カテゴリー「ドン・ジュアン」の12件の記事

recuerdos

「ドン・ジュアン」拾遺ちょこっと。

■イザカルイザ
イザベルとドン・カルロの関係が好きだなあという話。
それぞれの形でドン・ジュアンにベクトル合わせてる二人だけど、それゆえお互いのことよく分かってるというか…いやカルロはわからんな(笑)、少なくともイザベルは、ドン・ジュアンに一番誠実な友人であろうとするカルロに対して、あの外道を相手に何一つ諦めずに無駄なチャレンジをし続けるドン・カルロの生き方に対して、理解とか共感とか、ある種の愛おしさもあるんじゃないかなと想像してました。
一幕ラストでソロパートが繋がってくとこ、ドン・ルイとエルヴィラが歌ってる間にカルロとイザベルが組んで踊るんだけど、毎回、こ こ が 超 絶 ツボでして。
技量は最高、素晴らしく優雅、気安くて粋で、色っぽくない!こんな組み合わせそうそうないよ(笑)。
ここの踊りはイザベルは最上の笑顔、カルロは意識の何割かだけ振り向けてる、でも微笑…という雰囲気なんだけど、この、組んで踊るパートが終わるよ離れるよ、…ってところで刈谷、カルロが!イザベルに!一瞬!手を使わない投げキスみたいな、さりげないキス顔をしていく…というのを目撃しまして脳内超ブラボー叫んでた。幻だったらすまない…酒場のマイクなし雑談もほんっと好きだった…マイクを入れろ…。

■酒場スケッチ
「愛の華」の冒頭でドン・ジュアンから奪ったグラスをドン・カルロがカウンターにダン!って置いて、そのまま横にスライドさせる。これをマスター俵君が回収するんですが、初めてこれ観たときはグラスがカウンターの端をこえて落ちるのをサッと受け止めるマスター、という絵で(笑)以後ここは楽しくてやたら右端を気にする客になってしまった。
途中までしか把握してないけど、カウンターから落ちるかはその時その時だったな。刈谷の前楽ソワレで1mぐらいすっ飛んでったのを受け止めてたのナイスでした。
なお俵君の本当の見せ場はその後のソロですわかってます(笑)ファニータもここカッコよかったなあ…エルヴィラ入ってきてハッ!とか笑ってるのもツボでした。

■イザベルとエルヴィラの話
表も裏も、物語で起きるほとんど全てのことを見て取っているイザベルだけど、珍しく彼女が直視を避けてるな、て感じがあるのがエルヴィラ関連。「いたたまれない」っていうほど親身な感覚じゃないだろうけど、修羅場展開もエルヴィラの気持ちもドン・ジュアンの反応も全て見えてしまってて「あえて見ていたい内容ではない」みたいなノリに見える。それは彼女自身が通ってきた道だから…というのは陳腐な想像だけど「それ もう みた」って感覚はあるのかなと。上着をドン・カルロ経由で渡してあげるぐらいの同情?いや、ケア…?フォロー?…うーん「死者に鞭打たない」レベルの反応はするけど、はいはい、ってところがあると思う。きっとエルヴィラ自身、同情も親切も受け付けるわけがないのわかってるから…そこがカルロとイザベルの差だ(笑)。
最初の最初に「あなたの出る幕なんてないのお嬢さん」ってまっすぐ見ていう、あれが彼女の最大限の善意だったかも知れないなと。

■酒場スケッチ2
酒場でラファエルがドン・ジュアンに殴りかかるところでドン・カルロとエルヴィラが一緒に駆け付けるの、あれカルロがエルヴィラを心配して探し当てたんだと思ってたけど、ラファエルに「一人にしてくれないか」って言われたエルヴィラがちょっと怯えたように走り去るのを見て、あ、逆かな、と思いました。つまりもう、ラファエルに火がついた時点でエルヴィラは「これはまずい」って思っちゃったのかもなと。それで頼れる唯一の人であるカルロを呼びに行って酒場に連れてったのかな…とかとかあのカルロの剣スチャッ!からの王子様カットインを見ながら考えていた。スペック高すぎるよなあの男。たぶん剣とかドン・ジュアンより技量が上かも知れない。
(わかっているはずだ君の方がつよい)
(「誰に対しても」って亡霊が「結末への邪魔」を排除しまくる曲だと思うけど、亡霊にとっちゃ一番の障害がドン・カルロ、とか考えると滾るよねえ)

■イザベルの話
「私は見てみたいけどね。彼がどこまで行くのか」
幸せになって欲しいとか、生きて欲しいとかですらなく、見ていたい。
「俺の名は刑罰」の瞬間まで高まっていく女たちの後ろにいて、ハイ、という瞬間に後ろを向く上級者ぶりといい、ドン・ジュアンに誰よりも近づくけど口づけはしないとこで離れていく様子だったり、「決闘だラファエル」で誰もがラファエルとマリアを見ている間、ひたりとドン・ジュアンを見据えている在り方だったり。
イザベルのドン・ジュアンへの感情って多分人生三周分ぐらい回って深まりすぎてる印象です。作品上「ドン・ジュアンの魅力」を一番高めてるのはイザベルの居方だと思う。
「ただの女」「ただの男」っていうのは彼女からすると「ただの人間、自己都合の塊」っていう意味なのかなあと思いました。ドン・ジュアンを愛している、でも最終的に残った感情は全て我欲だと思ってるから、ドン・カルロに対しての
「あなただってただの男。ドン・ジュアンに友人なんかいないの」
っていう言葉になるのかなと。それで行くと「ひとり」が彼女のテーマでもあるのかなあ…。

■酒場スケッチ3
ダンダン(高音)ダーン(低音)「決闘だーラファエール」
ここの亡霊が瞬間移動だという話をしてたけど、実際は最初の「ダンダン」の二拍目で動く、バシッと柱に両手を置く…んだけどその、動く瞬間の両腕がピアノの鍵盤に向かって両手指を広げてダーン!って下ろすみたいに見えました。方向は横と下だけど。その後の伸び切った指のこともどっかで書いたけど、その貼り付けたポーズと下を凝視する眼とがドン・ジュアンの決闘申し込み、受けるラファエルの言葉の間にずっと続く。「いい度胸じゃないか」でゆっくりと下に下りる動作に移る…何回流したか知れない脳内映像。

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último

「ドン・ジュアン」閉幕。刈谷終了。
終了。
体感、一瞬だったが終了。
わかってたけどねえ。ロスですねえ。
(「カルロロスでドンカルロス」ってホント上口君天才かよ)

つらつら刈谷スケッチなんぞ。

■ドン・ジュアン
しみじみ、表情がよかったなあ。マリアに出会ってから「エメ」の序盤、「答えろバケモノ」「教えてくれ」「何が起きた、これはなんだ」っていうものすごい混乱と不安、ああ落ちたな、っていうよるべなさ。「エメ」ラストの照明が消えていく瞬間、混乱の末たどり着いたほとんど「幸福」に満ちる笑い(あれこそファンの子はガン見するべきだぞホント…繰り返すが芝居中の拍手は自己都合でいいんだよ(^^;))。
そしてこれも繰り返しだけど「嫉妬」。「どうしたんだ俺は」っていう純粋な驚きと、自分の中の大嵐。亡霊がそれをひとつひとつ受け止め、いなし、かき回し、さらけ出させていく。
東京の前半ぐらいまではこのナンバー、亡霊とドン・ジュアンてあんまり目を合わせない曲だと思っていて、なんかだんだん認識が「いや…そうでもなくない…?」って思って刈谷ではいや、要所要所でめっさ覗き込んでるし目の芝居しまくってるじゃん!てなったんだけど、これはもちろん振付が変わったわけじゃなくて、シンプルに「双方向」になったんだなっていう。呼吸、駆け引き、場面が持つ意味を一緒に作り上げていくモード。共演者とこれが始まると私はリピートをやめることが不可能になる(笑)。ホントなんで大阪ないんだよう…あと一か月やってくれや(号泣)。
「本当なんだ、彼女のことを、本当に、愛してるのは…」って訴えかけるようなドン・ジュアンから亡霊への眼、ああ、共演してくれてよかったな!と思った瞬間でした。

■亡霊こまネタ三題
出会いのところでドン・ジュアンが亡霊をビシッと指さすところで鏡合わせでビシッと上げる。東京でもやってたかな?刈谷ではすごいクッキリと「起動」してた。
「俺の命奪うと誓った相手は殺す」の後の首をグリっと回すドン・ジュアンに完全にシンクロするとこ、回し切った直後に弦が切れたみたいにブルブルっと頭が震える。あれは怖い。
決闘シーンで奥の石像から降りてきて正面を横切っていくとこ。全体めっちゃアクション増量してたけどここの歩きかたの機械っぷりがすごくて、超・大股で移動してって螺旋階段の前を通り過ぎ…そうになったとこで手すりに右手が引っかかってビーン!ってモノのように伸縮して階段上る動作に移る。マジでバケモノじみてきた。

■決戦
楽のサパテアード。直前の表情の静かさ、沈黙の長さ、からのつま先の音、右足のパーン!っていう…擬音書くと超間抜けだけどホント「雷のようなサパテアード」って公演初期につぶやきで書いてくださった方ありがとう!(今ここで書くか)、ほんと雷鳴のような音を響かせて、uno,dos,tres,,,,¡VAMOS!叫んで打ちつけ、回り、叫び、叩き切ってフィニッシュ!
ここで死んじゃうんじゃないかと思いましたホント(^^;)。

■決着
ドン・ジュアンが戦う間、亡霊の戦いもクライマックスになっていくわけで。
上のほうでも書いたけど階段にたどり着く前に既にえらいことになってるんだけど、階段を上っていく動きも、もうこの存在も限界なんだなっていう、消耗していく動作が凄まじかったです。上っていく意志と、逆らいまくる体。
で、最後の問答に至る。ここが断罪する響きだけじゃなくて、願いのニュアンスのほうが強くなってたのホントびっくりした。
「考えろ」の優しさ、悲しさ。
「答えろ!」ってドン・ジュアンが返すのに「…まだわからないのか…」って絶望の響きで応じる間、マリアを見たドン・ジュアンは答えに気づく。
「呪われた罪人として生きるがいい!」
「バケモノ!……俺はわかったぞ!!」
左上には踵を返そうとする亡霊、右下からその亡霊を見上げて答えを得たことを告げるドン・ジュアン。
この絵がずっと残っていくと思います…。

素敵なものをみた。いやあ素敵なものを見た。
かくしてカテコのふじがや君とK吾さんのグータッチに至るんだった。
ありがとうドン・ジュアン。こんなに嬉しい作品になると思わなかった。

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reunión

「ドン・ジュアン」を観に刈谷に来ています。

東京千秋楽が18日?だったからほぼ3週間ぶり。脳内リピートしまくってたお芝居をひさびさに観たら脳が「これは現実」という事実に追いつかなくて、劇場にいるのに幻覚を見ているのかと疑うこと数回(笑)やばい。我ながらふつうにヤバイ。いや、ホントにまた観られたんだなあ。感謝感謝。

けっこう間隔を置いた地方公演ということで、印象が変わるかな?と思ってたんですがこれまた脳がすぐに追いついて気持ちは9月20日ぐらいなノリです。

しかしキャストの皆さんはパワーアップアップアップ。

■下手にいると必然的にイザベルウォッチャーになる。
ドン・ジュアンの「お前たちが俺の名を呼ぶたびに…」って語りで客席には背中を向けてる女たち、高まって盛り上がって揺れる彼女たちの一番後ろで同調してる、けどドン・ジュアンが歌い出す直前のジャン!「俺の名は刑罰!」と同時にザッ!と踵を返すイザベルがカッコよすぎる件(長いわ)このお酒は味わい尽くしたけれども飽きることがない、みたいな。
曲中もくつろいでるようで全てが音楽に乗ってる。艶やかに音楽に乗り、微笑み、ゆらめき、ドン・ジュアンに微笑みかけ抱擁をしかけ、フィニッシュでも絶妙な位置で「女たち」の最上位に…違うな、中心に…それも違うな、いちばん近いところに居ながらマウント取らない存在…風情がないけどそーゆー絶妙な位置にいる。すべてが優雅。
そんなイザベルが一幕ラストとか二幕あたまとか、踊りながらドン・カルロに向ける笑顔が最高に綺麗で艶やかで、ドン・カルロも自然な微笑で息めっちゃ合っててホントなんで君ら付き合ってないの感もハンパない(そこがいいんだ)。

■タイトルロールこまごま
ドン・ジュアンふじがや君。初日からいろんなところがこまごま進化してって嬉しいです。もとから表情がとてもいいけどキャッチボールというか、他のメンバーへの踏み込み方、カルロやイザベル、そして亡霊に向ける表情がすごくよくなったなあと。
彼自身の踊りで、一番好きなのはドゥ・プレジールでアンダルシアの美女と競り合うとこ。オープニングみたいにソロでバーン!と行くときより群衆の中で軽いノリでダーン!て行くとこが好みです(擬音で補いすぎ)。しかし酒を口に含んでブシャー!って行くアレが東京の記憶に比べて1.5倍ぐらいになってて美女様にバスタオルを差し入れたくなった。
いっぽうでドン・カルロへの壁ドンなくなっちゃったのなんでだ(笑)。舞台の尺か、本人の顔もっと見えるようにって話かもですが、カルロから3歩ぐらい左の位置をドーンとやって凄んでたの面白かった…まああの界隈もとから全体的に面白いからいいか(皮肉です)(あのテーブルだけは最後まで許せんので積極的にディスっていく)
そしてしみじみいいなあと思ったのは「嫉妬」。あーーーーもうなんってかみ合うんだろう(笑)ホント年もキャラも芸風も何もかも違うのに最ッ高の呼吸と駆け引きと混ざり合い。

■ついでにラストの話
つぶやきでも書いたけど、ラストのドン・ジュアンの顔を見られるのは亡霊だけなのだ。客席側に向かっている亡霊の顔は微笑も厳しさも浮かべてはいないけど、ドン・ジュアンが振り向いた時、眼だけがその認識を表すゆらぎを見せる、その一瞬がたまらん…てきょうも亡霊凝視してたんだけど、ドン・ジュアンの方はもしかして亡霊に対峙した瞬間ちょっと頭が揺れてなかったか。頷きや合図というと言い過ぎかもだけど、「やりとげた」気持ちは亡霊に受け取らせてると思うんだよね彼は…っていう思い込みからの見間違いかもしれんけど。
最低だった自分を殺すことでマイナスからどうにかゼロまでこぎつけて、でもプラスに登ることはできない「馬鹿げた人生」のまま完結させて、ものすごい勇気を出して、死にたくないのに死んでいった。それをそもそも仕掛けてきた、全部一緒に見てきてくれた亡霊にだけは、俺を褒めてくれてもいいんじゃない?っていう顔をしてもいいんじゃない?(ハイけっこう動揺してます)
彼らが向かった先はおそらく天国ではない(解釈それぞれ)。ただどこまでも一緒に行った、というかもう一緒くたの存在になっていったんだろうなあ…。

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vario

「ドン・ジュアン」刈谷が近づいてきました…
マジ10月あたまから移住したい。気持ちをぶつける今日この頃

■赤いドレスの彼女たち
呼び方あるのかなあ。オープニングから「スペインの赤い風」であり砂であり、残酷な砂漠の象徴でもある、流れた血の色をした彼女たち。いやもう最の高に好きです。
ドン・カルロの「おだやかな風がほほをなでる夜」でほほを撫でていく彼女とか。
「天使のようなまなざしで魅惑する」で穏やかだった表情を「悪魔のような男」でカルロにぶら下がる勢いで体重をかけて表情もガラリと切り替える彼女とか。(脳内でガーベラって呼んでる)(あの前髪たまらん)
「兵士の血」では「1789」で鍛えに鍛えまくった花岡麻里名追尾機能をめり込む勢いでオンにしてるし(追記:その後、いないと聞いた(T_T)別の方と勘違いしてたみたいすみません)。
いやみんな最高カッコいいけども。男たちと眠るところでは穏やかに寝てるのに、「夜襲だ!」でうーんって起き上がってから殺戮開始、っていうあの物凄く過酷で自然な豹変ぶり。妖精のような災害のような、すっごいクールな顔でむちゃくちゃ激しい動きで兵士たちを追い詰めてぶん回す。とどめはサラッと手を振る仕草、からの銃声・銃声・銃声。兵士達の「ああ、ああ、ああ」っていう絶望にシンクロさせられる。毎回震えっぱなし。

■変わる→悪夢
二幕二曲目。都合のよさMAXなとこ好きです。若い二人の幸せな夢の中ではカルロもイザベルもエルヴィラすらシャボン玉の中で笑って手を振ってくれる。亡霊さんこっちです。やっちゃって。
「変わる」と「悪夢」の二曲はそれぞれポジティブ、ネガティブに振り切れたドン・ジュアンの妄想みたいなもんだと思います。「変わる」でほほ笑むエルヴィラも、「悪夢」で嘲笑するドン・カルロも真実の彼らではない。というかドン・ジュアンはあれくらいみんなのことをわかってない(笑)。「んなわけねーだろ」の嵐。
そんな夢から目覚めて目の前にマリアがいたらそりゃ嬉しいよ…「目覚めたら愛する人がいる」ってすなわち、彼がさんざんなしてきた罪・咎の裏返しなわけで。そういうことも自分の底の底では蓄積されてるから亡霊さんもがんがん活性化しちゃうわけだ。

■好きなだけの備忘
酒場。「ドン・ジュアン」の声に反応し、「あいつが…!」と殴りかかるラファエル。
最初あっけに取られるけど応戦するドン・ジュアン。
なんだなんだと反応する酒場の面々。
下手にイザベル、奥にエルヴィラとドン・カルロ(あれカルロが心配して探しまくって見つけたんだろうなあ)(不憫)
剣で斬りかかるラファエル。即座に割って入って剣を抜くドン・カルロ(最ッ高カッコいいが事情で半分しか見れない)
高まる音楽。れれれれ れ れれれれ れ(この12拍子3連符ドロドロニュアンスわかって)
よろよろと階上に上ってきている亡霊(舞台のここだけ青白い)
悲鳴のようなマリアの「ラファエル!」
役者が揃った!
はいザッツ備忘ただの備忘。本当ーーーーーーーに好き。

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egoistas

「ドン・ジュアン」雑感に戻ります。

■「求められることが愛だと思ってきた」
マリアの歌より。戦慄するほどスゲエ歌詞だよねこれ。
ラファエルと婚約したのは確かに、幼なじみとか親戚の縁とか自然な流れっぽい。あのラファエルの「おうマリアーウェーイ(体育会系ハグ)」の色気のなさからしみじみ、君たちあれだろう、子供の頃から一緒にいて当たり前に結婚決めただろう、って印象がスッと入ってくるし、「結婚するんだ」への兵士達のリアクションがまた「えっそうだったの?!まあ、そういうこともあるかもしれないな」っていう曖昧さでわりと笑うし(私は)。そういう相手と婚約した、恋なんて知らなかった、でもドン・ジュアンに出会ってしまった→もうガターンと落ちて後はもうなし崩し。後ろめたさは残ってるけどちょっと待って、今は待って。
これは嫌味じゃなく正直な印象なんだけど、マリアのああいう先送り体質はとってもリアルというか、納得感があります。「言わずに済めばそれでいいと思ってた」って恋愛物語のヒロイン像としてはひっくり返るような言葉だけど、現実で考えたら「そりゃそうだ」と思う。ラファエルは死んでしまったかも知れない、その状態でドン・ジュアンに「実は婚約者がいるかも、いないかも」なんてわざわざ言うのはサディスティックな自己満足だよ黙っとけ、って現実の人なら思うと思う。
…そんなマリアのたくましさ、正直さ、いざバレた時にとりつくろわない誠実さはけっこうツボなので、そういう彼女に現実感覚ゼロのドン・ジュアンが惚れるのとても解るというか、深いなと。ドン・カルロの「君の運命に彼女を巻き込んでいる」を聞くたびにいやあ巻き込まれたのはドン・ジュアンの方じゃね?といつも思っていた。…あのカルロの言い草についてはまた別途掘り下げたい(ああ楽しい)。

■エゴイストの物語
亡霊がなんで騎士団長の姿だったかっていう話なんだけど。
これは仮説というかホント今作の彼らじゃないと出ない想像なんだけど、ドン・ジュアンはあの「フツーの父親」がちょっと羨ましかったんじゃないかなあって思いました。娘を引っぱたくでなく所有物として怒るんでなく、目を覗き込んでダメだぞって叱咤する、娘をダシに挑発すれば逆上して命まで落としてしまう、真っすぐな愛情を持った真っ当なお父さん。
ホントは自分もそういう愛に囲まれてたくせに、とにかく「すぐそばにあるものに気がつかない」ドン・ジュアンだから、わかりにくいドン・ルイの愛情にもわかりやすいドン・カルロの愛情にも、もっとわかりやすい女達の愛ともぜんっぜん噛み合わなかった。そういう彼に「ある日抱いた女の父親」っていう縁としては遠い、だけどそこそこ鮮烈な印象を残した「愛情を持った人」の形をしたものが、ある日、自分を運命に導く存在としてやってくる…っていうのは、こう、うおお、書いてて恥ずかしいけど、若くね?切ないほど可愛くね????
こんなこと考えてるから「亡霊はやさしいなあ」が止まらないんだった。あいつはドン・ジュアンが生みだした、運命へと導く存在、恋を教え嫉妬を教え、自分の罪を知らしめて、人間へと導く存在。彼一人の存在だから、彼にだけ優しいのだ。
まさしく「最後までひどい人。ひどくてかわいそうな人」の中身だなあ、て納得したんでした。

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pausa

東京千秋楽終了。
わかってたんだけどあっという間でした。

楽しかった。悔いはない。未練はある。
他の作品と全く同じこと言ってますが。
今回はなんだろうねえ。観ていてこう、喜びが多すぎて大きすぎて、できるだけ深く刻もう、見届けよう、ってドン・ジュアンを見るイザベルみたいな目で、自分に全てを刻むために観られる限り観た感じ。日ネタ要素は一切ないし変更もほぼ、ないんだけど。ただただ通いまくった。同じお話を心に叩き込むのに必死だった。

すごい失礼なこと言うんだけど今回、ホント赤坂ACTの印象が塗り変わったなあ…いや劇場はロビーが狭いことと入り口が狭いことと駅のホームが終演後に狭いこと以外に特に文句はないんですが、たまたま、たまたまですけどここで観た作品で感動した!っていう体験がなくて、(Not For Meってやつよ、人によるよ)。さらに一番通ったのが某ゾンビものっていう巡り合わせもあったりして…さすがにゾンビのあれは3年経ったら笑いしか残ってなかった。さっき過去レポ読んでさらに笑った。ああ未だに「うーみのーすーきなーやーつはー」が歌える自分を別に褒めたくもけなしたくもない(本当にどうでもいいことって心底どうでもいいよね)。

そんな場所ですが本当に、今は全てが懐かしい。
客層が違うからそれなりのアウェイを覚悟してったんだけどぜんぜん違った…大多数を占めるはずの彼女たちがすごい礼儀正しくて空気読もうとしててまるで外様みたいだった…拍手なんてホントはもっと自由ですよ、あれもこれも入れなきゃとか気にせんでいいよ。私の三大アウェイは関ヶ原とゾンビとパナマハッティーですが、それぞれで感じた葛藤と違和感と孤独とツッコミと今回は無縁だったんだ。

とても、いい出会いだったと思います。

なんか締めみたいなこと書いてるけど刈谷むっちゃくちゃたのしみ。つぶやきも長文ももうしばらく続けてきたいと思います。

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espejo

「ドン・ジュアン」雑感つづきます。

■ドン・カルロさまざま
壁ドンあたりのドン・ジュアンへの強気ぶりとか、二幕あたまのすっごい上の視点からの(上から目線ってわけじゃない、神の視点)忠告とか見てると、やっぱこの人ドン・ジュアンの友達というより、一緒に育ってきた兄貴みたいな存在なのかな…と感じます。
ベタベタだけどもちろん「ドン・ルイの隠し子」説までは考えた(笑)。なんていうかさ、愛が無条件すぎるんだよこの人。普通の距離があったならそうそう「憎んでいた、愛してもいた」なんて言葉は出てこないし。ドン・ジュアンの本性を分かってる分ドン・ルイより深い、たぶん張り合えるのイザベルぐらい(笑)の愛憎。
ドン・ジュアンの放蕩をちょっと離れたとこから見守ることに慣れすぎてるから、突然現れたエルヴィラが彼に突っ込んでいくのを眩しく感じたとこもあったのかなあと。幕間に「エルヴィラ怖い。あの友達とくっついた方がいいんじゃない?」みたいな会話が聞こえることもあるしわかるんだけど、まずエルヴィラそれありえねえし(笑)ドン・カルロにしてもエルヴィラに惹かれる気持ちってあくまで「エルヴィラの情熱」に惹かれる気持ちだと思うし。エルヴィラともイザベルともいつ恋愛成立してもおかしくないのにいっっさいフラグ立たねえあたり上口君流石だなと思ってます(例によってまだパンフのコメントとか読んでないんでプランと違ってたら失礼)。
ひょっとしたら彼は欲望を抱けない、快楽を求められない人なのかも知れない。エルヴィラと、そしてドン・ジュアンと真逆の生き方なのかなと。
とはいえドン・ジュアンが亡霊を生み出した一番の要因はコイツだと思ってます(笑)。なめちゃいけない。君の働きかけは彼に着実に蓄積されてる。

■イザベルこまごま
なかなか女性の「居方」に惚れ込むことってないんですけど。イザベルは本当心底カッコいい。きっとごく短い間、ドン・ジュアンと恋人だった時期があって、でも他の女達と違って彼にすがりついたり、また恋を求めることはしない。彼が求めたらまた違うんだろうけども。
終始、余裕で、穏やかに微笑んで、ドン・ジュアンの行動、選択はじっと見つめているけれど、自分から感情を露わにすることはない。けど真の同担であるドン・カルロ(言い方)、彼にだけは、本音や本気の労りも罵倒(=自嘲)も見せる。ああカッコいい。
これは未検証だけど劇中のドン・ジュアンて、ほとんどの女の子とキスするのにイザベルとだけしてないんじゃないか。寸止めは何回もあるけれど。

■嫉妬
「嫉妬」というものの持つ意味がとっても重いところが、話の構造的に大好きですドン・ジュアン。
「聞いてないぞ、愛が嫉妬を呼ぶなんて」そうかー、聞いてなかったかー…っていう感覚。このドン・ジュアンという育ち損ねた若者に向かって沸き起こる愛おしさ。これは今回の藤ヶ谷君の若さというか、一皮むいたらこんなに幼いの?!っていうキャラが一番はまったところじゃないかなと思います。世の中のいわゆる「ドン・ファン」像に求められる淫らさとか堕落ぶりとかからすると弱いかも知れないんだけど、「なんにも知らなかった、ただ快楽を求めていた」っていう真相、罪は重ねまくったけどこいつ本当に何も知らなかったんだな、しかも動機は結局、孤独(!)っていう痛々しさ。たぶんイザベルだけはそういう彼を理解して愛したのかなってラストの「欲に燃えきらめく瞳」ってとこで思います。
そういう彼を亡霊は目覚めさせる。あのずーんキュィィィィイン(亡霊両手ユラリ上げ直進両手わきこきぐちゃごき)が目覚まし時計というか、今までの世界が完全に塗り変わる感覚にイヤッホウと叫んでます脳内。嫉妬しなきゃ人間じゃない、ここからが本番だよお前。大好きだなあこの「俗・万歳」感覚。
ここの亡霊はものすごく動くのに、一貫して表情を消してるというかドン・ジュアンとほぼ目を合わせない、自然災害みたいな居方をする。曲全体がドン・ジュアンの、自分の中で起きてる嵐なんだなって感じる。完全なる一人相撲、「ただし受け止めはする」ってあたり「亡霊」の役割がクッキリしててたまらんたまらん。

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varios

「ドン・ジュアン」ランダム雑感。ぼちぼちネタバレ警報解除ですー。

■見たままでした
わりと解釈厨なので(知ってた?そうか)、パンフの説明とか役者さんのコメントとかはなるべく自分の気持ちが固まるまで読まないんですが、さっきやっとパンフ読んで今回、まあ、やっぱさすがY野K吾だなと思いました(笑)。
ドン・ジュアンの長い放蕩の間、ずっと蓄積されてきた自責とか飢えとか孤独とかが
騎士団長を殺したところで遂にあふれて、
とうとう「亡霊」という存在を生み出した。
運命であり。導き手であり。罠であり。
父やドン・カルロやイザベル、今まで彼に愛情を与えてきた全ての人たちの思いで実は蓄積されてたものが、積もり積もって、それが騎士団長の顔を得て、ついに動き出したって感じ。
なんてえ綺麗な話だ。

■苦情
どの角度から観てもどーしても虚無になるのが一幕、ドン・カルロがドン・ルイんとこへエルヴィラを連れてく一連。セットといい動線といいここだけなんか計算を間違ってるというか計算したけど数字が足りてないというかねえなんなのあの台形
どうしてそうなった台形。二百歩譲ってあのテーブル映像を許すとしても燭台だけでもなんとかして…遠近感がころされたー(歌う)。ホント二幕で再登場しなくてよかった…エルヴィラとドン・ルイが一緒にあの台形にお祈りささげてたら泣く。
あとドン・カルロのテノリオ家2往復。取ってつけたような壁ドン(いや表情とか凄くいいからオペラは上げるけどさ、芝居の流れ的にあの時点でカルロが強気に出るのって謎くない?)

■ドン・ジョバンニといえば
もう知らない人のほうが多いかもだから一応書いとくと、
昔の音楽座の「マドモアゼル・モーツァルト」ではモーツァルトを取り囲む精霊たちっていう存在がいて、それは「魔笛」のタミーノや夜の女王、「コシ・ファン・トゥッテ」のドラベッラや「フィガロの結婚」のケルビーノといった彼の作品の登場人物のカッコをしていたんですね。吉野さんはその中のドン・ジョバンニを長い間やってて。最終公演だけシカネーダーとドンジョバを交互に演じてた(今考えるとすげえな)、なので私の初めてみた吉野圭吾はドン・ジョバンニだったのだ。古い古いな。1996年だ。
(以下MMネタバレ)精霊たちはたいてい全員で踊ったり歌ったりしてるけど、一幕のラストはドン・ジョバンニの出番。ダ・ポンテが語るあらすじから「ドン・ジョバンニか…」と思いを馳せるエリーザ(モーツァルト)の前に、スッ…と現れた白いドン・ジョバンニが優雅に挨拶する。(精霊は歌以外は無言)。そこから幻想的な曲が始まって、彼に誘われるままに迷い込んだ空間の中央には「石像」がいて、動き出したその石像に刺されるのはレオポルト・モーツァルト…からの「パパが、死んだ」で一幕終了。ちなみに舞台上は明にはされないけど、石像に入ってたのはサリエリ役者。
どうだ面白いだろう。面白かったんだよ。観たいよ。

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uno, dos, tres

「ドン・ジュアン」今回、三人の振付の方が組み上げてくれてるそうなのだけど、それぞれすげえナンバーいっぱい作ってくれてて超嬉しいという話。

■佐藤浩希さん
フラメンコの方。カテコでも使われてる一幕ラストの「何かが変わり始めている」が最高o(^-^)o曲もいいし歌詞もいいし、切なくもワクワクもする流れ最高だし。ドン・カルロから繋いでいってドン・ジュアンとマリアに至る、全てを盛り上げていくセビリアの人々、生きている生きていく。
まあ亡霊ウォッチャーとしてはなんつっても決闘直前の「運命のサパテアード」ですけれど。
ドン・ジュアンが去り、伏せた群衆の中を進み出てくる亡霊。つま先を擦る音を響かせて回転。マイクオフの亡霊の口から、小さく響いてくるカウント、高まっていく足の音。音。音。興奮しかない。

■桜木涼介さん
いつもお世話になっております。こないだの「レベッカ」のステージングでは「ハッピーエンドにしない」をちゃんと成立させた大功労者…その他もろもろの恩は忘れないよ。
今回も!もうホントに!ありがとうね「嫉妬」!!!!!最高オブ最高オブ最高ありがとうありがとう。導入から構成から内容から何から何まで「わかってらっしゃる」しかない。イントロで表情と上半身固定・手先だけ機械じみた動かし方しながらでヒタヒタ進んでくる亡霊、その後のドン・ジュアンとの絡み、投げる受ける混ざる止める、ほとんど殺陣に近い駆け引き。あれこそハレオ入れたくなるぜ(やめなさい)。前半の「悪の華」も好き!!

■大石裕香さん
アンダルシアの美女うつくしす。あそこの俵君かっこよす。
パンフで曲リストを確認しながら今回特にツボだなと思った曲「あ、あれも…これも…それも…そうなんだ…うわあ…」ってなった。「石の像」のマリアの槌をカーン!に合わせて亡霊がまわる、ああいう呼吸さしたらベストオブベストの人をよう回してくれた(拝む)。
「人は、何故」はこれまた腹にドスドス来ます。イザベル、ファニータ、ラファエルが歌い繋ぎながらセビリアの男女が踊る曲、終盤で人々が殺し合い果てていくとことか鳥肌。
そして「誰に対しても情けはかけない」。いやホント今回せっかく上口君と共演なのに一緒に踊らないんかい!っていう葛藤が一気に癒やされたありがとうありがとう。ドン・ジュアンと亡霊のシンクロの動きとタイミングがすばらしい。後ろ向き状態でドン・ルイに刺される亡霊のクシュっとしたリアクションと、剣が刺さった体を傾けたまま歩いてくとこマジ愛してる。

いつにもまして頭のわるい文章ですまない。初めてセパテアードのカウント認識できたんで今晩あんまり正気じゃないんだ…。

ところで、クネクネ系はある程度、即興なんじゃないかと想像してます。誰がとは言わない。

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gente

「ドン・ジュアン」キャラ雑感つづき。

★★★ネタバレです★★★

■ドン・ジュアン
若くて綺麗、非情で残酷。すべての底に「無知」がある。
踊っても嗤ってもイキってても、どこかこう、彼の欠陥は彼が作ったものじゃないんだな、っていう哀しさを感じます。きっと、しんどい育ち方してきたんだろうな感。彼は罪深いし、生き方も許されない、でもそこに落とし込んだ、すいません、ベタだけど、孤独はあったんだろうなと…パパあれかなり責任あると思うよ。
一幕前半、一貫して許せない男だった彼が恋に落ちる。爽快ですらある「ざまあみろ」感と、そこから始まっていく切ないくらいのシンパシー。ああ、彼はやっと生まれたんだなあ…っていう痛々しさ。一幕ラストでマリアに促されて、赤ちゃんの顔にちょっと触れる。あれがあの時点の彼の本性のようで、ちょっと泣きそうになる。
まだ彼は始まったばかりで、ほとんど何もわかってない。自分がエルヴィラたちにしてきたことの意味が腹に堕ちてないから「夜、君と眠り、目覚めたら君がいる幸せ」とか無邪気に言えちゃうし「俺は奴らを許してやろう」って幸せいっぱいに笑う。さあ亡霊さん、仕事を次に進めよう。
悲しい、愛おしい物語だよなあ、これ…。

■ドン・ルイ・
手乗り男(違う)
息子を愛してる。凄い困ってる、めちゃ怒ってる、っけどそこに悲壮感がないのがなんか好きですドン・ルイ。別の作品のパパの「私ほどお前を愛する者はいない」と言ってることは同じなんだが、なんなんだろうこの爽やかさ。
息子に「エゴイスト」って言い切られるその評価は最終的にビタイチ狂わない。でも嫌悪がわかないのは結局、正直だからなんだよなあ。大きな愛と大ーきなエゴ。本物。
この作品の二大「うぉぉい正直だな!」な台詞はマリアの「言わないままで済めばそれでいいって思ってた!」とこの方の「息子が落ち着いてくれれば私はそれでいい」でした。あんたたちには「取り繕う」という概念がないのか。清々しいわ。

■イザベル。
不動のイザベル。(今考えた)
ドン・ジュアンにベクトルを合わせて居ながら、働きかけず、肯定し、笑い、超然と、見ている。「見守る」なんて優しげな在り方じゃなく、けっこう厳しくも冷たくもある視線で、彼の在り方、生き方を見下ろし続けている。ドン・カルロと同じ高さで、対極の居方だなと感じます。
彼女もちょっと人間離れしているというか、ドン・カルロとの語らいを見てるとなんか、二人の天使みたいだなと(優しくないやつね)。ちょっと引いて浮世を眺める、でもその中心にはドン・ジュアンがいる、その居方がとても好きです。「私は見てみたいけどね」とか最高に滾る。

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