろう!」
 S「やろう!」
 V「やろう!」
 S「やろう!」
 V「やろう!」
 S(ヒャッハァァァァァ)
 ALL(ひーとーはーじぶんーのー足でーあるいーてー)
 …「あの尺でどこまでテンション詰め込むか」の最長記録かと(笑)。

■親友にして偉大な
「魔笛」アトリエ、シカネーダーが楽譜越しにアマデ(のほう)を見やって微笑む、それからヴォルフに向き直って「いいか、俺たちは成功するんだ」って語りかける。
なんだかんだでシカネーダーの真髄をまとめた場面になったなあと。「友だち」で「仲間」で、「プロデューサー」で「搾取者」。白い意味でも黒い意味でも、ヴォルフを「幸せ」から「音楽」に引きずっていくパワー。精神的な導き手のヴァルトシュテッテン男爵夫人と、現実的にいろいろお膳立てしまくった(笑)シカネーダーは、結局のところアマデの後ろにめっさパワーを注ぎ込んでいたんだなあと。人の幸せじゃなく、音楽に身を捧げろっていう。
でもそこには友達、同胞としての情ってのもしっかりあって。彼の中では、ヴォルフを助けることと突き落とすこととは矛盾してない。ヴォルフが普通に死にかかってたら助けてあげただろうけど、「音楽をやめたら助かる」んだったら手助けしない。どうしようもない優先順位、その価値観はアマデと酷似してる。
…そういうシカネーダーの「情」が魔笛の「MOZART!」幕に繋がっていって、「目的」のほうは「MOZART!MOZART!」の容赦なさに流れていく。
「永久に輝く真実」で途中にポーズが変わるのは2010年の仕様で今回はなかったんだけど、今は「覆い被さる」ような振りから一瞬立ち上がる、っていう振りが入って、何度も何度も襲い掛かる、っていう10拍になりました…大阪で最初で最後の上手席だったんだけどホント悔いないわ…。
私の中では主役ですが、まだまだ掘り下げ甲斐があるんだよなあ。続投して欲しいなあ、二人とも…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「僕」

五演目の井上ヴォルフガングについてこまごま。年末からこっち、どうも印象をうまくまとめられないんですが、もう間に合わないので一通り書いちゃう(^^;)。

今期の印象を総合すると、ここへ来て「子供っぽくなったなあ!!」だったりする(笑)。
過去、特に2007年ぐらいからの見え方は「大人の癖に、ずれている」でした。とっくに自分が大人だってことに気づいてない、パパなしでやっていけるはずなのに気づいてない(パパも気づこうとしない)。
最近はホントに、一貫して子どもに見える。体は成長してる、でも大事なセンサーが成長してない、そういう意味で子ども。パパが何を怒ってるのか、ママがどうして死んでしまったのか、てんで分かってない。だけどなんとなく、自分には分からない理由でパパが怒る、っていう雰囲気には慣れている。…そう思って見ると、ものすごく痛々しい子どもなんだヴォルフって。「僕だってパパを、神様の次に」のひたむきさ、「パパ大丈夫?」ってはねつけられて戸惑う仕草、パパの目線より下に屈んで、そこからパパを見上げる、いつも伺うような表情。ゲイカにはそっくり返る、コンスタンツェは見下ろす、シカネーダーはなんか適当に横にいる(笑)…立ち位置の影響もありますけど。

「このままの僕を愛して欲しい」っていうフレーズ、ずっとこう、人間的にカッ飛んでる礼儀知らず、無礼で傲慢うぬぼれ、の「僕」をそのまま受け入れてくれ、って世の中に向かって言ってるんだと思ってたんだけど。「リズムにポーズ、響くハーモニー、フォルテにピアノ、紡ぐファンタジー」って歌う時の芳雄君の「刻む(リズム)・止まる(ポーズ)・大きく(フォルテ)・小さく(ピアノ)」、大好きなこの仕草を見てるうちに、いや、これって単に「僕(=僕の音楽)を愛してくれ」って言ってるだけなんじゃないの?と思えてきて。

そしてその相手が「世の中」というより、実質パパなのかも、と思ってみたら「僕こそミュージック」と「何故愛せないの」のメロディの重なる部分がものすごく切なくなってきた。パパはあんなにヴォルフを愛してるのに、なんで「何故愛せないの」なんだよ君の行動が悪いだけだよ、って思ってきたけど、ああ「僕」ってのはつまるところ音楽、家族と最も離れたところに行ってしまったヴォルフガングの、譲れない天才の部分の話なのかもなあと。
だから「曲が複雑だ」っていうやり取りは凄く重いんですよね。「これ以上単純には書けないよ?」っていう言い方の真剣さ。ヴォルフガングの、崇拝するパパにすら譲れないただ一つのもの、自分の音楽。そこにレオポルトはとうとう歩み寄ってくれなかった。ヴォルフの音楽とレオポルトのそれは相容れないものになってしまった(=アマデもパパへの関心を失っていった)。

……字面にすると今更感がすごい(笑)。
いや、ほら、とにかく井上ヴォルフは「薄情」だったんです、私の中では(なお私は薄情な人は大好きです(笑))。パパの気持ちが分からない、姉さんを結果的に犠牲にした、コンスタンツェをとうとう自分に踏み込ませなかった、それもこれも全部アマデに、自分の音楽に全て持って行かせたから。自由だ人生だ言ってるし幸福を求める気持ちも本気だけど、家族か音楽かって言われたら何の迷いもなく音楽、ただ心の底と表面が一致してないだけ。(この辺は「僕=音楽」に何の矛盾もない中川ヴォルフや、「僕は僕」な山崎ヴォルフでそれぞれ印象が違うのですが)

その、今まで薄情さに見えてたものが、そうじゃない、愛情ある、ものすごくあるけど、音楽へのそれが突出しすぎて誰もそれに追いつけなかったんだ。
「あなたが愛しているのは自分の才能だけ」じゃなく、本当は世界中を愛してるけど、とうとう「音楽の化身」のまま、音楽を愛し、他人も幸せにする「大人」にはなれなかった…っていう。

今期のレオポルトやコンスタンツェの影響も大きいですが。
ああ、この人は音楽なんだなあ、って。中川ヴォルフとは違う道を通って、同じ答えにたどり着いた感じ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

せれもにー

「モーツァルト!」通算500回目となる大阪公演を観て参りました。

主役はダブルキャストだし、5演目となると役代わりも多い「モーツァルト!」
それでも500回目の人はもっといるイメージでしたが、「10名」と聞いて感慨深かったです。400回目は13人だったんだって。森田さんと砂川さんと、そしてナンネールの高橋由美子ちゃんがいたんですね。
もちろん「初演から」のキャストは芳雄君が筆頭ですが。今回270回目だそうで、この日のヴォルフも素晴らしかったです&司会お疲れ様でした。

というわけで10人に向けて未来アマデから花束贈呈。…にあたり、10コのミニ花束の入った大きな籠を、美奈子嬢とりんか嬢が二人で持って登場。3人並ぶ。
とりあえずこの絵が、もう、気を失うほど可愛い(笑)。アマデ役者に可愛い可愛い言うの普段あんまりしっくり来ないんですが(いや可愛いけどさ!それが前面じゃないだろう!っていう(笑))、この私服2人+アマデ姿の3人はー!ぎゃー!…ふつうアマデの子って何人か並ぶと身長や体型がバラバラだったりすることが多いんですが、今回の3人は身長同じくらい+みんな歴代で言うと小さいほう、その子らが笑顔できゃらきゃら花持って固まってる絵はもう……少なくとも座長達の視線は彼女らにロックオンでした(大笑)。

そんなこんなで名前呼び+花束贈呈。

真記子さん。(高橋真記子、碓氷マキ)
「チョッピリ」で500回、盛り上げてくれてる女優の一人、確か名前はカルメンだったと…私たまにレポでバルバラとごっちゃにしちゃうのでついでに告白(^^;)。裏設定で橋の下で座長に拾われたって言ってたんだっけ(笑)。(追記:2010年はまきこさんがバルバラ、それ以外は篤子さんがバルバラ!ああややこしい(^^;)ちなみにバルバラは魔笛アトリエでヴォルフにキスする人です)
あと香辛料売りで500回にわたってギリシャの胡椒とかトルコの胡椒とか売ってる。インドカレー。

徳垣友子さん。
本当の日替わりは「まともなうち」の徳垣ゾフィーなんだよね(笑)。「なんてバカな娘」「はにゃー」のところのバリエーションはマジで500パターンぐらいあるのかも知れない(笑)。あと「ここはウィーン」で否定派のルンペケさん(船乗っけてる)、「仕事はないでしょー」とか「飲む」「打つ」「買う」の一人とか…なんだけどごめん、金色ばっか見てて把握できてない…。
初演で女子のダンスキャプテンだったそうだし、ヴァンパイアでも確かそうだったけど、その後もそういうのあるのかな。

松澤重雄さん
トーアヴァルトと違ってフリードリンは劇中で名前呼ばれないから、みんな顔は覚えてるのに「フリードリン?」ってなっちゃうというのがちょい申し訳ない。役名「ウェーバーさん」にすればいいのにと毎回思う。そしてフリードリンは眉毛が強烈すぎて他の役で出てくると全くわからなくなるという…レベッカで最初にフリス見たときフリードリンの人だって分かんなかったもんな(^^;)。

KENTAROさん
初演からいちばんいろんな役をやってるのKENTAROさんじゃないだろうか。今期トーアヴァルトだからやけに新鮮な感じがするけれども、ウィーンではずーっとサリエリだったし(サリエリ自体の立ち位置もずいぶん変わりましたが)、フランス革命チェイサーでも今はゾンネンフェルスだけど、TOMOちゃんと二人で「市民」の芝居もいい感じだったし。酒場の「レオポルト」役も初代はこの人だったような。

小原和彦さん
呼ばれたキャストは前に出てくるんですが、後列から超・華麗に回り踊りながら登場した小原さん。今期はツィンツェンドルフだから貴族装束でキラキラ輝いてました(笑)…ちょうど誕生日なんだって。いや、長年この人はカーテンコールではジャン・ピエール、墓掘りの黒装束だったんで、今回このカッコでよかったんだなあと(笑)。どれか選んでいいといわれたら火吹き男推奨ですが。

大谷美智浩さん
大好きだーメスマーさん。毎期、公演が始まるたびに「モォォォツァルト!!!」でダーッとか泣いている自分がおかしい(笑)。
今期はコンスタンツェが日替わりなので、マダムとのお芝居も丁寧に呼吸を分けてるところがよくわかって面白いです。
「ベス」のベディングフィールドさん含めて去年は大谷さんの叫び声を聞いた数、最多(笑)。

吉野圭吾さん
アマデとシカネーダーの2ショットー!花束+ハイタッチーーーー!!!!
悔いはねえ!!!

阿知波悟美さん
「私が産みましたー!」は2010年公演の最終ワザだった気がしますが、今期は最初からそれで来た(笑)…と思ったら「意外と安産でした!」(井上ヴォルフ「親孝行ー!」とか返す)に変遷してたり(笑)。
セシリアはホント、深い役ですが、今回ソニンのコンスタンツェとの組み合わせで見てますますこの人の闇が深まった気がする。

山口祐一郎さん
猊下500回目、って書くとガ行が多くて迫力あるな(何言ってんだ)。
レオポルトとのやりとりは今期が一番好きだなあ。「息子同様」での空気の変わり方とか。「神よなぜ許される」も実は公演ごとにずいぶん変遷してるんだけど、最後の「音楽の魔術」の手前の表情は一期一会かな。「敗北認めるのか」の後の歌い上げが初めて入った時の客席の熱狂振りとかも懐かしいです。

市村正親さん
パパお疲れ様です。
「500回の積み重ねで深化したもの」の代表としてトイレシーンを挙げられると一言もない(笑)。確かにね!!!初演の頃ふつうに歩いてたしね!あのシーン一体全体なんなんだって凄い議論あったしね!!!(笑)今も議論はあるけど面白いからまあいいやって押し切られたってのhが真相だよね!!!
…ムスっとした猊下が「ガマンしてるんだと気取られないように気取ったまま衝立の奥に消える」という芝居で深めていったならそれはそれで味わい深かったかも。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

MOZARTのツボな情景2015-1

「モーツァルト!」大阪初日を観てまいりました。

梅田芸術劇場は夏に来たばっかりのはずなんですが、なんか「モーツァルト!」で来ると独特の懐かしさがありますね。
とにかく客席が「横に長い」。そして舞台が「なんか近い」。物理的にどうかは分かりませんが、とにかく帝劇と比べて何でもクッキリ見える…ので人によってはメイクで結構ビックリする(^^;)。
二階席は帝劇のそれよりずっと低くて近いので、ドレスサークルとか特等席だと思いますo(^-^)o何でも見える。

■大阪の思ひ出
芳雄君挨拶でもありましたが初演の「モーツァルト!」大阪公演はシアター・ドラマシティで。思い出すことと言えばプラターの退場時に「すべてはイカサマ…」って歌いながら座長がステッキをしゅるしゅる縮めてハンカチに戻して振りながら出て行く時期だったことで(つぶやきと言ってることが違う)。「よくセット入ったな」って井上君も挨拶で言ってましたがホントだなあ。
あと大阪と言えば2005年しょっぱなの頃の中川ヴォルフが「ブルータスよお前もか!」のところで、①「ブルータスよ!」のところでシカネーダーに刺したステッキに②自分も刺さる③「おぉぉお前もか!」ってなる名物芸が展開してたこととか。
個人的にはやっぱ2011年お正月、後から取ったチケットが三階席のはじっこで「上空・超上手」から観られた日がむちゃくちゃ面白かった。三階はかなり高いのでいろんな場面を俯瞰できますが、端席(というか横)からだとプラターとか座長正面だし星金リプライズのヴォルフの顔もよく見えるし。

■ぷちぷち
・「残額は1236グルデンだ。しかも日増しに増え続けてる」の残額んとこ「残高」って聞こえたパパ。とたんにモーツァルト家の財政が安泰になった。日本語ってふしぎ。
・初日なので音響トラブルいろいろあるのは仕方ないと思うんですが「私の曲をーお聞き下さいー」の後の姉弟の演奏の音が途中で切れてその後「演奏ーミスがーないー」(音響がミスッとるわ!!!)となった瞬間は凄すぎたので書いちゃう。
・それで思い出したけどいつかの帝劇。プロローグで香寿さんが階段下りようとしてガタッとなっちゃった後「信ずる道歩むの 踏みはずさずに」って真顔で歌い上げた時は流石だと思った。いや何事もなくて良かったです。
・冒頭の「Mozart!」幕が上がり始めるのがやけにゆっくり。高さが違うからかなあ。
・「買ったのか」「自分の金で」でヴォルフが赤いコートをばっさあ翻す、その後で振り返るパパの「その金はどこで」ターンで綺麗にパパのコートも翻るのが好きだったんですが(地味に)いつの間にかなくなっちゃったな。
・アトリエのシカネーダーとアマデの絵がめっさ綺麗。一瞬しっかり視線が止まるもんなあ。
・ヴォルフとの絵も今回、完成したなーと…。
・…しかし「魔笛」でわー抱き合った後、完全にヴォルフに意識向けたまま階段下りようとする座長すげえ危ない「Mozart!Mozart!」よりよっぽど危ないと思うの私だけか(笑)。
・本当ーにいろいろあった音響ネタのハイライトはカーテンコールで芳雄君のマイクが急にぶつぶつ切れだしてしまったことで…これ、本編中じゃなくて良かったなあ!!!!(ゾッとした)。「もってくれマイク!」と励ましつつ挨拶したヴォルフ、最後にアマデと出てくるところではハンドマイク持って来てました。お疲れ様でした。

■山崎ヴォルフ&日浦アマデ
方や奔放、方や静穏。いずれもキャラの話でなく「演技が」って話です(笑)。わりと動きの自由度が高い(ぶっちゃけ突拍子もない外し方をする(^^;))育ヴォルフに対して、組み合わせの少ない美菜子アマデの見事な揺るぎなさ。いやもう、拍手。
そういう話はおいといても、性格も見た目も安定感(爆)もぜんぜん違うこの二人の組み合わせが思いのほか面白くて見入っちゃいました。もともとアマデとヴォルフは「一心同体」って見方もできれば、ある時点からアマデは音楽の精霊のようなもの、ヴォルフに取り付いた才能と言う名の魔性、っていうような「別存在」っていう見え方になることも多い。海外だとくっきり後者だけどそれってアマデが子供子供してるせいも大きくて、日本みたくアマデが老成してる、その上で別存在…ってなると話がかなりハードになる。
「モーツァルト!モーツァルト!」で見合う「間」もなく去っていき、潰されて空っぽになって死んでいこうとしているヴォルフを見下ろすアマデはあくまで白く、静謐で、過酷で、美しい。そんな死の大天使みたいなアマデが最後に羽を持って微笑む、この時にフッと「子供」に戻ったように見える…人間ヴォルフを支配する才能としての役割を終えて、ただ音楽を愛するあの頃のアマデウス・モーツァルトに戻ったのかも、なんて解釈もしてみたり。
ヴォルフの悲劇は悲劇として、アマデから見ていくっていう手もあったか…と気づかされた大阪初日でした。おっそい。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧