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2019年9月の9件の記事

vario

「ドン・ジュアン」刈谷が近づいてきました…
マジ10月あたまから移住したい。気持ちをぶつける今日この頃

■赤いドレスの彼女たち
呼び方あるのかなあ。オープニングから「スペインの赤い風」であり砂であり、残酷な砂漠の象徴でもある、流れた血の色をした彼女たち。いやもう最の高に好きです。
ドン・カルロの「おだやかな風がほほをなでる夜」でほほを撫でていく彼女とか。
「天使のようなまなざしで魅惑する」で穏やかだった表情を「悪魔のような男」でカルロにぶら下がる勢いで体重をかけて表情もガラリと切り替える彼女とか。(脳内でガーベラって呼んでる)(あの前髪たまらん)
「兵士の血」では「1789」で鍛えに鍛えまくった花岡麻里名追尾機能をめり込む勢いでオンにしてるし(追記:その後、いないと聞いた(T_T)別の方と勘違いしてたみたいすみません)。
いやみんな最高カッコいいけども。男たちと眠るところでは穏やかに寝てるのに、「夜襲だ!」でうーんって起き上がってから殺戮開始、っていうあの物凄く過酷で自然な豹変ぶり。妖精のような災害のような、すっごいクールな顔でむちゃくちゃ激しい動きで兵士たちを追い詰めてぶん回す。とどめはサラッと手を振る仕草、からの銃声・銃声・銃声。兵士達の「ああ、ああ、ああ」っていう絶望にシンクロさせられる。毎回震えっぱなし。

■変わる→悪夢
二幕二曲目。都合のよさMAXなとこ好きです。若い二人の幸せな夢の中ではカルロもイザベルもエルヴィラすらシャボン玉の中で笑って手を振ってくれる。亡霊さんこっちです。やっちゃって。
「変わる」と「悪夢」の二曲はそれぞれポジティブ、ネガティブに振り切れたドン・ジュアンの妄想みたいなもんだと思います。「変わる」でほほ笑むエルヴィラも、「悪夢」で嘲笑するドン・カルロも真実の彼らではない。というかドン・ジュアンはあれくらいみんなのことをわかってない(笑)。「んなわけねーだろ」の嵐。
そんな夢から目覚めて目の前にマリアがいたらそりゃ嬉しいよ…「目覚めたら愛する人がいる」ってすなわち、彼がさんざんなしてきた罪・咎の裏返しなわけで。そういうことも自分の底の底では蓄積されてるから亡霊さんもがんがん活性化しちゃうわけだ。

■好きなだけの備忘
酒場。「ドン・ジュアン」の声に反応し、「あいつが…!」と殴りかかるラファエル。
最初あっけに取られるけど応戦するドン・ジュアン。
なんだなんだと反応する酒場の面々。
下手にイザベル、奥にエルヴィラとドン・カルロ(あれカルロが心配して探しまくって見つけたんだろうなあ)(不憫)
剣で斬りかかるラファエル。即座に割って入って剣を抜くドン・カルロ(最ッ高カッコいいが事情で半分しか見れない)
高まる音楽。れれれれ れ れれれれ れ(この12拍子3連符ドロドロニュアンスわかって)
よろよろと階上に上ってきている亡霊(舞台のここだけ青白い)
悲鳴のようなマリアの「ラファエル!」
役者が揃った!
はいザッツ備忘ただの備忘。本当ーーーーーーーに好き。

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egoistas

「ドン・ジュアン」雑感に戻ります。

■「求められることが愛だと思ってきた」
マリアの歌より。戦慄するほどスゲエ歌詞だよねこれ。
ラファエルと婚約したのは確かに、幼なじみとか親戚の縁とか自然な流れっぽい。あのラファエルの「おうマリアーウェーイ(体育会系ハグ)」の色気のなさからしみじみ、君たちあれだろう、子供の頃から一緒にいて当たり前に結婚決めただろう、って印象がスッと入ってくるし、「結婚するんだ」への兵士達のリアクションがまた「えっそうだったの?!まあ、そういうこともあるかもしれないな」っていう曖昧さでわりと笑うし(私は)。そういう相手と婚約した、恋なんて知らなかった、でもドン・ジュアンに出会ってしまった→もうガターンと落ちて後はもうなし崩し。後ろめたさは残ってるけどちょっと待って、今は待って。
これは嫌味じゃなく正直な印象なんだけど、マリアのああいう先送り体質はとってもリアルというか、納得感があります。「言わずに済めばそれでいいと思ってた」って恋愛物語のヒロイン像としてはひっくり返るような言葉だけど、現実で考えたら「そりゃそうだ」と思う。ラファエルは死んでしまったかも知れない、その状態でドン・ジュアンに「実は婚約者がいるかも、いないかも」なんてわざわざ言うのはサディスティックな自己満足だよ黙っとけ、って現実の人なら思うと思う。
…そんなマリアのたくましさ、正直さ、いざバレた時にとりつくろわない誠実さはけっこうツボなので、そういう彼女に現実感覚ゼロのドン・ジュアンが惚れるのとても解るというか、深いなと。ドン・カルロの「君の運命に彼女を巻き込んでいる」を聞くたびにいやあ巻き込まれたのはドン・ジュアンの方じゃね?といつも思っていた。…あのカルロの言い草についてはまた別途掘り下げたい(ああ楽しい)。

■エゴイストの物語
亡霊がなんで騎士団長の姿だったかっていう話なんだけど。
これは仮説というかホント今作の彼らじゃないと出ない想像なんだけど、ドン・ジュアンはあの「フツーの父親」がちょっと羨ましかったんじゃないかなあって思いました。娘を引っぱたくでなく所有物として怒るんでなく、目を覗き込んでダメだぞって叱咤する、娘をダシに挑発すれば逆上して命まで落としてしまう、真っすぐな愛情を持った真っ当なお父さん。
ホントは自分もそういう愛に囲まれてたくせに、とにかく「すぐそばにあるものに気がつかない」ドン・ジュアンだから、わかりにくいドン・ルイの愛情にもわかりやすいドン・カルロの愛情にも、もっとわかりやすい女達の愛ともぜんっぜん噛み合わなかった。そういう彼に「ある日抱いた女の父親」っていう縁としては遠い、だけどそこそこ鮮烈な印象を残した「愛情を持った人」の形をしたものが、ある日、自分を運命に導く存在としてやってくる…っていうのは、こう、うおお、書いてて恥ずかしいけど、若くね?切ないほど可愛くね????
こんなこと考えてるから「亡霊はやさしいなあ」が止まらないんだった。あいつはドン・ジュアンが生みだした、運命へと導く存在、恋を教え嫉妬を教え、自分の罪を知らしめて、人間へと導く存在。彼一人の存在だから、彼にだけ優しいのだ。
まさしく「最後までひどい人。ひどくてかわいそうな人」の中身だなあ、て納得したんでした。

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pausa

東京千秋楽終了。
わかってたんだけどあっという間でした。

楽しかった。悔いはない。未練はある。
他の作品と全く同じこと言ってますが。
今回はなんだろうねえ。観ていてこう、喜びが多すぎて大きすぎて、できるだけ深く刻もう、見届けよう、ってドン・ジュアンを見るイザベルみたいな目で、自分に全てを刻むために観られる限り観た感じ。日ネタ要素は一切ないし変更もほぼ、ないんだけど。ただただ通いまくった。同じお話を心に叩き込むのに必死だった。

すごい失礼なこと言うんだけど今回、ホント赤坂ACTの印象が塗り変わったなあ…いや劇場はロビーが狭いことと入り口が狭いことと駅のホームが終演後に狭いこと以外に特に文句はないんですが、たまたま、たまたまですけどここで観た作品で感動した!っていう体験がなくて、(Not For Meってやつよ、人によるよ)。さらに一番通ったのが某ゾンビものっていう巡り合わせもあったりして…さすがにゾンビのあれは3年経ったら笑いしか残ってなかった。さっき過去レポ読んでさらに笑った。ああ未だに「うーみのーすーきなーやーつはー」が歌える自分を別に褒めたくもけなしたくもない(本当にどうでもいいことって心底どうでもいいよね)。

そんな場所ですが本当に、今は全てが懐かしい。
客層が違うからそれなりのアウェイを覚悟してったんだけどぜんぜん違った…大多数を占めるはずの彼女たちがすごい礼儀正しくて空気読もうとしててまるで外様みたいだった…拍手なんてホントはもっと自由ですよ、あれもこれも入れなきゃとか気にせんでいいよ。私の三大アウェイは関ヶ原とゾンビとパナマハッティーですが、それぞれで感じた葛藤と違和感と孤独とツッコミと今回は無縁だったんだ。

とても、いい出会いだったと思います。

なんか締めみたいなこと書いてるけど刈谷むっちゃくちゃたのしみ。つぶやきも長文ももうしばらく続けてきたいと思います。

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espejo

「ドン・ジュアン」雑感つづきます。

■ドン・カルロさまざま
壁ドンあたりのドン・ジュアンへの強気ぶりとか、二幕あたまのすっごい上の視点からの(上から目線ってわけじゃない、神の視点)忠告とか見てると、やっぱこの人ドン・ジュアンの友達というより、一緒に育ってきた兄貴みたいな存在なのかな…と感じます。
ベタベタだけどもちろん「ドン・ルイの隠し子」説までは考えた(笑)。なんていうかさ、愛が無条件すぎるんだよこの人。普通の距離があったならそうそう「憎んでいた、愛してもいた」なんて言葉は出てこないし。ドン・ジュアンの本性を分かってる分ドン・ルイより深い、たぶん張り合えるのイザベルぐらい(笑)の愛憎。
ドン・ジュアンの放蕩をちょっと離れたとこから見守ることに慣れすぎてるから、突然現れたエルヴィラが彼に突っ込んでいくのを眩しく感じたとこもあったのかなあと。幕間に「エルヴィラ怖い。あの友達とくっついた方がいいんじゃない?」みたいな会話が聞こえることもあるしわかるんだけど、まずエルヴィラそれありえねえし(笑)ドン・カルロにしてもエルヴィラに惹かれる気持ちってあくまで「エルヴィラの情熱」に惹かれる気持ちだと思うし。エルヴィラともイザベルともいつ恋愛成立してもおかしくないのにいっっさいフラグ立たねえあたり上口君流石だなと思ってます(例によってまだパンフのコメントとか読んでないんでプランと違ってたら失礼)。
ひょっとしたら彼は欲望を抱けない、快楽を求められない人なのかも知れない。エルヴィラと、そしてドン・ジュアンと真逆の生き方なのかなと。
とはいえドン・ジュアンが亡霊を生み出した一番の要因はコイツだと思ってます(笑)。なめちゃいけない。君の働きかけは彼に着実に蓄積されてる。

■イザベルこまごま
なかなか女性の「居方」に惚れ込むことってないんですけど。イザベルは本当心底カッコいい。きっとごく短い間、ドン・ジュアンと恋人だった時期があって、でも他の女達と違って彼にすがりついたり、また恋を求めることはしない。彼が求めたらまた違うんだろうけども。
終始、余裕で、穏やかに微笑んで、ドン・ジュアンの行動、選択はじっと見つめているけれど、自分から感情を露わにすることはない。けど真の同担であるドン・カルロ(言い方)、彼にだけは、本音や本気の労りも罵倒(=自嘲)も見せる。ああカッコいい。
これは未検証だけど劇中のドン・ジュアンて、ほとんどの女の子とキスするのにイザベルとだけしてないんじゃないか。寸止めは何回もあるけれど。

■嫉妬
「嫉妬」というものの持つ意味がとっても重いところが、話の構造的に大好きですドン・ジュアン。
「聞いてないぞ、愛が嫉妬を呼ぶなんて」そうかー、聞いてなかったかー…っていう感覚。このドン・ジュアンという育ち損ねた若者に向かって沸き起こる愛おしさ。これは今回の藤ヶ谷君の若さというか、一皮むいたらこんなに幼いの?!っていうキャラが一番はまったところじゃないかなと思います。世の中のいわゆる「ドン・ファン」像に求められる淫らさとか堕落ぶりとかからすると弱いかも知れないんだけど、「なんにも知らなかった、ただ快楽を求めていた」っていう真相、罪は重ねまくったけどこいつ本当に何も知らなかったんだな、しかも動機は結局、孤独(!)っていう痛々しさ。たぶんイザベルだけはそういう彼を理解して愛したのかなってラストの「欲に燃えきらめく瞳」ってとこで思います。
そういう彼を亡霊は目覚めさせる。あのずーんキュィィィィイン(亡霊両手ユラリ上げ直進両手わきこきぐちゃごき)が目覚まし時計というか、今までの世界が完全に塗り変わる感覚にイヤッホウと叫んでます脳内。嫉妬しなきゃ人間じゃない、ここからが本番だよお前。大好きだなあこの「俗・万歳」感覚。
ここの亡霊はものすごく動くのに、一貫して表情を消してるというかドン・ジュアンとほぼ目を合わせない、自然災害みたいな居方をする。曲全体がドン・ジュアンの、自分の中で起きてる嵐なんだなって感じる。完全なる一人相撲、「ただし受け止めはする」ってあたり「亡霊」の役割がクッキリしててたまらんたまらん。

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varios

「ドン・ジュアン」ランダム雑感。ぼちぼちネタバレ警報解除ですー。

■見たままでした
わりと解釈厨なので(知ってた?そうか)、パンフの説明とか役者さんのコメントとかはなるべく自分の気持ちが固まるまで読まないんですが、さっきやっとパンフ読んで今回、まあ、やっぱさすがY野K吾だなと思いました(笑)。
ドン・ジュアンの長い放蕩の間、ずっと蓄積されてきた自責とか飢えとか孤独とかが
騎士団長を殺したところで遂にあふれて、
とうとう「亡霊」という存在を生み出した。
運命であり。導き手であり。罠であり。
父やドン・カルロやイザベル、今まで彼に愛情を与えてきた全ての人たちの思いで実は蓄積されてたものが、積もり積もって、それが騎士団長の顔を得て、ついに動き出したって感じ。
なんてえ綺麗な話だ。

■苦情
どの角度から観てもどーしても虚無になるのが一幕、ドン・カルロがドン・ルイんとこへエルヴィラを連れてく一連。セットといい動線といいここだけなんか計算を間違ってるというか計算したけど数字が足りてないというかねえなんなのあの台形
どうしてそうなった台形。二百歩譲ってあのテーブル映像を許すとしても燭台だけでもなんとかして…遠近感がころされたー(歌う)。ホント二幕で再登場しなくてよかった…エルヴィラとドン・ルイが一緒にあの台形にお祈りささげてたら泣く。
あとドン・カルロのテノリオ家2往復。取ってつけたような壁ドン(いや表情とか凄くいいからオペラは上げるけどさ、芝居の流れ的にあの時点でカルロが強気に出るのって謎くない?)

■ドン・ジョバンニといえば
もう知らない人のほうが多いかもだから一応書いとくと、
昔の音楽座の「マドモアゼル・モーツァルト」ではモーツァルトを取り囲む精霊たちっていう存在がいて、それは「魔笛」のタミーノや夜の女王、「コシ・ファン・トゥッテ」のドラベッラや「フィガロの結婚」のケルビーノといった彼の作品の登場人物のカッコをしていたんですね。吉野さんはその中のドン・ジョバンニを長い間やってて。最終公演だけシカネーダーとドンジョバを交互に演じてた(今考えるとすげえな)、なので私の初めてみた吉野圭吾はドン・ジョバンニだったのだ。古い古いな。1996年だ。
(以下MMネタバレ)精霊たちはたいてい全員で踊ったり歌ったりしてるけど、一幕のラストはドン・ジョバンニの出番。ダ・ポンテが語るあらすじから「ドン・ジョバンニか…」と思いを馳せるエリーザ(モーツァルト)の前に、スッ…と現れた白いドン・ジョバンニが優雅に挨拶する。(精霊は歌以外は無言)。そこから幻想的な曲が始まって、彼に誘われるままに迷い込んだ空間の中央には「石像」がいて、動き出したその石像に刺されるのはレオポルト・モーツァルト…からの「パパが、死んだ」で一幕終了。ちなみに舞台上は明にはされないけど、石像に入ってたのはサリエリ役者。
どうだ面白いだろう。面白かったんだよ。観たいよ。

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uno, dos, tres

「ドン・ジュアン」今回、三人の振付の方が組み上げてくれてるそうなのだけど、それぞれすげえナンバーいっぱい作ってくれてて超嬉しいという話。

■佐藤浩希さん
フラメンコの方。カテコでも使われてる一幕ラストの「何かが変わり始めている」が最高o(^-^)o曲もいいし歌詞もいいし、切なくもワクワクもする流れ最高だし。ドン・カルロから繋いでいってドン・ジュアンとマリアに至る、全てを盛り上げていくセビリアの人々、生きている生きていく。
まあ亡霊ウォッチャーとしてはなんつっても決闘直前の「運命のサパテアード」ですけれど。
ドン・ジュアンが去り、伏せた群衆の中を進み出てくる亡霊。つま先を擦る音を響かせて回転。マイクオフの亡霊の口から、小さく響いてくるカウント、高まっていく足の音。音。音。興奮しかない。

■桜木涼介さん
いつもお世話になっております。こないだの「レベッカ」のステージングでは「ハッピーエンドにしない」をちゃんと成立させた大功労者…その他もろもろの恩は忘れないよ。
今回も!もうホントに!ありがとうね「嫉妬」!!!!!最高オブ最高オブ最高ありがとうありがとう。導入から構成から内容から何から何まで「わかってらっしゃる」しかない。イントロで表情と上半身固定・手先だけ機械じみた動かし方しながらでヒタヒタ進んでくる亡霊、その後のドン・ジュアンとの絡み、投げる受ける混ざる止める、ほとんど殺陣に近い駆け引き。あれこそハレオ入れたくなるぜ(やめなさい)。前半の「悪の華」も好き!!

■大石裕香さん
アンダルシアの美女うつくしす。あそこの俵君かっこよす。
パンフで曲リストを確認しながら今回特にツボだなと思った曲「あ、あれも…これも…それも…そうなんだ…うわあ…」ってなった。「石の像」のマリアの槌をカーン!に合わせて亡霊がまわる、ああいう呼吸さしたらベストオブベストの人をよう回してくれた(拝む)。
「人は、何故」はこれまた腹にドスドス来ます。イザベル、ファニータ、ラファエルが歌い繋ぎながらセビリアの男女が踊る曲、終盤で人々が殺し合い果てていくとことか鳥肌。
そして「誰に対しても情けはかけない」。いやホント今回せっかく上口君と共演なのに一緒に踊らないんかい!っていう葛藤が一気に癒やされたありがとうありがとう。ドン・ジュアンと亡霊のシンクロの動きとタイミングがすばらしい。後ろ向き状態でドン・ルイに刺される亡霊のクシュっとしたリアクションと、剣が刺さった体を傾けたまま歩いてくとこマジ愛してる。

いつにもまして頭のわるい文章ですまない。初めてセパテアードのカウント認識できたんで今晩あんまり正気じゃないんだ…。

ところで、クネクネ系はある程度、即興なんじゃないかと想像してます。誰がとは言わない。

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gente

「ドン・ジュアン」キャラ雑感つづき。

★★★ネタバレです★★★

■ドン・ジュアン
若くて綺麗、非情で残酷。すべての底に「無知」がある。
踊っても嗤ってもイキってても、どこかこう、彼の欠陥は彼が作ったものじゃないんだな、っていう哀しさを感じます。きっと、しんどい育ち方してきたんだろうな感。彼は罪深いし、生き方も許されない、でもそこに落とし込んだ、すいません、ベタだけど、孤独はあったんだろうなと…パパあれかなり責任あると思うよ。
一幕前半、一貫して許せない男だった彼が恋に落ちる。爽快ですらある「ざまあみろ」感と、そこから始まっていく切ないくらいのシンパシー。ああ、彼はやっと生まれたんだなあ…っていう痛々しさ。一幕ラストでマリアに促されて、赤ちゃんの顔にちょっと触れる。あれがあの時点の彼の本性のようで、ちょっと泣きそうになる。
まだ彼は始まったばかりで、ほとんど何もわかってない。自分がエルヴィラたちにしてきたことの意味が腹に堕ちてないから「夜、君と眠り、目覚めたら君がいる幸せ」とか無邪気に言えちゃうし「俺は奴らを許してやろう」って幸せいっぱいに笑う。さあ亡霊さん、仕事を次に進めよう。
悲しい、愛おしい物語だよなあ、これ…。

■ドン・ルイ・
手乗り男(違う)
息子を愛してる。凄い困ってる、めちゃ怒ってる、っけどそこに悲壮感がないのがなんか好きですドン・ルイ。別の作品のパパの「私ほどお前を愛する者はいない」と言ってることは同じなんだが、なんなんだろうこの爽やかさ。
息子に「エゴイスト」って言い切られるその評価は最終的にビタイチ狂わない。でも嫌悪がわかないのは結局、正直だからなんだよなあ。大きな愛と大ーきなエゴ。本物。
この作品の二大「うぉぉい正直だな!」な台詞はマリアの「言わないままで済めばそれでいいって思ってた!」とこの方の「息子が落ち着いてくれれば私はそれでいい」でした。あんたたちには「取り繕う」という概念がないのか。清々しいわ。

■イザベル。
不動のイザベル。(今考えた)
ドン・ジュアンにベクトルを合わせて居ながら、働きかけず、肯定し、笑い、超然と、見ている。「見守る」なんて優しげな在り方じゃなく、けっこう厳しくも冷たくもある視線で、彼の在り方、生き方を見下ろし続けている。ドン・カルロと同じ高さで、対極の居方だなと感じます。
彼女もちょっと人間離れしているというか、ドン・カルロとの語らいを見てるとなんか、二人の天使みたいだなと(優しくないやつね)。ちょっと引いて浮世を眺める、でもその中心にはドン・ジュアンがいる、その居方がとても好きです。「私は見てみたいけどね」とか最高に滾る。

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personages

ドン・ジュアン」キャラ雑感。順不同にコツコツ行きますー。

★★★ネタバレです★★★

■エルヴィラ
原典にも派生にもほぼ必ず出てくんのってドンジュアンと石像とこの人だけだよね。
一途で一直線、言動むちゃくちゃだけど一直線。ブレない止めない諦めない、悪いオンナにだってなれる…っていう「無理すんな」モードからだんだんだんだん「頑張るなあ‥」っていう尊敬に至る。
序盤、酒場で彼女が脱ぎ出すとこ(ものすごく無理をしてオンナになろうとする歌)とか、なんせ周りが男性だからもう本気で「うっわキツイ」モード入った。いや名曲だし彼女の歌も芝居もすごくいいんだよ!単純に、リアルに恐怖で竦んじゃうってこと。それでも突き進む。なりふり構わない。それがエルヴィラ。どんなに望みが薄くてもできることは全部やる120パーやる。
ビタイチ共感しないが本気で尊敬する。ドン・カルロってほんと客の思いを代弁してくれてると思う…。

■マリア
印象を一言で言うと「爽やかモラトリアム」。いや、ちゃんと職を持って働いてる人に申し訳ないんだけどなんかこう、いろんな決定事項を先送りにするタイプだなと(笑)なかなか新鮮なヒロインでした。ラファエルとどーゆー流れで婚約したのかの説明がない(幼馴染とか親が決めたとかベタな理屈あるんだろうけど)とことか、「無事に帰ってくるかわからないから婚約発表は生還してからね」って字面にすると相当アレな結婚へのためらいぶりとか。
それでも宝塚版は「仕事に生きてるから」っていう芯が前面に出る女性でしたが、今回ははっきり「石像、完成しなかったのか」なので、彼女もちょっと未完成な人間だったんだな、それがドン・ジュアンと出会って彼女なりに堕ちた(着地した)んだなあと、ある意味で腑に落ちるとこあった。ドン・カルロの「彼女を巻き込んだ」って言い草は合ってるけど、巻き込まれて正しいんじゃないのっていう。亡霊の導き先、ドン・ジュアンの運命の相手がこの子だったのなんかわかるなあと。よーするに天然でひどい(笑)そこがいい。
モラトリアムのマリアって語呂がよくないか。(私も酷い)

■ラファエル
序盤の仕事辞めてくれ発言でイラっとして、前半ではそこそこウザいなと思ってた(すまん)ラファエル、後半に行くにつれて彼の本気度、ブレなさ、力強さが輝きだす。クライマックスに向かって性根が据わっていき、本気の愛を証明していく。えらいよなあラファエルは。
しかし「合流まで半日」って戦線が近すぎてセビリア大丈夫かと思いました。これ17世紀ぐらいの話?なんだっけか?確かに南スペインなんて無茶苦茶いろいろあった時期なんでしょうが…。(そして帰りは船だった。戦場はどこだ。)

■ドン・カルロ
いい人ポジと思いきや。いい「人」じゃなかった。あれは人のレベルじゃない。一言でいうと超人?聖人?もはや天使?優しいとか親切とかそーゆー話でなく、"善"という属性に人を叩き込む、装置のような厳格さ。その力をドン・ジュアンただ一人に向けて、意思と感情のぜんぶをかけて友を「救う」ことを成し遂げようとしている。どこから来るのそのパワー。
二幕あたまの「恋が生まれた」の顔が最高に好きです。一幕ではエルヴィラを応援してドン・ジュアンの幸福を祈るモードだったのに、いざ彼が恋に落ちたらあの表情。いろんな解釈あると思うんだけど、「結婚=幸福」だけど恋はまずい、そんな本気の激情に飛び込んでしまったら早晩キミは地獄行き、そこまでしろとは言ってない…っていう話なのか。あるいは、恋に落ちて裏返ったドン・ジュアンの変化そのものに戦慄したのか。
この話を「ドン・カルロと亡霊の綱引き」って考えると最高に滾るよね。
別の面からみれば共同作業。やべえ調子出てきた。

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zapateado

「ドン・ジュアン」観てきました。

★★★ ネタバレです ★★★

あーーーーーーーー(満たされていく音)

いやよかった。面白かった。
って感想になるとは一幕40分ぐらい全く思ってなかった。
序盤はもうなんせ反感の塊(笑)作品でも役者でもない、登場人物ひとりひとりに対しての反感「ひどい」「うざい」「身も蓋もねえ」「悲しすぎ」…それに一つずつ一つずつ、納得なり理解なり、精神的な落としどころがついて行って「ああ…生きているからだ…矛盾も失敗も無様さも全部、彼らが生きてるからこそだ…。」っていう得心に至る。みんな「人間」だった、一人を除いて。その一人が人間にたどりついた時、物語は終わる。お見事。

なんせドンファンでドンジュアンでドンジョバンニ、ちょっとキャラに感情移入はできそうにないな…っていう印象を持ってました。
蓋を開けたら男性が入ってるぶん宝塚版より遙かにドロッドロ。パパもマリアもラファエルもいちいち正直すぎるしドン・カルロ報われなすぎだし亡霊しばらく出てこないし(無理を言うな)…

……って、ところからの大反撃。

「呪い」が始まる。
ドン・ジュアンは恋をする。
ああおしまいだ。そりゃ全てが変わる、仕方がない。
彼は変わる。彼女も変わっていく。話が全て裏返る。
幸福を知り、嫉妬を知る。
(恋の向こうには嫉妬という地獄が待つんだ。
 知らなかったのかお前かわいそうに。)
次第に次第に「人間」に近づいていく…。

いや正直「『ちゃんと恋するドン・ファン』とか設定が夢見がち過ぎない?さらにヒロインの名前がマリアとか?世界観お花畑?」て当初思ってたんですが(思ってました)、その「今更、まともな人間になろうったって」ってところをストレートに突いて、人生の終わりと人間としての勝利を同義に描ききる脚本わりと物凄いと思った。
いっぱい知りたいことあるしいっぱい見極めたいことあるし、短い間ですが追っていきたいと思います。

で、亡霊(本命)。

どストライク突かれると「いいの?」って左右に聞きたくなるとこあるよね圭吾ファンて(何でファンになったとしても本人多彩すぎて、次にそういう役に会えるまでけっこうかかるから(笑))。朴訥系も悪魔も策士も何でも好きだし、いつも出会いに感謝する結果になるけどさあ。
私は「人さらい」で惚れたのですよこの人。具体的には「マドモアゼル・モーツァルト」のシカネーダー。「Dream」のガイド。「AKURO」の謎の若者。誰かの魂を捕まえて、どこかへ連れて行っちゃう人さらい。ちなみに連れてくのに失敗すると溜水石右衛門になる。
ってむかし某先輩に言ったら「なるほどリトプリの蛇」言われて「だろうなー!!あれ間に合ってたら即落ちだったろうなー!」と思ったし今でも思うし。

なので今回、宝塚版の映像を見て「え…アリなの?こんなうまい話があるの?そこらじゅうで世界の(舞台の)隅にあるいは中央に必ず存在して主人公にしか見えなくて彼を結末に導いてく人外の存在で白塗りでフラメンコとかそんなぜーたくが今更ゆるされるの??」て思って、あまりに期待値高まりすぎて超、おそるおそる初日を迎えたんですが。いやあ。

いやあ。

(かかとの音)
(つま先の音)
(つま先シューッとやるあの音)

あーーーーー嬉しい。
姿も声も足音も、できるかぎり記憶に刻みたい。
ありがとうありがとう。

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