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2018年12月の1件の記事

マンダレイ2018

2018年「レベッカ」プレビューの感想なぞ今頃。
溜め込んじゃったので長い。

★★★ ネタバレです。★★★

「こういうのを求めていた」というMy初日でした。
うん初演の「頭上から審問会」とか再演の「動く板から出現波はとっても穏やかだ」とかノスタルジー止まらないし、今回も課題というかオタク的なツッコミはそりゃちょいちょいありますが、要というか大事なものに届いてくれたというか、やっと「レベッカ」を観た感じ。

レベッカは生きている。ここにいる。

そのこころはいろいろあるけど、主にマキシム。マキシムで全部変わった。
モンテカルロ時点で「うおっ」と思った。そのまま一幕通して「おぉ」「おぉ…」「いいじゃん……」とうなり続けて、ラストの演出変更(パーティから出て行かないで苦悩の表情で蹲ってEND」で大拍手。それだよ。これだよレベッカ。
マキシムが、すごくいい意味で、ものすっごく弱い。弱さ、傷、影、暗さ、孤独、からの「希望」というか。「彼女の愛にかけてみようとした」っていう、レベッカが作り上げた暗闇にとらわれてる人の、疑問符でこりかたまった希望のありかた。

なので「わたし」の傷つきっぷりもガンガン来る。平野Ver桜井Verを観ましたがそれぞれすごくよかった。序盤の萎縮しまくってる子供っぽさや自信のなさ、「そんな幸福が自分に訪れるわけがない」っていう思い込みと、それ前提の真ごころと愛情。モンテカルロでスケッチする彼女を見ながらマキシムが歌う曲とか、再演でこれ追加された時は超蛇足だと思ってましたが(すいません)、今はあれがマキシムの「よくわからない傷」を抱えたまま歌う歌、としてすごく自然。彼の表面の「希望」だけが見えて、じゃあなんでそんな暗いの彼は?っていう謎はちゃんと謎のままっていう。

そこへ満を持してダンヴァース夫人、なんの不安もなかったけど知寿さん最強だし涼風さん妖怪だし(誉めてんの全身で誉めてんのこれ。よくぞ作って下さった)。
周りがまた見事にかみあって絡まって物語が一気に流れていく…あぁぁ嬉しい。面白い。

次、観るのは大阪なんで先ですが、クリエで一ヶ月あるのが嬉しくてしゃーない。たぶんまたTwitter中心になると思いますが、長くなったらこちらにも書いて行きたいと思います。

以下雑感(まあこっちが長くなるよね(笑))

■マンダレイさまざま
マンダレイ到着からの流れ、とにかく大GJと叫びたいのがフランクがうさんくさくなったこと(言い方)。「ようこそミセスドウィンター、わからないことがありましたら」って彼女の眼をまっすぐ見て笑顔で語りかけるフランクはもういない。あくまで事務的。ここでフランクが優しくてマンダレイの恐ろしさとかわたしの気後れとかが相殺されちゃうのが前はすごく惜しかったので、この流れは今回のほうが好きです。
「フランクを呼び捨てにする」ということのニュアンスが「親友だから気さくに」じゃなく「女主人として動きなさい」になったように見えたのもちょっとドキッとした。マキシムが個人でなく「マンダレイのあるじ」として動く最初のしぐさに見える。
そんな心理状態だからカトレアの曲からのダンヴァースとのやりとりでもドキドキが深いものになるし、そこへ入ってくるジャイルズ夫妻が「はい息吸ってー!」ってやっと巡ってきた休憩タイムのごとくホッとさせてくれる(笑)。ベアトリスたちの気さくさ、「変人だけど仲良くね」ってさらっと彼女を受け入れてくれる、「長いつきあいになるわよ、お互いいろいろあるけど努力しましょう」っていうのが救いになる。

■フランクの話
原作のフランクの複雑さ、レベッカへの愛憎とかマキシムへの友情と罪悪感とかそういうものの混沌、大好きなんですが、それミュージカルの尺で表現したらタイトルが「フランク」になってしまうので(面白そうだが)。ミュージカルの「この人もなんかあるんだな…あるんだな…答え合わせはないんかい」という立ち位置も納得というか、やっぱ面白い役だよねフランク。「そして何より信頼できる、傲慢なところなどかけらもないひと」という歌い上げに、よくもまあそんなに詰め込めるなというニュアンスをこめ(詰めすぎちゃうのも禅さん)、明るい賛歌をみごとな「もういない彼女への罵倒」に貶める。やあ面白い面白い。

■カトレアとナイトガウン
カトレアの鉢が以前はすごい大きかったんだけど、あのサイズになってよかったと思います。以前は模様替えで「あのカトレアを片付ける」っていうところでメイドとダンヴァースに緊張感が走ってたんだけど、今回はその役割が「あのナイトガウン」に変わっていて納得と大笑い。いやナイトガウン仕事しすぎでしょ(笑)(笑)。
模様替えのシーンもすごくよくなった。「そこの鉢は片付けて」「窓はちゃんと開けて」を受けて動いてくれるメイドたちがいる、っていう流れがとても自然。
プロローグとエピローグのあれもカトレアなんだ?(わかってない)。これは舞台奥のレベッカの肖像画と同様、ちょっと感想は保留。今のとこ、特にラストのあれはちょっと冗長だよなーと思います。「過去の人物」たちの現れ方がとても好きなので、花?なに?って気を取られるのがもったいないってのもある。この印象が反転することを祈る。ごめん、今は心からいらない、あれ。がんばるところそこじゃねえよ火事のフィニッシュどーなのあれ(保留保留保留)。

■周囲の人々
「周りが真ん中を作るんだよ」はとある殺陣の先生の台詞だそうですが、これは本当で。今回すごくいいなあと思ったのがホテルでの「周囲の人々」、マンダレイでの「使用人たち」、パーティに呼ばれる「貴族たち」。礼儀正しく遠巻きに、そこそこ親切だけど、明るくて詮索好きで無責任、好奇心でいっぱい。これがお客の目線にすごくなじむというか、共感させられるというか。「その他大勢の感覚としてはこうですよ」「ですよねー!!!」っていう座りのよさ。貴族のゴルフの歌とか全面改訂されてたし、ホテルの「見たか!」「まさか!」の流れとかめっちゃ動線よくできてるし、この辺の作りこみ相当力が入ってるなあと(正しい。火事もめっさ振付よくできてたのでフィニッシュのあれが実に惜しい。まだ言う)。
ヴァン・ホッパーさんは「いくらなんでもアメリカの人が怒るぞ」感は今回が最高峰ですね。キャラとしてはより原作ライクになって、ある意味違和感ないんだけど(笑)。ただミュージカルのヴァン・ホッパー夫人は、それでも「わたし」がパーティに呼ぶただ一人の、知り合い以上身内未満の存在ではあるんだね、っていう「情」というか「あっこの人なりにこの子に責任を感じてんだな」感も大事なんじゃないかと思うので、その辺が見えればいいなーと思います。

■ファヴェルの話
どうしようもなく俗物。生きるのが好き。自分が好き。お金が好き。面白いことが好き。人の不幸は面白いから好き。たぶんこいつのそういうとこレベッカとは合わせ鏡なんだろうなと思われる。魅力的で最ッ低(笑)。原作のダニーはそういうファヴェル(レベッカを思い出させてくれるとこ)に親愛を持ってたけど、涼風ダニーの身内感覚見てるとその辺が重なる。かつてのシルビアや今回の知寿さんのスーパー塩対応もあれはあれで納得ですが(笑)。「あの方にとって男性は」の後でダニーを睨みつけるファヴェル、ここはダニーのキャラと動線によってぜんぜん変わってくるから要チェックですよね強請屋ウォッチャーの皆さん。
ファヴェルはお金が好きだけど、お金によって得られる快楽が好きなんであって、銀行の残高が上がっていくのが楽しいっていうタイプじゃないんだよね。「もちつもたれつ」ってそういう歌だなーと思ったりする。
しかし今回「ファヴェール」って発音してもらうのやめたのかなー。あれ好きだったんだけど(マキシムだけは初演から一貫して「ファヴェル」だったけども)。

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