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韓国小池版モーツァルト観てきました。2

時間が経っちゃいましたが先月、観てきた韓国、小池版「モーツァルト!」の感想つづきです。

■これはこれで
「友だち甲斐」のシカネーダー。ヨハンやベネディクトが「友だち甲斐のないやつ!」と迫るのをなだめて「今夜は見逃してやろうぜ」って歌うわけですが。ここのニュアンス、日本だと「(ただし)覚えておけよウィーンじゃ…」と入る流れに繋がる関係上、「今夜は」まあ、見逃してやってもいい、っていう程度なわけで。ここが韓国版、特にイ・チャニさんのシカネーダーだと仲間内で一人だけ心配そうで、今夜は「見逃してやろうぜ」ってちゃんとヴォルフの味方する。これ、今更の目ウロコでした。
シカネーダーが優しい。大人。裏表がない。こりゃ面白い。
「モーツァルト!モーツァルト!」でも悪魔化したりしない、ヴァルトシュテッテン男爵夫人のように、むしろ悲しそうにヴォルフを見守っている。
日本のシカネーダーはヴォルフの友だち、同胞であると同時に、プロデューサーとしての冷徹な視点、モーツァルトの搾取者としての裏の面を持っていて、自分的にこれがスタンダードなのは確かなんですが、今回の、あくまで友人、同胞として在るシカネーダーも、あり方としてとても素敵だなと思いました。優しいんだよ…。
それにつけても「Mozart!Mozart!」でソロあるのが羨ましい。「迷いと苦しみに…」がシカネーダーで「希望見出す」がセシリア、あとタイミング忘れちゃったけどアルコもどこか歌ってた。

■新曲
コロレドとヴォルフの新曲の話
以下、Disってはいませんが結構ちゃかしてますので(^^;)、当該ナンバーにこだわりのあるかたはご注意下さい。

星金リプライズの後。
「ちょっと外の空気を吸ってくる」「ヴォルフガング!」のやりとりで家を出てきたヴォルフガング、そこにいるのはシカネーダーと女の子たち。

以下、やりとりのニュアンスを意訳。
シ「魔法の笛だよー」「きゃー」
モ「シカネーダー?」
シ「台本できたぞ」
モ「台本?」
シ「魔笛だ!約束の大衆向けオペラだ」
モ「すごいや、やろう」(アマデに脚本渡す)
アルコ「モーツァルト」
モ「アルコべっちゃ!」
アルコ「貴様に用がある。低俗な作家とかほっとけ」
シ「なんだとー」
モ「シカネーダー外してくれるかい」
アルコ「高貴な方をお連れした」
「久しぶりだなモーツァルト」
…という感じの流れで、コロレド様のご登場。

…いや、ツッコミは置いといてまず歌を聴こうじゃないか。ここウィーンだぞ、とか二人連れかい、とか座長の扱いあんまりだとか、これで「フランス革命」完全スルーされましたねとかは後にしよう。

アルコ退場、流れるイントロ、銀橋の中央で高らかに歌う二人。
曲はハンガリー版のCDにも入ってるアレなので、聴いてる人にはなじみ深い歌ですね。男性二人の勝負曲(文字通り)なのでめっちゃカッコいい音楽。
内容的には「安易な道はいつも間違った道」つまりコロレドが「大衆向けオペラとかやってる場合か・私の元で至高の音楽を目指せ」とか言ってるのに対してヴォルフが「僕は僕の道を行く自分で決める間違ってない」的な返しをしている…ざっくりですいません。これ昔、ハンガリー版の感想で書いた言葉がほとんど間違ってました申し訳ない(ニュアンスは合ってた)。今はすばらしいサイトがあるので、興味のある方はこちらをぜひ。

ハンガリー版で初登場、韓国では前回公演で導入されたそうですが、脚本の流れをほとんど変えずに小池版モーツァルトにインサートされたのにはびっくりしました。

雰囲気もけっこうシンプルで。ハンガリー版だと舞台中央に丸いコンタクトレンズみたいな宙づりのセットがあって、その上でヴォルフとコロレドがつかみあいで歌いあう、最後はコロレドが突き飛ばされてセットから転げ落ちてそのまま退場、という激しいものだったんですね。それに対して韓国版は銀橋で二人が歌い上げる、純粋に「議論する二人」っていう感じで。
自分の道に迷いがないヴォルフガング、そこへ食い下がるコロレド、という構図なのは同じだけど、なんかこう実に「脈がないのにいまさら復縁を迫る元彼」感があって…これハンガリーでも感じたは感じたけど、今回は口げんかで終わってる分、実に猊下がかわいそう(^^;)。

帰国後に小池さんのインタビューを読んだら、「ストーリー上、唐突だけど、韓国の客席は曲の盛り上がり重視だから多少違和感があってもなんとか」的なことが書いてあって「ああ、そう思ってたんだ…」と納得しました(笑)。

歌い終えてコロレド退場。沈黙の中、長い銀橋をてくてく歩いて退場、このハケ際がめっちゃ長い。「帰るんだ…」感もすごい。
そしてヴォルフが戻る先はアトリエ(時系列は飛んでると思う)。シカネーダーが「パパゲーノの衣装だー」って女の子に自慢してる。…無事に、元のストーリーに着地しました(笑)。
にこにこ「俺たちは成功するんだ」のやりとりを交わして、「大衆的オペラで!」で手をパァンしてシカネーダー去る。この空気はとてもよかったです。韓国のシカネーダーいい人だから…。

■ライトに仕掛け
銀橋と舞台の隙間がオケピ、その真ん中に二本のレールがあって、この横木みたいのは何だろう補強かな、と思ってまして。レクイエムの依頼後、「自分の力で書くのです」でペンを取って作曲を始め、「Mozart!Mozart!」のイントロがドロドロ入る、ここでスポットのあたる中央にヴォルフが座るピアノ、これがレールに沿って客席にずぉぉ…とせり出して来た。うぅわぁぁ。日本でも同様の迫り出しはありますが、オケピの上空を銀橋までザーッとスライドしてくる、このインパクトがハンパない。
あと、韓国語の響きのせいだと思うんですけど「僕の血はもうない…」のメロディが「詩は書けない」の旋律とすごく似た響きになってたのもゾクッと来ました。ここのヴォルフの歌の「僕こそミュージック」とのリンクは後半だけ意識してたのですけど、全体的に繋がっててもおかしくなかった。なるほどなあ…。

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韓国小池版モーツァルト観てきました。

ソウルにて「モーツァルト!」を観てきました。

2012年に上演されたときソウルで一度、観てまして。その時のレポートはこのへんに。
当初、小池さんVerということで想像したのは、その韓国オリジナルバージョンを小池さんがアレンジするのかなあ、だったんですけども。
そうではなくて今回はほぼ完全に「日本版モーツァルトの輸入」だったんですね。脚本、構成、細かい仕草に至るまで、日本で2002年からやってきた「モーツァルト!」を韓国のスタッフ、キャストが作る、というもの。

ただし、セットは完全にリニューアル。
キャストはもちろんこちらのみなさま。
終盤でとある「新曲」が入る。

いや、たいそう豪華でした。特にセットについては羨ましいなんてもんじゃない。
冒頭メスマーさんの「モーーーツァルト!」の声に応じて舞台中央、ひし形に開く形の扉がシューッと広がってその中央にアマデが現れた時は鳥肌が立ちましたし。
銀橋を組み合わせたピラミッドみたいな回転・変形する階段の効果にはうっひゃあ羨ましいと心で叫んだし。
銀橋+橋+ここ一番でスライドしてくるピアノには脳内大喝采したし。
ああ、広い舞台を広く使うっていいなあ!!!!(←5演かけて満たされなかった何かに今更訴える)(箱は場所食う)(箱イナフ)(ノーモア箱)
いや、違うセットで観られるってだけでもホント楽しいよ、「モーツァルト!」…(←5演ry)

あと、全体的にシーンがつままれて、いい意味で簡潔。
小池さんのインタビューでは「韓国語は同じ時間内に詰め込める情報量が多い分、センテンスを短縮できる」みたいな話でしたが、それだけじゃないんだろうな。日本版で正直「冗長」まで言わなくてもちょっと間延びしかねなかった端々を、コツコツカットしたおかげでたいそうスッキリしたと思います。観る人によって「あれが好きなのに」っていうのもあるでしょうけれど。
ぶっちゃけ一幕の「心を鉄に」と「まともな家」の順序を変えてパパの「天なる父よ」お祈りソングをカット、というのが最高にGJだったと…ホラ角が立った(笑)あーだから小池さん歌詞のせいにしたのか(すげえ邪推)。でも一番冗長な「乾杯ヴォルフガング」はそのままだったよなーこれは実に小池さん(角2)。

ストーリー上の唯一の改変、ラスト近くに入り込んできたコロレド新曲については、詰め込み方が面白すぎたので別項で。歌はカッコいいよ!最高にカッコいいと思うよ!歌としては!!

ほか、キャストやテーマ別ランダムに参ります。

■ヴォルフ二題
2回観たんですがチョン・ドンソクさんのヴォルフは圧巻。前半の破天荒ぶり、後半の大人の男としての諦観や葛藤、それぞれの局面での彼自身の移り変わりがすごく伝わってきて、なにもかも見事。「なぜ愛せないの」の最後にロングトーンの後、掠れるように「パパ…」と呟くとことかボロボロ泣いた。…がキャスト写真と比べてフェイスラインが3割ましなのはなぜだ(笑)あんな迫力ヴォルフをやりながら太れるって逆に凄い。
いっぽうイ・ジフンさんは悪ガキって感じでこれも面白かった。「僕だってパパを」でふてくされて、パパが手を浅く広げたところでハハッ!て笑って抱きつく。パパは愛してくれるに決まってる的な。そーゆーキャラ。この人はカツラが井上ヴォルフとそっくりなせいか、横を向くと芳雄くん、正面を向くと葛山信吾さん、行動は中川あっきーに似ているというカラクリ仕様のお方で(なんて紹介だ)。オペラで観る度に混乱した(笑)。

■コロレド様
今回観に行こうと思ったきっかけのひとつはジュンヒョンさんがコロレドをやるそうだ!という情報で。そりゃカッコいい、ぜひ観たい。期待どおり繊細、かつ…繊細で(笑)外国のコロレド様はおしなべて繊細に見えるというフィルター(言いたい放題)をはずしても繊細だった…可哀想な人だよなあ猊下。芸術を愛し、考え抜き、我が道を信じた末に打ち砕かれる。
史実は置いといてヴォルフと同年代、同じく芸術家でありながら道を違えてしまった青年ふたりに見えます。今回は組み合わせをはずしちゃいましたが、なるほどこりゃドンソクさんヴォルフとで観たかったかも(笑)。
というわけで猊下うつくしかったんですが、ただ(笑)出番が、どうもいちいち面白くてだな(^^;)。
・登場が舞台中央、奥側に階段があるステージがヒューッと高速スライドしてきて「さぼるなどこを見てるんだ」(あんただよ)
・若いせいかヴォルフへの居丈高さが漫画的で、そのためか楽譜への「…驚異的だ」がオチになる(もうお一方のキャストの時なんか笑いが起きてた)
・一幕終わりで寝そべって女たちにひたすらたかられる。
・そのあとガウンを着せられるんだけど胸が大きくはだけてその真ん中にキラキラ輝くでっかい十字架、という絵が色気というより面白い。
・あと例の新曲(後述)
総じて猊下、実はサリエリ不憫キャラだったんだな…という開眼。祐さんぐらいマイ宇宙を確立した人じゃないとこの違和感ラッシュを克服できないと思う(まとまった)。
なお「音楽の魔術」はすばらしかったです。前述のようにレオポルトとのやりとりが短いので猊下ひとりのシーンとしてクリアだし、若い一人の芸術家の慟哭、として聴いてもカッコイイ。

■ヴァルトシュテッテン男爵夫人
オペラ出身なのかな?素晴らしい歌い手の方で、客席にも一番人気でしたね。歌そのものや、音楽のショーアップで一番魅せてくれたのがこの方。
「星から降る金」は金色の光が降り注いで、その効果が舞台中央から全体へうわーっと広がっていく…というシンプルながら夢のある照明で、これがリプライズでも活かされていて、歌の盛り上がりと相まってボロボロ泣いた。二階いいよ二階。
「モーツァルト!モーツァルト!」の終盤もコロレドと男爵夫人二人の声が際だって響いて、これはウィーン版のCD以来の感動でした。「彼の音楽に潜む目には見えぬ真実!」ここで女声が響きわたると気持ちも倍、高まる。このマイクバランス日本でもやらんかなあ…。

■アルコ様
めっちゃ巧い。なにかとベテラン。馬車の揺れ方とか素晴らしい(笑)。四季歴が長いんだそうですね。ただ韓国語だとアルコ伯爵の発音が「あるこべっちゃ」みたいになるので深刻な場面でもなんか可愛かったごめん。

■ウェーバーさん
旦那のほう(笑)。もうね、なんなんだこの人(笑)。
役名欄では「フリードリン」になってるウェーバーの親父さん、劇中は「まともなうち」しか出番がなくてプラター公演では「死んだわ」で片づけられちゃう、あとはトーアヴァルトがセシリアの旦那になるんだけど。
その「まともなうち」でのフリードリンの動きが、もう、おもしろくて(笑)。なんていうか、動きのすべてが無駄(笑)。登場から退場まで一度も止まらない。つねに踊るか跳ねるか曲がるか邪魔するかしてる、これがおかしくておかしくて(^^;)。なんだったんだホント。

■レオポルト
パパとヴォルフの関係が新鮮でした。いや何だって外国で観れば新鮮だけど(笑)。
冒頭「パパ、この子、熱があるみたい」って言われてアマデに寄るんでなく、即座に「疲れたんだろう」と返し、続けなさいというように促す。この厳しさはいいなと。日本版は半端に優しいので、レオポルトの育て方の歪みみたいなのが現れづらいと思ってます。
「赤いコート」でも厳しくて、「私ほどお前を愛するものはいない」で、やっとデレる。これわかりやすい。二幕のコロレドとレオポルトの会話もめっちゃシンプルで、コロレドの「呼び戻せ」を断るニュアンスのみ。
こういうシンプルな絆を築き上げてブルク劇場でズバッと落とすの、いいと思いました。もともと韓国版てレオポルトとヴォルフの決裂がすごく丁寧に描かれてた印象なので(ヴォルフが「箱」をパパに渡そうとするとか、アマデがパパに抱きつくとか)これでも韓国の方から観たら抑えめかも知れないですけど。

■シカネーダー
しょっぱな「ブラーーボーー」の後、なぜか1秒の空白が入るんだけどこれがおかしくておかしくて一人で呼吸困難。酒場ではシカネーダーは当初、ガールズの後ろに隠れて見えない、そこからブラボー叫んでキンキラキン衣装で出てくるんですが、もう、怪しくて怪しくてなにこの人って感じで(笑)。
二人観たけどぜんぜん印象が違いました。メインっぽいホン・ロッキさんはザッツエンターテイナーって感じで客席に拍手拍手声援声援声援声援!と煽って盛り上げまくっててすごい楽しかった。イ・チャニさんはそんな盛り上げタイプじゃないんだけど、「ヴォルフに裏表なく優しいシカネーダー」っていうエポックメイキングをかましてくれたので私的には大金星(笑)。
それにつけても銀橋ラインダンスは羨ましいな!!!

■アマデ
かつての韓国版はアマデの描かれ方がまったく違ったのですが、今回は日本仕様で、しかもしゃべらないから純粋に「新アマデ」として観られて面白かったです。で、両方とも男の子で、すばらしかった。日本版にスカウトしたい、せりふないし(笑)。
とはいえ動線はマイナーチェンジ。日本と違ってて「おっ!」と思ったところ。
・「僕こそミュージック」の最後でだけ薄く笑う。ここが唯一の笑顔。
・ママが死んでベッドごとはけるとき、ヴォルフを冷たく見つめてる。
・アロイジアにはノーリアクション。
・一幕ラスト。見えない力で遠くのヴォルフを引き寄せる。
この一幕ラストの動きはホント凄い。
インクが出ない!からヴォルフをペンで刺す、という動き自体は日本と同じなんだけど、そこからが凄い。
楽譜を書いてる間に上手側に5歩ぐらい遠ざかってるヴォルフに向かって手をぐんと伸ばして、空中で掴むようにグッと拳を握ってヴォルフを引き寄せる。捕まえて刺す。さらに刺す。後ろのキャストの歌はどんどん高まり、刺され続けるヴォルフの悲鳴のようなロングトーンがそれに重なる。
アマデが楽譜を書いてるうちにヴォルフが後ろへ逃げるように階段を上る。それを追って、刺す。同時に背後の照明がオフ、二人だけが真っ赤に染まる照明、暗転、一幕終了。
全身鳥肌。いやあもう。


もうちょっとある(^^;)今日ピーターパン初日なので観想は入れ子になりますが、また改めて。

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韓国モーツァルト(ナンバー編)

韓国「モーツァルト!」印象に残ったナンバーについて、構成の話もまじえていくつか。
レポはとりあえずこれで一区切りですが長くなっちった(^^;)おひまな時にどうぞ。

■ウィーンへの道
猊下とアルコがザルツブルクからウィーンへ向かうところ。ここが実に面白く仕上がってて(笑)。
馬車がトランクの組み合わせでできてるのは同じ。けど、これって転換の都合というか、荷物をガー持って入ってきて組み合わせると馬車、ウィーンについたらそれをばらかして退場、という流れに向けたものだったと思うんです。ところが韓国版はその馬車が上手袖からじわーっと動いて出てくる。乗ってる人たちは例の「馬車揺れてます」アクション…これだけでもすばらしくおかしい(笑)。
しかも猊下のトイレネタが明らかに見せ場のひとつになってて…いや日本もある意味そうですけど韓国で強烈だった要素が3つ。

・馬車からトイレがすごい遠い(動いてく馬車が止まる位置が明らかに下手で、トイレがはっきり上手という長い長い道のり)
・ついたてがすげえ小さい(一貫して猊下のお顔が見える。もだえる様子もかなり楽に見えちゃう…まあ二階のせいもあるかも)
・従者たちが猊下の激しいお困りぶりに超笑う。(アルコは咳払いしながらくすくす笑いを含んでしゃべってるし、従者たちは背中を向けて一所懸命笑いをこらえるように震えてる…。)

いやこれ、日本でもやるといいと思った(ついたて以外(笑))。明らかに韓国のお客さんここ「笑う場面」とは思わずに面食らった感じの方が多かったんですが、くすくす笑いが徐々に広がってくのも楽しかったです。
前に書きましたが猊下がイケメンでしかも若くてなあ…なぜか馬車の椅子に立ち上がっちゃって「私の手の中にいるのだ~気が変わるまで~」のところ歌いあげながらカッコよく拳を振りあげて…そこから「うっ!」てなるっていう(笑)なかなか強烈でした。
そして猊下のソロが終わり、馬車に乗り込み…乗り込み?
曲が完全に終わってから、沈黙の中じわじわ動いて下手にはけていく馬車にはもう耐え切れなくてのけぞって笑ってしまった(笑)。

■仮面舞踏会
二幕の序盤でヴォルフとコンスタンツェが結婚して(舞台写真でもあったけど舞台中央に大きなベッド、そこに膝立ちするヴォルフとコンスタンツェ、という絵が可愛い)眠った直後の曲が仮面舞踏会→「誰が誰」。これがとても面白い。
舞台を広く使って、そこに仮面の面々が一列になったり二列になったり、縦だったり横だったりばらけたり、いろんな形を取る中を、戸惑ったようなヴォルフがさまよい歩く構成で。群衆はみんな仮面をかぶっているんだけど、その中でヴォルフにゆかりのある人がパッパッと現れては消えていく。
・5、6人のグループの中心から現れて消えるコロレド。
・舞台奥でふいに素顔を表して、すぐにいなくなるナンネール。
・袖の方に現れるコンスタンツェは、一瞬笑ってすぐ逃げる。
…やがて「私が与え…」のフレーズでレオポルトが登場する。去っていくパパを追おうとするヴォルフを止める男爵夫人…という流れは同じなんですが、パパの去りっぷりが違ってて。箱を持って現れたアマデが幻想のレオポルトに近づいていき、パパはそのアマデを見下ろして、笑って頭を撫でて二人で去っていくという…。なるほどぉ。

■友だち甲斐
「なんっじゃそりゃ」と笑ってしまったのがこの曲。ナンネールへ送ろうとしたお金を結局…っていう展開自体は同じだと思うんだけど、ここはなんか友人たちっぽい男性アンサンブルが入ってきて踊って、それからシカネーダーが加わるっていう構成が…台詞なしで歌ってるだけ、てなっただけでなんでこんなにシュールな仕上がりに(笑)なんか編曲がそもそもうさんくさい感じだったせいもあって怪しさ炸裂の謎場面でした。

■影を逃れて
アマデが純粋に「子供」っぽい、という話は前に書きましたが、それが一番強くでるのはやっぱり羽根ペンを刺すところ。一幕ラストでは「影を逃れて」が盛り上がっていく中、抵抗するヴォルフの腕をまくって羽根ペンを突き刺す…という流れ、日本みたいに、自分の行動の意味をある程度分かってるのではなくて、もう思いっきりよく行っちゃう感じ。真後ろに垂れた幕にビシャッ!と血しぶきが飛ぶ照明効果も凄かったです。たぶんヴォルフの腕のほうは血糊とか使ってないんだけど、これはこれでドキっとするしわかりやすい。
そしてラストの「僕の血はもうない…」のところもヴォルフでなくアマデが刺す。ぐったりしたヴォルフの腕を取り上げて羽根ペンを刺すけど血が出ない…という表現では、血が「ちょっとしか」出ない風の照明があって、アマデは「ダメだねえ」みたいにやれやれと首を振る。これも実に怖い(^^;)。
そうして最期はやっぱり心中ではない。アマデがヴォルフの心臓に向かって羽根ペンを降りあげる…。ハンガリー版でもやっぱりアマデが(音叉を)刺すんだけど、直前にヴォルフの頬にキスするところが違ったかな。

■二幕の構成について
ヴォルフとコンスタンツェの結婚後、すぐに「謎解きゲーム」なところが違いますが、その後はしばらく日本と同じ構成。「プリンスは出ていった」→「友だち甲斐」→「ダンスはやめられない」→「神よなぜ許される」と続きます。
猊下のフィニッシュ後のナンネールとベルヒトルトの語らいはなくて、場面はすぐにブルク劇場へ。ここからがずいぶん違う。
レオポルトとヴォルフの言い争いの後、日本だと「わかったよ!」っていったんヴォルフは走り出てっちゃいますが、こちらではヴォルフがとことんパパに追いすがります。
怒ったままのパパにすがりついてすすり泣くヴォルフ、袖で見ていたアマデに駆け寄って箱を奪って戻り、そろそろとレオポルトに手渡そうとする。(…!!)
レオポルトは受け取らない、箱が床に落ちる(…!!!)
パパが出ていく。ここで「なぜ愛せないの」

…で、歌いきって泣き崩れるヴォルフに寄ってくるアマデ。気づいて膝立ちのまま抱きついてくるヴォルフを両手で抱きしめて、背中をポンポンてしてやるアマデ。おぉ、優しい…と思ってたらそこでヴォルフをどーん突き倒す。

「哀ーれなー男!」(あの音楽)

ヴォルフにまたがって首を絞めるアマデ。で狂乱するヴォルフの「急げー急げー」に繋がって、コンスタンツェ飛び込んでくる…という。
ここの男爵夫人の出方も良かったなあ。舞台中央奥の高くなってるところから「大人になるということは…」美しかったー。
しかしそこへウェーバー一家が襲来して借金ソング(笑)、ナンネールが来て「パパが亡くなったわ」。
「なぜパパを…」の音楽の後ヴォルフを残して全員退場、中央に立ち尽くすヴォルフ。
…そこへ「フランス革命チェイサー」。ウィーンの群衆が少しずつ入ってきて、ヴォルフを巻き込んで盛り上がっていく…。

ウィーン版がこうなのか、韓国でこうなったのか分からないのですが、この構成すごいすっきりしてていいなあ!と目からウロコが落ちました。
なんせヴォルフの狂気の段階の踏み方がクリアー。「誰が誰」で兆しが見え、「友だち甲斐」でこいつ大丈夫か?となって、ブルク劇場でタガが外れて、呆然としたままパパが亡くなり、フランス革命、「魔笛」へ…。日本みたいに行ったり来たりするんでなく、狂気の度合いがずんずん上がって、アマデは支配力を増し、ヴォルフの理性はほとんどなくなってあっち側にスライドしていく…という、これはこれで分かりやすい。その分コンスタンツェとの絆の現れ方は激減してるわけですけども、一貫性はこのほうがあるかもなあと。

■魔笛
アトリエ場面のヴォルフはもういろいろと現世から離れちゃってる感じで、怒鳴り込んでくるコンスタンツェに対してもあんまり感情を向けてない。シカネーダーとのやりとりや「ちょっぴり」リプライズはあるけれども、コンスタンツェのソロも「愛は見せかけね!」のところまでで、ヴォルフがまったく注意をコンスタンツェに向けずに作曲に没頭してるので、そのまま怒って退場しちゃう。どんどん音楽にのめり込むヴォルフとアマデ。
…にかぶせて鳴り響く「魔笛」の序曲。
ふわりとヴォルフの前を横切るパパゲーナ。
それを追うパパゲーノ。
舞台奥の幕が開き、中央に夜の女王が登場してアリアを歌いあげる。顔は非常に高いところにあって、ドレスの裾が下にわーっと広がって、壁の巨大な絵の一部のようになってる。巨大な黒のドレス(ほぼ幕)にちりばめられた星がキラキラと…。
…綺麗だったあ。この辺の絵、特にパパゲーナが横切ってヴォルフが見つめるあたりはほとんど「モーツァルト!」より音楽座の「マドモアゼル・モーツァルト(96年)」にイメージが近い感じで(MMだと見つめるのはサリエリなわけですが)、自分としてはここでノスタルジー炸裂(笑)。まあ韓国版パパゲーノはシカネーダーじゃないんですけれども。
ヴォルフの狂気が増してる分、より幻想との境界線がなくなってる感じの、美しい「魔笛」でございました。

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韓国モーツァルト(座長編)

韓国「モーツァルト!」キャスト語り、ファンタグレープの青年について。
「ピンクダークの少年」風に言ってみたかっただけで意味はない。

紫の全身の人。

日本だって基本、紫なのになんで今回「うわあ紫!なんか全体くっきり紫!紫ってかブドウ色!ワインカラー!」と思っちゃったのか未だに謎なんですが。なんでかなあ、紫のビロードの上着が異様に目立ってたからかなあ、ズボンもブーツもダークだから全身紫に見えたからかなあ、メイクが白くて(これは韓国キャスト全員ですが)紫が際立ったからかなあ、二幕まで統一して紫だったからかなあ。

ともあれ印象を言えばグレープでしたエマニュエル・シカネーダー(笑)。
…ちなみに日本では初演の頃「エマニュエル」って表記のほうがピンと来ましたが2005年あたりから「エマヌエル」で統一してます…って本当にどうでもいいですが、なんでちまちま蒸し返すかと言うとあちらの名乗りが「インマニュエ~ルッ!スィカネーダーッ!」って感じだったから(笑)。

演じるキム・ジェマンさんはミュージカルにドラマに多数出演されているベテランの方らしいんですが、とにかく大人気でした。出てきた瞬間ホント空気が変わったし、マジしばらくヴォルフを完全に見失った(笑)。
ステッキはちょっと不思議なつくりで、こっちの「ちょっぴり」の時のステッキより大きくて装飾がどっしりしてる、魔法使いの杖っぽい感じ。「ここはウィーン」でもずっと同じの持ってる。…ちなみに一応補足すると日本の座長は「ちょっぴり」で普通のステッキ(動きはバトンだが(笑))、プラター公園ではハンカチに化けるステッキ、「ここはウィーン」では他のみんなと同じキュー、「友だち甲斐」で最初のステッキ、ついでに「魔笛」アトリエでは魔法の笛…という棒道楽(笑)。
韓国でもやっぱり「ちょっぴり」でヴォルフと並んでステッキ持って踊る振付が入ってて嬉しかったです。
帰ってからいろいろ動画みてみたけど衣装・ステッキいずれも初演から変わってないみたいですね。(お陰さまで初演のカッコいい人もヒゲの人も見た(笑)似合うじゃん)。

第一声が「ブラボー!」なのは考えてみると日本と同じなんですが…考えないと「同じだ」と思い出さないくらい韓国版は「ブラボー」の比重が高かった(笑)。なんせ登場シーンだけで5回は「ブラボー」言ってるし魔笛アトリエまでブラボーブラボー言ってるし「ここはウィーン」だって「ブラボー」から入るし(そりゃ仕様)。…まあ韓国語わかんないから他に口癖があったとしても気がつかなかったって話もある。でもきっと初見の人は「ブラボーの人」って思って帰ってるだろう韓国版。

日本と違ってプラター公園には出てこないし、「友だち甲斐」の手前にお金投げちゃったりする場面もない。パパゲーノも別の人…と、トータルの出番は少なめ。ただ、羨ましかったのが「影から逃れて」でアンサンブル全体を率いて動くところ。一幕、二幕とも、群集が入ってくると先頭にシカネーダーがいて、やがて舞台奥にコロレドやレオポルト、コンスタンツェ、ナンネールといった他のキーパーソンたちが現れる。

全体みわたすと「ちょっぴり」でバーンと盛り上げて、あとは「モーツァルトを取り囲む人々の代表」…という立ち立ち位置だと感じました。そういう意味で、役割的に日本のシカネーダーと微妙に違うかな。
ただ、「決める曲」一曲があって、後の出番はぱらぱら…という状況になってみると、モーツァルトを導く役割を男爵夫人と分担してるような見え方がくっきりして、これは面白いなあと思いました。

「Mozart!Mozart!」でも曲あたまから出てきて、男爵夫人とシカネーダーがペアで動くような流れになってて、これがたいそう羨ましい(笑)。前にも書きましたがここの「彼の音楽に潜む目には見えぬ真実」がコロレドと男爵夫人ふたりのパートになってるのは日本だけで、向こうだと男爵夫人のソロですから、その傍らにシカネーダー、という構図が面白かったです。「ここはウィーン」同様、この二人の役割っておんなじなんだよね…という物語全体の印象を裏付ける形になってるともとれるし。まあ、それには韓国版シカネーダーは出番的に「魔笛」に向かっていくような一貫性がつけづらいんだけど…両方ほしいなあ、両方。

あぁ色々観ちゃうとまた可能性を追いたくなるなあ(苦笑)。

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韓国モーツァルト(ちょっぴり編)

韓国シカネーダーについて語りだしたら長くなりすぎたのでまた二項に分ける(笑)。
とりあえず登場一発目アイン・ビッセルについて(これだけはドイツ語で歌えるよなあみんな)。

「残酷な人生」の後の居酒屋ソングはウィーン版にあった「ザルツブルクの冬」で、やってる内容は同じですけど日本とはメロディが違います。なのですっかり油断していた(この私が(爆))ところへ乗り込んできたシカネーダー一座に思いっきり不意打ち食らった。

だってさあ、居酒屋の客に混ざって喧嘩の様子をうかがってるわけじゃなくて、ヴォルフの喧嘩が始まってからいきなり入って来るんだよ?(笑)イメージとしては

「教会のオルガン弾きなどいかがでしょうか」
「へたくそが。弾けるのか?」
「弾けるとも!」→大喧嘩
…そこへ舞台奥から「ブラーボーッ!」て座長がギャルズ引き連れて人垣割って出てきたら「誰だ!」よりまず「何だーッ!」てなるよ日本のリピーターは(笑)。

ここばっかりは韓国語をわかりたかったなあ。察するにシカネーダーは最初っからヴォルフ口説こうと思って居酒屋に現れたんだと思うんだけど、「ちょっぴり」の前に二人の会話があって「一緒にオペラを作ろう」っていうやりとりがここでなされてる感じ。二幕のアトリエでは、この時のやりとりを再現してヴォルフとシカネーダーが手をパァンとやる、っていう場面もあったりして、伏線にもなってるっぽいのを把握しきれないのが口惜しかったです。

ともあれ「ちょっぴり」。
拍手アオリあるかな?手拍子あるかな?…乗れるかな?と思ってたんですが、あったし、乗れた。ていうか、気がついたら乗ってた(本能)。
ここまで固有名詞以外判別不能だった私もさすがに「パクス」が「拍手」なのはわかったよ(笑)。客の空気を掴んで乗せるのがホントにうまい。直前までエリザベートばりの「ママの死」「残酷な人生」で沈みきってた空気がヒャッハー!って吹き飛ばされて、笑いと拍手と溜め息を残す。いやー誰ぞといい勝負だ(笑)。ワクワクしたなあ。
曲中、貯めるところではヴォルフがステッキ持ってるんだけど、これを手振りで投げさす流れで笑わせたり、最後まで乗せまくる名ナンバーでした。

そしてフィニッシュ後。「俺も!」の後、暗転しないで、みんなで退場していくんですけど、ここで「ちょっぴり」の曲がBGMに入る。あれっ退場音楽ありなんだ羨ましいなあ、と思ってたら、全員袖に引っ込んだところで、手ぶらの座長が戻ってきて。

両ヒジを張って手を胸元に。
…これは。

と思ったら案の定脱いだ
えーと吉野ファンの方限定で説明するとあれです昔よくDTFのカテコでやってたあのポーズ。DTFだと脱ぐ直前で上手に制止されますが韓流シカネーダーさんはあの欧州風きっちり締まった襟を思いっきり開いてそのまま前身ごろ引きちぎる勢いでがっばあ。
この間たかだか「ちょっぴーりーおつむにうったーえてー」ぐらいの短時間ですから、もう最後にライトに照らされたMORO☆HADA(^^;)しか印象に残らないぐらいの早ワザなんですが、客席の爆笑ぶりハンパなかったです。

日本でもやれとは決して心から言いませんが(笑)、なんだろう、なんだろう、なんか根本的に通じるものがあるなあ、と感じた納得のエンターテイナーさんでございました。

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韓国版モーツァルト(アマデ編)

ソウルで観たアマデについて。

ハンガリーやウィーン版のあらすじでも感じて来たことなんですけど、アマデがごくごく自然に「子供」なんですよね。日本のアマデは世界で起きてることの意味を分かった上で、ヴォルフの属する世界全体を操って、自分の意思に向かうよう「仕向ける」感じ。対して外国ではアマデは勝手気ままに、本能で動いているようで、それでいてヴォルフはそれに引っぱられて逃げられない。あえて大雑把にまとめちゃうと日本のアマデは「怖い」が、向こうのアマデは「強い」が前面に出てくる感じ。

アマデ役は韓国も、ヨーロッパもおそらく、日本より小さい子が演じるものなんだと思います。
日本のアマデは出ずっぱりですが、あちらではウェーバー家やプラター公園には出てこないし、「僕はウィーンに残る」でもナンバーの間はいなくて最後の「自由だー!」のところで登場してくるのみ。ポイントポイントで出てくる感じですね。足取りとか時々よろよろと危なっかしいんですが、それでいてヴォルフと箱を奪い合って勝っちゃったり、首絞めたり、っていうアマデの「小さいのに強い」っていう印象に綺麗に繋がっていく。日本でいうと2007年の田澤有里朱ちゃんが近いかなあ…印象「赤ちゃん」なのに絶対勝てない恐ろしさ。

コンスタンツェが部屋に来たときにヴォルフを止めようとする仕草とか、喋らないけど首をふるふるってしたり怒ったりと、総じて表現がダイレクト。日本みたいに「冷たい視線で見つめる」とか「暗い表情で見下ろす」とかそーゆー大人っぽい目の芝居はあんまりしない(笑)…こうして見てみると日本のアマデの動線って一貫して象徴的で比喩的で「察しさせる」流れが多いっていうか、日本らしい演出なのかもしれないなあ。その分アマデの演技力に思いっきりウエイトが置かれてるわけで。

男爵夫人が「それは彼だけのもの」と指すものは韓国でも「箱」。これは日本版の流れも汲んでるのかもですが(ハンガリーは音叉でウィーンは…羽ペンなのかな?)、こっちで違ったのは「箱」の中に羽根ペンがしまえる仕様だったこと。…その手があったか(笑)。
いや、松澤さんがいつぞやのカテコでアマデに「大変だよねえ、いつも三点セット持って…」って言ってたように、日本のアマデは常に「音楽の箱」と「大きなカバーに挟んだ楽譜」と「羽根ペン」を持ってて、移動の際は楽譜、箱、羽根ペンを脇の下に挟んで走ってかないといけない、というのが大変そうだったわけで。対して「羽根ペンを箱にしまって、楽譜を持って移動」ならずいぶん楽………だと思ったら韓国じゃ楽譜のカバーがないので、4,5枚の大きな紙がばさばさばさーっとばらけてこれはこれで大変そうだったという(^^;)。いや全くどこもアマデは大変だ。

なので、「箱」を開いたら音楽が聞こえてくる…という場面もあるものの、「箱を開く」ことにはそれほどの重大性はなく「最後にナンネールが箱を開ける」という場面もありません(その辺はヨーロッパ仕様)。いっぽうで、ブルク劇場でヴォルフがアマデから箱を取って、レオポルトに渡そうとするなんていう場面もあったりして(この場面については後述。いやもうビックリした)、音楽や才能、いろんなものの象徴としての「箱」の役割の重要さは同じですね。

そしてカテコでアイドルになってるのは万国共通(笑)。両手を頭の上で「M」の字にしてヴォルフと二人でじゃれてました…この辺の呼吸ではやっぱり治加来君を思い出した(笑)。

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韓国版モーツァルト(キャスト編)

韓国「モーツァルト!」まずはキャストネタから。

パンフによればこれまでの上演記録は

2010年1月~2月:ソウル
2010年2月~5月:韓国ツアー
2011年5月~7月:ソンナム
2012年7月(今回):ソウル

ということで、2010年のツアーをまとめて考えると今回が3演目なのかな?それだけ練ってきたせいなのか、もともとレベルが高いのか、音楽もお芝居も演出も、すごくしっかりした内容でした。キャストも連投の方が多いみたいで安定感もありつつ、なんせこっちは初見だから新鮮でもあり。たいそう楽しゅうございました(^^)。

■ヴォルフガング
トリプルキャストの一人、パク・ウンテさん。予備知識ほぼゼロですが絶対ヴォルフ相当こなしてるなこの方、と思ったらやっぱずっと出てらっしゃるみたいですね。芳雄くんに感じる「練られたヴォルフ」「熟成されたヴォルフ」「…の上でいろいろやってみちゃうヴォルフ」感に通じるものがある(笑)。
ちらっと書きましたが韓国版の演出って、ヨーロッパ同様「天才のいっちゃった感」全面でありつつ、日本にあるような「家族との絆と、葛藤」も大切にされてる感じで。かつ日本でやってるような周辺キャストの出番や描き方の強化(コンツタンツェとかアマデとかナンネールとか)も少ない分、思いっきりヴォルフガングに集中したつくりになってる気がします。後で書くけど特に二幕はもうどっしりと「ヴォルフ」中心にピシッと筋を通してるので、その分キャストの負担もハンパないと思うんですが、がっつり演じ切る表現力、すばらしかったです…それでもカテコのラストで「僕こそミュージック」を歌い上げる体力(笑)。いやーカッコよかった。

■アマデ
長くなったので別項(いきなりか(^^;))

■ナンネール
冒頭で天才アマデを囲んでみんなで褒め称える場面、曲はウィーン版の"Was fur ein Kind"で、ナンネールは子役。それで見てみると「そりゃそうだ」って気分になりますが(笑)何年観てても由美ちゃんの違和感のなさは凄いね(笑)(笑)。
変わって「赤いコート」からイム・ガンヒさん登場。ヴォルフとの身長差が井上・高橋コンビとちょうど同じくらいでなんか違和感がない(笑)アマデを挟んでヴォルフと三人で踊るんだけどこれが実に可愛かったです。
ナンネールの役割は日本と同じところと違うところがあり。ベルヒトルトとの場面や、最後に箱を開ける場面はなくて、日本のように「ナンネール視点で見ていく物語」という側面は薄い気がします。
一方で「おぉ?!」と思ったのが「星から降る金」の動線。前半、パパを気遣いながらヴォルフに一所懸命働きかけるところは同じなんだけど、中央後方で男爵夫人が高らかに歌い上げていくラスト、上手にヴォルフ、下手にナンネールが立って、二人それぞれが夢を追うように、前方に向かって笑顔を向けて立つ。最後に片手を伸ばして何かを掴むかのような動きもしちゃう…ナンネールが。
これは凄いなあと思いました。「奇跡の子」「奇跡の少女」であった二人、それぞれが「星から降る金」を探しに行くような「希望」の見え方。けれどヴォルフガングは成功を掴み、ナンネールは「プリンスは出て行った、残されたプリンセス」と歌う…これはこれで凄い。や、まあ共通してナンネールは切ないんですが(T_T)。「パパが亡くなったわ」の厳しさ悲しさったらなかった。
それにつけてもここは韓国なんだなあと思ったのは朝市の「あらナンネール」「アンニョンハセヨ!」のインパクトでした…これについてはきっと日本語もお互い様(笑)。

■コンスタンツェ
オ・ジンヨン嬢。可愛いけど芯が強い、暗いものも抱えたコンスタンツェよかったです。「ダンスはやめられない」は凄い迫力。ピアノの上のバラを拾い上げて髪に挿して歌う、昏い表情と美しさ。歌声にパンチがあるし表情に迫力があるし、来年レベッカやるならダンヴァースいけそう(^^)。
ウェーバー家で登場するけど特に最初からヴォルフが好き…っていう演出はなし。プラターでもヴォルフを家に誘うのはほぼセシリアの役割。でも「他の人と…」のくだりはすごい可愛い。魔女っ子コスプレしてるんだけど、最語にヴォルフと二人で箒に乗って出てっちゃうし(笑)。
二幕での可愛い恋人同士っぷりと、その後の「ダンスはやめられない」のギャップは日本同様。でも「乾杯ヴォルフガング」がなくて、アトリエでも「愛は見せかけね!」のキレソングの後はすぐに退場しちゃう。墓掘りの場面も一幕冒頭のみで、二幕あたまやラストで頭蓋骨が出てくるのもなし。
役としては日本のコンスタンツェよりシンプルなのかもしれないけど、これはこれで落ち着くなあ。日本版の演出ってなんていうか「オフィーリアぐらいの役を無理に目立たした」ようなとこがあって、やり方によってはコンスタンツェが思いっきりバランスを崩しかねないと………この話題は濃いのでまたの機会に(爆)。

■ヴァルトシュテッテン男爵夫人
喝采・喝采・ほぼショーストップ。カテコでも大人気の男爵夫人シン・ヨンスクさん、とにかく歌が素晴らしい。「星から降る金」の迫力もハンパなかったですがもう涙が出てきたのが「Mozart!Mozart!」。ウィーンCDで「こらすげえ」と思った男爵夫人の終盤ソロ、こんな音のいい大きな劇場で生で聞けたことだけでも感動…。
うーんやっぱCD買うんだったなー。「OST」ってなんなのか分からなくて買い損ねた。(韓国ではサウンドトラックのことをOSTと言うんだそうですね)

■コロレド大司教
若い。綺麗。カッコいい。繊細そう。カッコつけて失敗する(トイレのインパクトすげえ)。ヴォルフにコケにされて本気で口惜しそう。余裕ありそげなのになんかかわいそう。
ユン・ヒョンリョルさん、前回「モーツァルト!」出演後に兵役に行って、今回が復帰作なのだそうですが、これはファンの人嬉しいだろうなあ…うーん惜しいなあ、この美形ヘタレ猊下でハンガリー版のヴォルフとのとっくみあいナンバー(Az egyszeru ut)やってくれたらさぞや絵になっただろうに(笑)…若造ヴォルフに若造猊下、という構図はハンガリーで「いいじゃん!!」と思ったんですが、今回またその思いを新たにした。こら楽しいわー。

■アルコ伯爵
ころころっと可愛いおじさんで実にいい味出てました(笑)。猊下がキーってなってるのに対して、オロオロするわけでもなくマイペース。ヴォルフの曲を猊下が「オーケストラにあたらせるように」って言う直前、楽譜をくしゃくしゃっと丸め…そうになって慌ててガサガサ戻すとことか、ウィーンのコロレド邸でヴォルフを蹴っ飛ばす時、従僕二人にヴォルフを押さえさせて、一旦5メートル後ろに退がって助走付けてキーック!とか可愛くて仕方がない。
ところで、プラター公園でアルコをやっつけるって作りになってないんですね。これは日本でもハンガリーでもやってたので万国共通かと思ってたんですが、ウィーン版CDの曲と今回の曲、全く同じだったので、どっちがオリジナルかは分からないけれど。

■シカネーダー
すごく長くなったので別項(まあ仕方がない)。

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韓国モーツァルト観てきました

ソウルにて韓国版「モーツァルト!」を観てきました。

おっもしろかったー!
海外版の「モーツァルト!」は、ずいぶん前にハンガリー版を観たぐらいなのですけど、そのときも今回も、構成・演出や振付、舞台美術、日本と違うところ、同じだけど味わいが異なるところ、それぞれとても新鮮でワクワクしました。

いやこれマジで、とっとと観に来ればよかった(^^;)…羽田から2時間半だもんなあ。今回マイル貯まっててサーチャージ9000円だけで来れたもんで余計にお徳感が増してます。所用時間も必要マイル数も福岡行くのと同じとは。

感想いろいろ、いろーいろありますが、まずは総括ネタ。

ウィーン版はCDの知識しかないのですが、たぶん察するにそれがベースになってて、細部の演出では日本版も取り入れ、プラス韓国オリジナル…という感じなんだと思います。
例えばしょっぱなのアマデを囲んで「天才だ!」いうナンバーは日本の「Mozart!Mozart!」ベースの曲ではなくウィーン版のCD2曲目にあるじゃじゃじゃじゃっていうあれ(すいませんネタがあやふやなところは帰ってから補足します(^^;))、「並の男じゃない」の流れもたぶんウィーン版、二幕の「乾杯ヴォルフガング」みたいな日本追加ナンバーはなし、「Mozart!Mozart!」の「彼の音楽に潜む」のあたりのソロは男爵夫人オンリー、といった感じ。

いっぽうで「星から降る金」の、男爵夫人が歌う間の家族間の気持ちの流れの表し方や、シカネーダーやウェーバー夫人の客わかせるポイントの選びかたなんかはかなり日本版も参考にされてるんじゃないかなあと感じました。「ちょっぴり」なんかもう周りの反応がホームとしか言いようがなくて笑った笑った(^^;)。

各キャラクターのイメージも日本に近いんじゃないかなあ。アマデだけちょっと違うけれど。特にヴォルフの心情の描かれ方とかこれ、ぜひ日本のモーツァルト好きな方は観ていただきたい…繊細かつ分かりやすいっていうか、やってることは違うんだけどすごく「ヴォルフ」として日本で観てきた彼らと似ている。世の中とズレた悲劇的な天才ぶりが芳雄くんと、家族への思いと悲しみがアッキーと重なる。キャストの印象もあるかもですが、演出面も大きいと思いました。

会場がすっごい広いとこで、舞台も大きく広ーーーく使って、セットや映像も上手に使われてて素敵でした。これはそろそろ羨ましい(^^;)ハンガリーは劇場がちっちゃかったし、日本は劇場をちっちゃく使ってたので(言い過ぎ)、今回はもうセットやキャストの動きが気持ちよくて気持ちよくて。
またアンサンブルがみなさん大きくて(男子が全員野沢くんか縄ちゃんになった感じ…今もうこれわかりにくいか)、これが舞台前面使ってわーっ!と踊るもんだからコロレド邸とかザルツの居酒屋とかすっげー楽しい。
セットや照明についてはまた改めて。場面ごとにいっぱいあるんだー。

おいおいテーマ別に語っていきたいと思いますので、興味あるかたはおつきあいください(^^)/

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ちょっとハンガリー回想

もう数年前になるけど、ハンガリーのブダペストで「Mozart!」を観たときに「ほほう!」と思ったことのひとつが「星から降る金」の演出。

かなり前に書きましたが、ハンガリー版の場合真ん中に盆状の奈落があって、それにふたをする形で「円盤」が常にあるんですね。この円盤が上がったり回ったりでいろんな操演に使われるわけですけども。

舞台は暗くて、ヴァルトシュテッテン男爵夫人が「星から降る金」を歌う姿とそれを見るヴォルフだけにスポットが当たってる状態で(パパとナンネールがいたか定かでない…)、そのほの暗い真ん中の盆の位置になんか、大きな塊みたいなものが現れるんですね。メリーゴーランドを小さくしたような、屋根のついた軸の周りを何人かがとりまくように立っている。よく見るとそれはパパゲーノやパパゲーナ、タミーノやパミーナや夜の女王といった後半の「魔笛」の登場人物たちで、あるタイミングでこのミニ・メリーゴーラウンドに明かりが灯って回りだすのです(電飾だったか照明だったか、どうだったっけなあ…)。半分記憶ですが多分クライマックスのあたり「夜空の星から降る…」と歌い上げる男爵夫人の声に乗って、そのメリーゴーランドが回ってパパゲーノ達がそこに立ったままおもちゃのように動き出す、それを見つめるヴォルフガング…という。

男爵夫人の語る「おとぎ話」とヴォルフが最後にたどり着く「おとぎ話」を綺麗につなげているこのセットが当時、とても目ウロコで。

日本版の「星から降る金」は、男爵夫人が語る寓話にヴォルフと家族の心の動きを重ねていく、これはこれで大好きですけれども、「王子」と「王様」だけでなく「星から降る金」ってなんなのか、男爵夫人が示している、ヴォルフとアマデには見えている、ヴォルフが追うべき世界ってどんなものなのか、そのキラキラ感がもう少し舞台上に見えたらなあ…というのが再演の度に感じる願いです。

いつかそういうのもやって欲しいけど、ムリかな…。(だってハンガリー版じゃ「ちょっぴり」が芝居の終盤でシカネーダーもまだ出てないから香盤も成立するけど、今日本でソレやったら「ちょっぴり」の直後に魔笛メンバーがあの素晴らしいカッコに着替えて出てきてひっこんで次プラターってそら無理だ(苦笑))。
でも書きながら思ったけど、魔笛の後でヴォルフが手を伸ばす「Mozart!」幕についた星なんて、まさにここにつなげたらいいと思うんだけどなあ。

余談ですがハンガリー版だと星金リプライズが確か「何故愛せないの」の直後で(日本版のヴォルフの混乱場面が「何故愛せないの」で表現される感じ)、暗くなる照明と共にヴォルフが全部服を脱いで裸になって最後には蹲る、そこへ登場してきた男爵夫人が上着をかけてあげながら「大人になるということは…」って歌うというまたすげえ構成だったりします(その後コンスタンツェ出てきて借金ソングなんだよな…)。日本にはない借金苦のヴォルフのシーンでもわりと現実的なパトロンとして助けてあげようとしてたりして、日本みたいに男爵夫人をちょっと幻想的な、高みからの導き手に位置づけたというわけでもないんだな、そういうところは日本版のが好みなんだがなあ、と思ったんでした。

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ここはウィーン

★★★日本および外国の「Mozart!」のネタバレ含みます。今年の「Mozart!」をまっさらに観たい、という方はご注意を!!!★★★

2005年「Mozart!」まであと2週間を切りました。
井上版・中川版・ウィーン版ハンガリー版といろいろなCD互い違いに聴きながら欲求不満と戦っております…ホントは初日まで封印しようと思ってたのにもう聴きたくて観たくてたまんない…そんな勢いで今宵は「曲」の話なぞ。

2幕冒頭の「ここはウィーン」。墓場のドクトル・メスマーの語りと共に明るくなる舞台、天井からピアノがぶら下がってて、コンサートを終えたヴォルフガングを囲む貴顕淑女のみなさん(別段、宮廷人でもなさそうなどっかの劇場支配人が混ざってたりしますが)がモーツァルトについて取りざたする…という構成は日本と同じです。

ハンガリー版のこの場面、観衆の中に黒髪の、やたら濃いデザインのカツラ(ボーボボに出てくる「軍艦」が近いっていうか、正面から見た宇宙戦艦ヤマトみたいなリーゼント(^^;))の目立つ人がいて「こっちにもKENTAROさんぽい人がいるな~」と思ったらやはりこれがサリエリ。ハンガリー版ではこのシーンの後でもモーツァルトを小ばかにする存在として登場してきます。…すいません、KENTAROさんが軍艦頭というわけではないです、でもカツラが濃かった(しかも日生→帝劇で100倍濃くなった)ことだけは確かでして(^^;)。
モーツァルト肯定派(男爵夫人&シカネーダー)と否定派(サリエリ)で2つのパートに別れて歌い踊る、という構図は日本版とそっくりで(2002年だと帝劇行ってからサリエリVSシカネーダーの嫌味ったらしい目まぜが追加されて、ここの二派の対比がわかりやすくなったのですけどそれに近い感じ)、ただハンガリーだとかなり長い間ヴォルフが舞台にいます。また、ヴァルトシュテッテン男爵夫人が中心になって練り歩いて、シカネーダーがそれをエスコートしていくみたいな動きになっていました…ちなみにあちらのシカネーダー、Tanz der Vampireのアブロンシウス教授みたいな(爆)うさんくささ大爆発の小柄な方なもんで、わりかし「お付き」感がしっくり来すぎてたとこがあるのですけれども。

今年の日本版のこの曲、どんな風に仕上がっているのかは観てのお楽しみ、ですが…あえて2002年モードで「これをぜひ!」というのを挙げるとすると、否定派の「モーツァルトの才能はすべて盗作だー」に肯定派が「彼は天才ー」と返す直前のシカネーダーが隅っこから否定派をひっそり睨みつけてるとことか、「背中にナイフ突き刺し手にはキスをする!(休符)」のこの「(休符)」のタイミングで片足を蹴ってウィンクするシカネーダーとか………、すいませんもう完全に日本版(ていうか贔屓)にスライドしてます、意識が…(^^;)。

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