カテゴリー「エンダーのゲーム」の8件の記事

エンダー観てきた。2

「エンダーのゲーム」映画版の感想もうちょっと。

★★★いろいろネタバレです★★★

吹替版みてきました。えらい豪華キャストだったことに観終わってサイトめぐりしてやっと気がついた(笑)。なるほどエンダーもビーンもよかった…しかし私の中で沢城みゆきさんと言ったらカナンもしくは荒川のマリアなんだが(観るものが偏ってるとこうなる)。ラジオドラマも(ネタ的な意味で)偉いことになってるんだそうで。いい、何でもやって欲しい、このタイミングで盛り上がれるだけ盛り上がりたい、何年も待ったんだから(笑)。

■吹替えさまざま
・やっぱり敬語があるとドラマ的にすっきりするなあ!上下関係がはっきりした上で、誰が誰に対して敬語を使うか、がドラマに与えるニュアンスの味はすっごい大きいと思います。字数制限の限界なんでしょうが、字幕だと特に命令形の語尾がシンプル=乱暴になりがちで「訓練を続けさせて下さい」ってエンダーがボンソーに詰め寄るところなんか完全に「造反」レベルだったもんな(^^;)。「態度は強硬、口調は慇懃」だと、結構ちゃんとボンソーを立てようと思っちゃあいる(逆効果だけど)エンダーの努力も見えやすくなるし。
・字幕ではスピードについていけてなかったところが随分あったんだなと思いました。座学の間にバーナードがコンソールをいじってアーライをからかってエンダーが逆襲するところの文句とか、バトル・ルームでのペトラやメンバーとのやりとりとか。終盤のシミュレーションでのエンダーの指示内容も、頭に言葉が入るとすごく面白かった。
・字幕でおぉっ!と思った「死者の代弁者」というフレーズは吹替えではなし。「死者と繋がる道」だったかな?まあ映画が終わってみれば"Speaker for the Dead"が意味をなす展開はなかったわけで(^^;)、原作に対する単なるオマージュで出たフレーズだったんですかね…。

■謎の人たち。
印象が定まった大人組について。
グラッフが好々爺というか、半端に優しいせいでなんだかわけが分からなかった…特に終盤。エンダーに真相を「言えなかった」のニュアンスが分からない(^^;)。原作どおりなら「戦略的に(本当の戦闘だと理解させたら子ども達に迷いが出て作戦が失敗するから絶対に)言えなかった」だけど、今回の大佐の表情だと「(エンダーが可愛そうで)言えなかった」みたいに聞こえるんだよなあ…キャラかな、これは(^^;)。
アンダーソンさんはもっとわかんなかった…マインドゲームのアクセス権をわざわざ与えて何がしたかったのかとか、ボンソーに襲われたエンダーに「ごめんなさい」のところとか(これは何らかのシーンカットがあったんじゃないかと想像しますが)。エンダーを見守る役割を通すのかと思いきや、いなくなっちゃうし。
いっぽう鬼軍曹のダップさんはすごい良かった。立場がぐんぐん変わる中なにも言わずにエンダーを応援している、台詞に出ない表情の芝居とか好きでした。
メイザー・ラッカムはいろんな意味でイメージぴったりでした(笑)むしろ謎でいいんだあの人は。

■ドラマについて
二回目ということで、改めて最初からじっくり伏線含めて味わってみたところ、「けっこう、よくまとまってるよな…」と思ったには思った(爆)。「二度と戦わない」ために「相手を完膚なきまで潰す」っていう流れを序盤のスティルスンからコツコツと型に落とし込んでるところとか。バトルルームの「アーライを守ってゴールまで行く」作戦が最終戦で「リトル・ドクターを守って母星に突っ込む」に繋がってるところとか。
ただやっぱりラストは大きな問題がふたつ。ひとつは場面自体の大変なショートカット。「全て現実だった」っていうことを腹に落とす時間がやっぱりもっと欲しかった…っていうか最低限「現実だった」っていう台詞は必要だと思います。原作だとある時点から全て現実の艦隊戦だったわけだけど、この映画だと最終戦だけがそうなのかなあ。フォーミックのことをエンダーが考えて考えて考えて、やがて彼らに感情移入するに至った経緯も欲しかった…最後に一人で(!)女王の移住先を探しに行っちゃうラストに持っていくならば。
もう一つはやっぱりグラッフ。前回もちょっとだけ書きましたが、「敵である確証なく異種族を滅ぼす」ことと「感情移入能力を持つ子どもをコントロールして相手を殺させる」ことに対して、悪い意味で迷いが全然なかったように見えたのが残念でした。原作もそりゃ迷いはないんだけど、ものすごい使命感と覚悟の上でそれをやってるから、エンダーの罪はエンダーの罪じゃない、全部自分の、大人たちの罪なんだ、っていうことを本気で言っている。映画のグラッフはエンダーは悪くない(作戦だからしょうがない)、そして自分達も悪くない(戦争だから当たり前)って言ってるように見えるんだよな…これがスピーディすぎる終盤の脚本のせいなのか、グラッフのキャラが自分にそう響いたってだけの話なのかは分かりませんが。

…とかこまごま書いてるとリピーター根性が盛り上がってきて、あれもこれもどうだったか気になってくる。やっぱり自分盛り上がってるというか、この物語について考えるのが楽しくて仕方がない(苦笑)。上映中にもう一回ぐらいは観に行きたいと思います。

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エンダー観てきた。

「エンダーのゲーム」映画版を観てきました。
字幕版、114分。
大好きなこの作品、映画化情報を最初に知ったのはずいぶん前ですが、ずっと楽しみにしてました。アメリカでは続編・裏編・外伝・マンガ、ゲームにアニメと、物語的にもメディアミックス的にも結構な展開を見せてるそうで、満を持しての映画版、注目度も高かったんじゃないかと思います。

★★★ネタバレです★★★

面白かった。
しかし、大丈夫か(笑)。

けっこう原作に忠実な脚本(細部の変更については後でしつこく書かして(笑))、なので小説版が頭にがっつりある自分は、あっそう描くか、うわっこういう表現になるんだ、う、来るぞ来るぞあのシーン…キター!っていう見方で興奮しながら見てました。
でも原作知識なしでこの映画を観たらどう感じるか。ほとんど想像しかできないんだけど。「あ、それそう描くんだ」「うーん、そこ飛ばしちゃうか…」「いや、そこで○○○は余計だろう」とかの印象を総合するに、

…解せますか?(^^;)

映像面では最高に楽しい。原作の見せ場要素を全部乗せてきたバトルルーム、縦横無尽に切り替わる視点の臨場感、「敵のゲートは下だ」、「巨人の飲み物」ゲームの凄まじい現実感(かつゲーム感)、そして「21世紀に映画化したんだからこれぐらいやっちゃっていいでしょ!!」全開のシミュレーター。ビジュアルでこういうの観たかった!っていう希望を思いっきりかなえてもらいました。…バトルルームを「直接」見てる司令室のグラッフっていう絵には爆笑しましたが(笑)。

でも話のシンである「子どもの戦い(ゲーム)」と「異種族との交感」が乖離してるようにも見える。
序盤がやけに丁寧だから油断したんだけど、エロスの地表でいきなりフォーミックと邂逅して…というラストにはぶっとびました。いや、ネタ的には合ってる、巨人ゲームとの繋がりかたも見事だけどさ、「卒業試験」の余韻があまりにも少なすぎない?一体どこからが現実の戦闘だったのか、「異種族を淘汰してしまった」「現実の艦隊を死に追いやっていた」ことに対してエンダーだけじゃない、子どもたちがどう感じたか。異星人との戦争が終わって、これから彼らがどうなろうとしているのか。実はカラクリに気づいていた子がいたんじゃないか…的なワビサビがもーーーちょっとでいいから欲しかった。

いや、もう、改めて、複雑な作品なんだなあと実感しました。いつにも増して迷走する宣伝からも分かるけど、背景的・心理的・キャラ的物語的社会的いろーーんな面での要素が多すぎて、どんな話だか誰もまとめられないっていう。「映像化不可能」ってそういう意味なんじゃないの、と薄々思ってはおりましたが…。

字幕じゃ情報量がどうしても限られるってところもあると思うので、吹替版みてからあらためて判断したいと思います。

あとはテーマ別に細かい話。

★★★「エンダーズ・シャドウ」含めて原作ネタバレです★★★

■「フォーミック」
"Ender in Exile" 読んだときにかなり戸惑った「フォーミック」という言葉。「エンダーのゲーム」の時点ではバガー(Buggers=虫)と呼ばれていたアリ状異星人が、なんかこれ差別語にあたるっていう理由かで、「エンダーズ・シャドウ」以降はほとんどフォーミック(Formics、ラテン語のアリを意味する言葉からのカードの造語)と表現されるようになったんですよね。今回の映画でもこっちが採用されてて。出版から長く経つと世の中もいろいろ変わってくるもんだ(^^;)。ゲームもなー原作の表現ではゲーセンの筐体っぽい大きさでしたが今やもちろんタブレットとか脳波操作とかだし。いずれこのギミックも古く感じる日が来るんだろうな…。

■カットさまざま
地球サイドの物語、ピーターとヴァレンタインのネット世論操作まわりはざーーーっくりカット。尺的にしょうがないのかもだけど映画でも見たかったなー。バトルスクールやエロスっていう閉鎖空間で「ゲーム」に血道を挙げているエンダーたち、いっぽう地球では失格したはずのウィッギン家の子どもたちが、じわじわと世の中を動かして行き、最終的にはバガー戦「後」の人類の方向性を決定づける、っていう話の畳み方がものすごく好きだったので。
でカットの結果当然、ピーターもいじめっ子兄ちゃんで終わってしまったわけで…これもしょーがないけどホントーーーに寂しい(^^;)エンダーの才能って、相手を識る力って…っていうのをクリアにしていく役割がピーターにもヴァルにもあると思うし、単純にピーター好きだってのもありますが(笑)。

■「そりゃそうなるだろうな」と思った変更点
入学時点のエンダーが6歳じゃなく、ビーンとも同期で、みんなそこそこのティーンエイジャー。なのでピーターがエンダーを苛める絵とか、ボンソーがエンダーを威圧する絵とかに「圧倒的」さがなくって、小さなエンダーがどんどんのし上がってく感じは薄くなったと思います。

■謎のクローズアップ
ビーンやアーライ、ディンクは出番少ないけど、それぞれいい味出してる。バーナードの大出世が謎だったけどそこは別にいい(笑)。ホット・スープやクレイジー・トムまで出番が回らなかったのはまあ仕方がない。問題はー………。
ハンパだなあ、ペトラが(^^;)(^^;)(^^;)。
原作の「年上としてラーンチィのエンダーに初めて味方してくれた、下に優しく上には超厳しい『友達』かつライバル」の役どころじゃなく、かといって完全にヒロイン化するってわけでもなく、過酷な作戦で挫折するエピソードもカット…中の人とかいろいろあるんだろーけど、結果よく分からない立ち位置だった(^^;)格闘訓練とか立体映像とか、エピソード的に浮きまくってると思うんだが…。
…サブキャラで一番いい味出してたのってダップさんか、もしかして。

■全部乗せ
次から次へとドラゴン隊を襲う難題「かつての同僚と戦わせる」「時間告知を遅らせて敵チームに先攻させる」「二つのチーム同時に相手させる」に対し、訓練や機知、アイデア、ビーンたちの活躍でバッサバッサと切り抜けていくエンダー…という流れは原作でも一番大好きな展開なんですが、このへんを全部「一回」にぶちこんできた戦闘にはびっくりしました(笑)。「発射台」作戦も「ワイヤー」奇襲も「敵の陣地を獲っちまえば勝ちなんだよルールはそうでしょ?」アタックもぜーーーんぶここでやっちゃうんだ(笑)。結果、おんもしろかったですが、あまりにも贅沢で勿体無くもあった…特にもったいなかったのは次の台詞。

■「敵のゲートは下だ」
ドラゴン隊を鍛え上げていく過程(=グラッフとビーンがエンダーに最適な部下を選別し育てていった過程)がほとんど描かれなかったので、この台詞のインパクトが弱くなったように思いました。ビーンが最後にエンダーに呟く理由も、しょっぱなのバトルルームでの会話だけが伏線になってる。あの言葉がエンダーの心にどう作用したか、とかも映像で表現するの難しい、のかなーーーー…このへんはそれこそ吹替版で判断する。でもビーンの言葉の後のエンダーが両手を傾けて、ぐぐっ……と視点が傾いていく演出には血が沸きました。ここのカメラワークだけで名台詞が報われた気もする。

エンダーがボンソーを倒したのが半分「事故」になっちゃってたのには強い違和感がありました。このエピソードって二つ、重要な意味があって。ひとつは冒頭のスティルスンと同じで、相手を理解してしまったエンダーが、「絶対に相手は自分を害することをやめない」→「だから、二度と向かってこないようにする」→やりたくない、やりたくないけど、トドメを刺せてしまう。そういうエンダーの本性を描きだしてること。もう一つは、ボンソーがエンダーを襲うのを放っておいた=「大人は絶対に助けてくれない」ことをエンダーに理解させるためのグラッフの賭けだった、ていうことで。だからこの事件以降、エンダーは完全に一人になって、「ゲーム」とも決別しようとする。この「ゲーム自体を壊す」っていうのがラストのエンダーの捨て身の作戦に繋がってく…大事なんだけどなー!前半の丁寧さはどこへ行った(^^;)。

この話って「相手の気持ちがわかる子ども」の能力を最強の武器として使うってところに真のグロテスクさがあると思います。
原作のグラッフはそこを完全にわかってて、人類の為に一人の子どもを犠牲にするってことも自覚しつつ、エンダーにとってどれだけ残酷なことか百も承知で、彼を孤立させ、騙し続け、手を血で汚させる。だからグラッフがやけにいい人っぽかったり、ラスト近くで「これしかなかった」ってエンダーと議論しているように見えるのは少し解せないところもあり。

「敵を完全に理解する、そうして相手を駆逐する。だけどその瞬間に僕は敵を愛しもするんだ、不可能だと思うんだ、理解しながら愛さないでいるのは。」っていう意味のエンダーの台詞(今原作を甥っ子に貸しちゃってるので意訳(^^;))、これが冒頭に字幕で出たときは震えが走ったし、メイザー・ラッカムの刺青の話から「死者の代弁者」という、エンダーの後半生を象徴するキーワードが出てきた時もゾクゾクしたんだけど。…最終的にお話がそこ(エンダーの贖罪)を描ききれたかどうか。

…考えれば考えるほど先に吹替に行くんだったって感じですが(^^;)でもどうしても最初に"The enemy's gate is down."を英語で聞きたかったんだよ…。

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「エンダーのゲーム」の新訳版が出た。

「エンダーのゲーム」新訳版を読んだ。

★★★ネタバレです★★★

「エンダーズ・シャドウ」シリーズの田中一江さんの訳と聞いて楽しみにしていた新訳版。
映画化情報を聞いて旧作が読みたくなったものの旧版は絶版、実家もどこ探しても見つからなくて、どうしても読みたくなってペーパーバックで再読したのが夏。読み終わった頃に新訳情報を聞いた(^^;)、というわけで話じたいは頭に入っちゃってたのですが、新しく味わえる要素がてんこもりで実に面白かったです。

あらためて 名 作 。ホントに名作。初めて読んだのは2x年前、初版されたのはかれこれ3x年前だそうで、もう古典SFに位置づけられるであろう作品なのに、こうやって今風に訳されてみるといかに21世紀に味わいまくれる作品だったかわかる…戦略、戦術、リーダー、チームビルド、人種、西側、東側、イスラム、宗教、少子化政策、戦争、大人の都合、ネット、ネット人格、そして「ゲーム」。
どっちかというと大人の心情が深堀りされていくのちのシリーズと違って、ほぼあくまで子供たちの視点で語られていく入り込みやすさ。そしてその感情移入自体がラストに主人公を(&読者を)奈落の底に突き落とす伏線になってるあたり。

田中さんはパーネル・ホールのシリーズといい、会話やスラングの表現がツボなんだよなあ。バトルスクールの面々の雰囲気、エンダーはじめアーライやディンクたちの口調の軽妙さにワクワクしました。エンダーがリーダーとして喋る口調と本来の彼とのギャップとか、アーライやビーンへの心のかけかた、ディンクの男前さ加減とか、ひとつひとつが細やかで、結果話が倍切なくなったなぁと。チーム名の表現の仕方とか、「プッシュ・オフ」っていう二語動詞をカタカナにしておくことが後半の伏線になってたりとか、個々の表現でもおぉっと思うことがいっぱいありましたし。

余計な心配してたんですが、タイトルが「エンダーのゲーム」のままだったことにはホッとしました…もの凄くいいタイトルなんだからこれ。万が一今回「エンダーズ・ゲーム」とかだったら暴れてたわ(^^;)。未だに「シャドウ・オブ・ヘゲモン」とか邦訳タイトルとしてどーかと思う。
いっぽう名台詞"Remember, the enemy's gate is DOWN."の訳は大胆に変更されてて、でも自然でよかったなと。エンダーの「忘れるな」は「おぼえておけ」より強烈だし、ビーンの子供っぽい「思い出して」は一層「うわっ…」て感じだったし(エンダーズ・シャドウとの符号の仕方も矛盾の仕方も、見ようによっちゃ深い)。何度も何度も何度も読んだシーンで思いっきり驚かされた。

シリーズがこれだけ続いて、裏サーガである「シャドウ」も大きく展開した今となっては、シリーズ原典としての面白さも深いですね…ビーンやペトラ、アーライ、ディンクといったいわゆる"Ender's jeesh"、シャドウシリーズのキーパーソン達が登場してくる過程がもはや「Fate Zero」的ワクワク感(笑)。そうだよ、シェンが最初の友達でアーライって最初バーナードの仲間だったんだよ…おぉっクレイジー・トム出た!ホット・スープが小隊リーダーだ、彼もアーライもシャドウシリーズでは故国で大変なことになるけどこの頃は楽しそう…etcetc。

キャラクターへの印象も今読むと変わってたり、改めて深まったり。学生の頃初めて読んだときはピーターが大嫌いだったし、エンダーを愛しながらピーターに依存してしまったヴァレンタインの葛藤とかピンと来なかったし、「ジョン・ポールやテレサはヴァルの目を通して描かれてるだけで、実際は彼らがそんなに愚かなはずがない」っていう発想もなかったんだけど。一作目時点でけっこう、シャドウの伏線たりうる話の深みがあったんだなあ…と思えるところも感慨深かったです。いやぁピーターって昔っからピーターだわブレないわー。

そして今回、初めて読む人の一部はけっこう「進撃の巨人」を思い起こしてワクワクしちゃったりするかも知れん…艦これに行くのかも知れんですが。104期ぽい生活感とか人類最強ぽい孤立っぷりとか、誰を誰にしても楽しめます(よせそういうの)。固有名詞も重なるよね、ペトラとかビーンとか(^^;)…こっちのビーンは別に巨人じゃな……あぁぁぁれぇぇぇ?!(なにかが符合して驚愕した)。きょ、巨人もけっこう重要なファクターだし、その「巨人」という言葉が別の意味で重要になってくるシリーズにも続いているし。あらー面白いわこれ。

ぜひこの勢いで「シャドウ」シリーズの未訳部分や、ほかにもどっさり出てる外伝を出してって欲しい…年明けの映画がヒットすればいいんだろうな(-人-)面白くなりますように。日本版のプロモは「僕はいらない子なんだ」とかペトラの直訳台詞とかエヴァ関連づけとか謎ばっかりだけどな!!!(何がしたいんだ)。さてどーなるかなー。

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ホントに映画化した

「エンダーのゲーム」の映画版ぼちぼち始動みたいで。

★★★本編ネタバレです★★★

「映画化の構想がある」みたいなことはオーソン・スコット・カードの公式サイトや英語版Wikipediaで何年も前から言われてて、もうずいっぶん経ってるので今更ホントになるとは夢みたい。

このシリーズ、付き合いが長くて。一作目の小説を読んだのかれこれ20年以上前で、その後ずっと追っかけて来ました。最近じゃ邦訳がパッタリ止んじゃったんだけど、英語版では裏サーガ外伝含め、まだまだ話が続き広がっていってます。

それぞれ大好きで追っかけてるけど、やっぱり一作目は特別というか、がっつりSFで思いっきり人間ドラマ、家族・兄弟・友達、成長・愛憎・共感、戦略・戦術・殺人・陰謀、どんでん返し、傷、癒し…とあらゆる要素が詰まった作品。二作目以降はまた毛色が違っていくんだけど、一個の古典名作として何度も読んだし、ずっと心に残ってくと思います。

そんなこんなで、ワクワクしながら予告編を見た。
2分弱のトレイラー、ハリソン・フォード扮するグラッフ(このキャスト時点でマジデスカと叫んだものだ)が背景を語り、戦争、艦隊、バトル・スクールの光景が順々に現れてくる。
エンダーの子が綺麗。個人的には決め台詞のジエネミーズゲイトイズダウンをぜひ聞きたかったところですがまだ待て自分(笑)。

はっきり顔が出るキャラクターはグラッフ、エンダー、メイザー・ラッカム、ペトラ、ヴァレンタインぐらいか。キャスト見てみると原作の重要キャラは結構まんべんなく出てくるっぽいんだけど、女性の新キャラもいるようだし(追記:アンダーソンが女性キャラになったんだ、なるほど(^^;))、重要度というか原作ストーリーの踏襲度合いは未知数ですね。映画版ならではの脚色はあっていいと思うけど、あんまり「大人の話」になっちゃわないことを祈る。

とはいえ「ここはいじってくれてもいいよ」と思うのがビーンとペトラ。ビーンの描かれ方は「エンダーのゲーム」と「エンダーズ・シャドウ」どっちに軸を置くかで全く違ってくると思うけど、どっちも捨てがたいなあ。
予告編観た限りではペトラの存在が光を当てられそうなのがちょっと嬉しい。原作だとこの段階でのヒロイン度は圧倒的にヴァルにあったからなあ…シャドウではほぼ主役ですけども。

ピーターやヴァレンタインの活躍も、今の時代ならかえってリアルに描けるかもですね。
この話、発表されたのは短編が1977年、長編版が1985年で、自分が読んだのも確か90年前後で。その頃にはネットに触れる人口ってまだまだすごく少なくて、日本でもパソコン通信やってる人が周りにごくわずかいる程度。なので「ネットワークの有力者が言葉で大勢の人を味方につけ、世界を動かす」なんて世界はすっごく「未来」に見えたんだけど。時は流れたなあ。

日本で上映される話はまだ聞こえてこないですが、やるならぜひがっつり「エンダーのゲーム」というタイトルでお願いしたい、大事だから。
原作ラストでずぉぉっ…と感じたあの「震え」を体験できる映画版でありますよう。

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SHADOWS IN FLIGHT

オーソン・スコット・カードのエンダーシリーズ「Shadows in Flight」

すっかり邦訳が止まっちゃってるこのシリーズ(T_T)、今作もトロトロとペーパーバックで読むんだった。今年の末には「エンダーのゲーム」の映画版が封切られるはずで、日本で人気でたらまた復活してくれるかなあ…しかし映画版、グラッフ役がハリソン・フォードっていったい何があった既に(爆)。あー楽しみ。日本でやらなかったら暴れる。

そろそろ混乱してきたので先に時系列を整理。リンク先は感想文。

エンダーの正伝が
 エンダーのゲーム→死者の代弁者→ゼノサイド→エンダーの子供たち

裏シリーズのシャドウ・サーガが
 エンダーズ・シャドウ→シャドウ・オブ・ヘゲモン→シャドウ・パペッツ→SHADOW OF THE GIANT→SHADOWS IN FLIGHT(今作)

正伝とシャドウの真ん中にいて、事実上SHADOW OF THE GIANTの続きになってるのが
 ENDER IN EXILE
英語表記が現在の未訳部分。
あと「FIRST MEETINGS」とかこないだ読んだ「A WAR OF GIFTS」とか、外伝や短編がたくさんある。

というわけで今回の「Shadows in Flight」。

★★★ネタバレです★★★
★★★シリーズ未訳分3、4冊を含めて大きくネタバレしてますご注意★★★

ここへ来てタイトルが複数形。「Shadow of the Giant」のラストで宇宙空間へ旅立ったビーンと子供たちのその後…ということで"SHADOWS"なんでしょうね。そして読んでいったら最終的にああ、人類の「シャドウ」でもあるよね彼らは、という解釈にグルッと辿り着いて鳥肌も立ったりする。

ペトラとビーンの子供は9人。そのうちビーンがかつて植えつけられた「アントンの鍵」と呼ばれる要素が活性化された子供は4人。「天才、しかし大人になっても体が成長を続けて巨人化し、心臓が耐えられず二十歳あまりで死に至る」という遺伝的特質の治療法を見つけるため、亜光速船で時代をスキップしつつ研究者と連絡を取り、自らも研究を続ける旅に旅立つ…というのが前回までのストーリー。

地球を出てから船内時間で5年。ビーンの身長は四メートルを超え、余命いくばくもなく。多かれ少なかれ「母さんと家族から勝手に引き離された」と思っている子供たちには「ジャイアント」として恐れられ、反発され、そんでやっぱり実は物凄く愛され、慕われ、心配されている。

ビーンが連れて行ったのは4人のうち、生き別れになったランダル(アーカニアン・デルフィキ)を除いた3人。
9人の中でただ一人、代理母でなくペトラ自身が産んだ長男である、「Shadow of the Giant」でリトル・エンダーと呼ばれていたアンドルー。天才科学者、6歳。落ち着いてるけど生意気。
代理母から生まれ、最初に見つかったベラ。地球の姉妹に同じ名前の子がいるので、愛称はビーンを助けたシスター・カーロッタと同じくカーロッタ。天才エンジニア、6歳。いろいろ抑えてるけど生意気。
九人の中でただ一人、両親と縁のある人からでなく、古代ローマの名将キンキナトゥスから名づけられたシンシナトゥス(シンシネイタスかな?)。渾名はシャドウのロッテルダムの少年を思わせる「サージャント(軍曹)」、天才戦術家、6歳。どこまでも生意気。

ハイ天才シリーズに三人、しかもまたスゴイのが追加ー(^^;)。例によって救いようがなく頭のいい、でもしっかり子供らしい子供たち。そもそも地球のペトラのところに残った「ノーマル」な5人にしたところで1歳足らずで達者な口をきくわ狸寝入りするわ、なバトルスクールレベルのチルドレンだったわけで(ちなみに天才児はさらに五人ほどいたりする。どいつもこいつも)。ましてやアントンの鍵が回された彼らはランダル同様、ビーン級に新人類の能力が花開いちゃってるもんだから、足りないのは身長だけで知識、頭脳、機転、いずれも大人以上、だけど体は子供、心も子供…という危なっかしさ。張り合いながら、傷つきながら、ケンカしたり助け合ったりする三人がいとおしいわハラハラするわ。

ストーリーは彼らの乗る宇宙船が遭遇したある「遺跡」と、その居住者をめぐる冒険を追っていきますが、裏を流れていくのはやっぱりビーンと子供たちそれぞれの記憶や、心の秘密が開かれていく過程。行動や役割がそこかしこで「あのエンダー」と重なるエンダー(運命か、名前の縛りか)、カーロッタの「新人類のただ一人の女性」であることに対するプレッシャー(6歳6歳)、そしてシンシナトゥスが冒頭で取ろうとする暴挙とその理由。死期を前に、彼らを置いていかなければならないビーンの秘密の計画…ひとつひとつ、露わになっていく、それぞれの綺麗な秘密。
そしてやっぱり話は「死者の代弁者」エンダー・ウィッギンにつながっていく。けっこう正伝を根底から覆す事実とか明らかになるし…時系列はエンダーがルジタニアにつくよりもずっと前っぽいけど、これこの後どう展開するんだろ。

そうして切なく、穏やかに語られるジャイアントの終わりの日々。
自分にとってはただ一人の親友だったエンダーを思い出すビーン、エンダーのほうは思い出しもしないだろう…と回顧するシーンは、ビーンらしいなと思いながらも切なかったです。「ENDER IN EXILE」でランダルと対峙したエンダーがビーンのことを語る場面を思い出しつつ、お互いがお互いの思いを知ることはないんだろうなーと(T_T)。
ペトラたちと遠く離れ、兄弟とも、かつての同胞たちとも会うことはない、四人だけの一族の物語。だけどしっかり「よかったね…」と思える、優しいラストでした。

ところでこの話、e-bookバージョンが出てるそうなんだけど、Wikipediaによれば圧縮されてるついでに追加シーンもあるとかなんとか…そのために電子書籍を買えとー?(言われてない)。うお読みたい。

まあ明後日から非常時に入るのでなんにしてもしばらくガマンする。

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A WAR OF GIFTS-AN ENDER STORY-

けっこう前にGETしたエンダーシリーズの中篇を一気読み。

★★★ネタバレです★★★

バトルスクール時代の外伝チックな一本。主人公はラットチームの一員である少年ゼック。
ピューリタン的な宗教指導者である父のもとで厳格に育てられたゼックは、バトルスクールの実戦カリキュラムをすべて拒み、作戦でもいっさい戦おうとしない。そんなゼックがある日、ディンク・ミーカーがオランダのしきたり「シンタクラース・デイ」に寄せて、同じオランダ人であるフリップのホームシックを慰めるのを目にする…。

メインキャラクターはゼックとディンク、背景にどっしりグラッフ、裏にもちろんエンダー(笑)……という布陣。エンダーはまだ頭角を現さず、ディンクもまだ隊長じゃない頃。ぺトラやビーンは登場しないけどピーターはしっかり複線張りに出てくる。……思うんだけどシャドウからこっちピーターがどんどん存在感と深みを増してヴァレンタインの影が薄いなあ(^^;)ヒロインとかもう私ん中ではぺトラだしなあ……がんばれヴァル。

冒頭からゼックの父親の「サンタクロースはサタンの仕掛けた堕落の業」的な主張がガー出てうひゃあ、となるんですが、エンダーの靴下やらディンクのやさしいシンタクラースエピソードにほろりとして、あ、今回これテーマがサンタなのね…と気づいてからがまた、このシリーズらしい実に濃い展開。習慣と宗教の切れ目はどこだ、にひぃぃ相変わらずテーマから逃げないなあと思うやら、ゼックの拒絶と反発にやきもきするやら、いずれバトルスクールが解散した先、メンバーがどうなってくか予見しているディンクやエンダーにゾクゾクするやら。
そうして最後にはもちろん、全てを暴くカレによってゼックの心の秘密が明らかになる。

ほかのシリーズに比べて字も大きいし、テーマも可愛くてジュヴナイルっぽい構成なんだけれど、あんまり甘くない、でも優しい、しっかりとエンダーな一作でした。

そんなこんなで、すっかりエンダー心がついて調べたら知らないうちにシャドウの5作目出てるし……!!「Shadow of the Giant」の次、ビーンと子供たちの話らしい。ペーパーバック版は年明けないと出ないらしいが、そもそもeブック版とハードカバー版で構成が違うらしい…あぁぁどんどん置いていかれる。かれこれ4作ぐらいたまってるよ日本(T_T)邦訳出てよー頼むよー英語だけだと自信ないんだよー。

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ENDER IN EXILE

気がついたらペーパーバックが出ていたオースン・スコット・カードの「エンダー」シリーズの最新作を一気読み(いえ一ヶ月以上かかりましたが)。

★★★ネタバレです★★★

「エンダーのゲーム」からの一連の、エンダーを主人公としたメインシリーズ4冊と、「エンダーズ・シャドウ」に始まるビーンを主人公とした4冊、それと未約の短編集「First Meetings」を一冊と数えると、今回は10冊目になるのかな。

シャドウシリーズが「Shadow of the Giant」でいちおう完結をみて、今回の「ENDER IN EXILE」は久しぶりにエンダーが主人公。しかも「死者の代弁者」以降の大人エンダーでなくて10代も10代、バガー戦役が終わった直後の少年エンダーってどんだけ久しぶりだろーかあたしですら20年は経っとるぞ(^^;)。このシリーズもいまや時系列がどこへ飛んでもおかしくはないとはいえ、過去の全シリーズもう一度ひっくり返したくなる懐かしさでした。

タイトル見て想像したとおり、「エンダーのゲーム」と「死者の代弁者」をつなぐ話でもあるのですが、お話の基点は主に「エンダーのゲーム」の終盤。バガーとの戦いが終わってバトルスクールの子供たちが地球に帰り始めた頃、軍事センスがありすぎる危険な天才として、政治的に結局ひとり地球に帰れなくなったエンダーが、ヴァレンタインと一緒に遠い植民星へ向かい、そこであるものを見つける…という、前の小説ではエピローグ的な位置づけだった部分が大きく膨らまされ、新しい登場人物たちとともに語られていきます。

ひさびさに主役のエンダー、天才だらけのこのシリーズの真打とあって相変わらずどーしよーもなく天才、もはや悲劇的なレベルの洞察力と共感能力、イヤんなるくらい正しい理解力と冷静すぎる判断力。戦争が終わってしまった、行けって言われたから植民星へ行くし、やれって言われたから完璧な総督になるし、愛してるって言われるから誰に対しても優しく優しく接してあげる。でも、本人はからっぽ。本人やりたいかやりたくないかは別として周りの人間や状況を思うがままに操ってあるべき姿に向けてしまう、その天才ぶりはやっぱり見てて気持ちよくて、かつ気の毒で腹が立ってきて、いったいどうやったらコイツを幸せにできるのと切歯扼腕するヴァルの気持ちに心から共感してしまう(^^;)、「バガーを失った貴方は夫に夫に先立たれたうちのおばあちゃんと同じ」とがっつり言い当てるペトラに拍手してしまう、エンダーに恋する新キャラのアレッサンドラに心から「がんばれーッ」と叫んでしまう。ああ懐かしいなあ「エンダーの子供たち」以来のこの感覚。

とはいえこの話の主役は半分、これまでのシリーズを彩ってきた大勢のキャラクターたちで。なんせ間にシャドウ・サーガ4冊入ってるから、一作目の頃とは登場人物の深まり具合が全く違ってくるわけで。だから起こることは全く同じなのにお話の見え方が全く違うのは「エンダーズ・シャドウ」同様で。エンダーの両親、ヴァレンタイン、ピーター、グラッフ、ペトラ(愛してるよー(T_T))、それぞれ本当にいろんな思いを抱えてその時代を過ごしていったことが、丁寧に丁寧に語られていく様は、単純な挿話の集積ではなくて、あの「エンダーのゲーム」っていう美しい模様の周りにズラリと鏡を立てて万華鏡みたいにうわっ…と模様を広げていくかのよーな豊かさ奥深さでした。

そして面白いことにこの話は時代的に、シャドウ・サーガで語られる数年間を一気に通り過ぎる話でもあるわけで、つまりもともと裏サーガだったシャドウ・サーガのさらに真裏というか、裏の主人公であるビーンが全く出てこないあたりも手伝って、エンダーが主役なのにもはやこっちがスピンアウトにも見えちゃうという(笑)。エンダーが旅立って植民星シェイクスピアに着くまでの体感2年、地球では数十年、その間にはビーンたちとアシルの戦いあり、アーライやヴァーロミたちの戦争があり終戦あり、そしてビーンは●●たちと●●するわピーターと●●●が●●しちゃうわ(この辺邦訳まだなのでネタバレ自粛)…という激動の物語4冊が一気に通り過ぎてってるわけで。

それを頭に置いて物語を追っていくのもそれは面白かったのですが、中盤、時期的には「Shadow of the Giant」が終わった辺りから、シャドウ側と今回のストーリーがふいっ…と繋がり始めた時には震えが走りました。期待してたけど「Shadow of the Giant」で「えぇーっなんか四部作ここで完結とか言ってぶっとい伏線が残ってんじゃん!どうするの!」だった「ある親子」にちゃんとお話が続いていったのは嬉しかったです。
…それにしても、ここでもキーパーソンはやっぱりヴァーロミなんだなあ(笑)。登場当時から大好きでしたがまーー相変わらず苦労するなあこのやりたくないのにナチュラルボーンカリスマ少女(^^;)。

しかし本音を言うと件の親子のエピソードはシャドウ・サーガの五作目くらいのボリュームで読みたかったってところもありました。もともとこの「ENDER IN EXILE」は短編集として企画されたっぽいことが後書きにも書いてありましたが、エンダーが「使命」を見つけるまでの話と、それ以降の話が、丁寧に伏線をつないではあるけれどもやっぱり分かれてて、いまひとつ一気に気持ちを持っていけなかったところがあり。…いうなればラストシーンが二種類あるんだなこの話。それぞれはすごくいい場面なんだけど。

ところで「エンダーのゲーム」映画化ってもう5年以上前から言ってるけどもうやらないのかなあ…観たいから早く作ってー!という気もするし、いやまあ映像化してあの話のワビサビが伝わるとは思えない気もするジレンマ。

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Shadow of the Giant

トロトロのペースで読んでいたオーソン・スコット・カードの"Shadow of the Giant"をやっと読了。
名作「エンダーのゲーム」に始まるエンダー・シリーズの裏サーガであるビーンの物語の最新作。前作「シャドウ・パペッツ」の邦訳が出るのすごく早かったし、すぐ日本語版が出ちゃうと思うのですけどもやっぱり続きが気になって読んでみた。

★★★ネタバレです★★★

取り戻せずに終わったビーンとペトラの9つの受精卵がどうなったか、脳が肥大し続けて死に至ろうとしているビーンの治療法は見つかるのか、今や各国のリーダーに祭り上げられてしまったかつてのエンダーの仲間たち(jeesh)がどうなっていくのか、ヘゲモンとして世界を統一しようとするピーターのその後は。

いちおう「気になっていた」のは前半の話で、後半については「まあピーターの行く末は既に語られてるし、アーライやヴァーロミはそれぞれがんばってくだろうし」と思ってたら。
…しっちゃかめっちゃかに暴れてくれたのはむしろ後者の皆さんで(^^;)。いやピーターは暴れたというよりは「アンタにそこを持っていかれるとは…!!」と精神的激震をもたらしてくれたというほうがふさわしいですが(^^;)。

キーパーソンは(いやみんなキーパーソンだけどこのシリーズ)インドでレジスタンス活動を続けるヴァーロミ。それから各国でそれぞれ重要人物になっているアーライを始めとしたEnder's jeeshのメンバー。あり余る戦略センスと本能的な野心を抱えた彼らが、守ろうとしていた世界を実は混乱に陥れていっていて、それに対して相変わらず「ザ・自己中」でありながら実際問題、少しずつ世界を正しい方向に進めようとしているピーターがどう対応していくのか。ピーターの成功とEnder's jeeshの幸せを願うグラッフやメイザー・ラッカムが彼らに持ちかける一つの解決策とは。さらに(本筋である(^^;))ビーンとペトラがピーターを助けつつ、世界に散った受精卵から生まれた子供たちを捜し求める過程、ビーンと同じ遺伝的特質を持って生まれてくる子供たちやビーン自身を救うためにはどうしたらいいのか…etcetc、世界をまたにかけた群像劇が展開してゆくさまはもう全編「…どうする気だ!」なカード節(笑)。相変わらず息つく暇もない展開で、ホントに面白かったです。

そして、ある意味完結して、ある意味終わってないラスト。
ビーンの物語が終わらなかった点については、まあ半分「やっぱり…」と思いました。このシリーズ最初っから通していえるのは、ストーリーが「すべての結末」に向かって動いていってて、「これが最終巻!」と思うくらい盛り上がってラストも綺麗に締めるんだけど、何かひとつ引っかかる点が残って、それが後々ドッカーンと展開していく伏線になるっていうことで(^^;)。「エンダーズ・シャドウ」ではアシルの執念がそうだし、「シャドウ・オブ・ヘゲモン」ではアシルが生き残ったこと、「シャドウ・パペッツ」では受精卵が盗まれたことで、そして今回は…さすがにネタバレなんで伏せますがこの伏線を拾わないということはありえないわ、という気になる親子が一組。まだまだ続くんでしょう。ていうか続いてくれ。

かつ、ピーターの物語はここで完結するわけで。
最終章が"Speak for me"、「エンダーのゲーム」の最後に「死者の代弁者」によって「覇者」が書かれたエピソードに繋がっていく、というラストは想像していたんですが、そこで描かれるピーターとエンダーのやりとりには、やっぱりカード一流の精神的どんでん返しが含まれていて。もう震えっぱなし。
ていうか最大の衝撃は最後の最後にピーターといた人物についてなんですけども………いや中盤のヴァーロミの選択にもぶっとんだけど、ラスト数章はもう「えー!」「えー!」えー!!」と口が開きっぱなし。「そうなって欲しかった気持ち」と「そうなって欲しくなかった」気持ちが見事に半分半分で。ビーンの手紙には泣いたけれども。これがシリーズ全体の結末ならまだ納得いったけれども。続いていくビーンの物語からピーターだけでなく、おそらくもう一人退場してしまったことがものすごいショックでした。うう。納得いくし納得いかない(T_T)。

エンダー・シリーズ的なトピックとしては、ちょっと前に出た短編集"First Meetings"(未訳)で語られているエンダーとジェインの出会いに繋がる伏線が描かれてることとか、特に語られてないけどハン・ツーが造るであろう植民地はチンジャオやワンムが生まれるあの星なんだろうな、とか。
あとシリーズ最大の決め台詞(笑)"The enemy's gate is Down"を某キャラが口走ったときには震えが来ました…「エンダーの子供たち」でも似た瞬間がありましたけども。
さらにカードの公式サイトに行ったらなんかボンソー・マドリッドが主人公の短編とかアップされてるし(爆)。まだまだ続くなあコレきっと。愛してるからよいのですが。

それにつけてもLittle Enderとは何て強烈な名前だろう(^^;)。

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