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2018年7月の1件の記事

1789らんだむとーく2018-6

博多座「1789」観て来ました。

雑感はつぶやきで。
凰稀マリーまわりは長くなったのでこっちで。

二幕後半のベルサイユでの別れの場面。帝劇でも新歌舞伎座でも泣きまくったんですが、博多でまた扉がいろいろ開いたなあと。

ここがそもそも「革命が始まる」から始まる一連の場面なんだな、って認識したのは凰稀マリーが「去っていくアルトワの方を見やる」という仕草からでした。
あの「運命かけたマリーアントワネット」での王弟の深い深い一礼、あーゆー人だから感傷も未練もぜんぜんなかろうけど、たぶん敬意や身内意識はフツーに存在してるだろうし、それが王妃を追い落とそうとしていた行動とは別段矛盾しないあたりがアルトワなんだろうな、と思います。
そんなアルトワが一礼して去っていく。方へマリーが、ちょっとだけ向く。去っていった、っていう認識が行動に出てる。
からの、ガランとした鏡の間の背景。
これがパワーでなあ。一幕「全てを賭けて」で大勢の貴顕淑女がさんざめいていたまさにあの場所から、既に華やかな人々はいなくなってしまった。その静かな中でポツンと立った王妃が「ポリニャックありがとう」って語りかける。この、ほがらかで淡々とした自然な分かれ方と、場面全体から伝わってくる寂しさの対比がすごいなあと。

フェルゼン。
ひざまずいて手をさしのべて、亡命を全力で働きかけるフェルゼン。
「いいえ、私は陛下とともに」がすごく優しくて朗らかな、大仰じゃない自然な言い方で、ルイに笑いかけるように言うマリー。それに目を奪われながらも後ろでフェルゼンが崩れ落ちるのをすごく意識してるルイ(ここでフェルゼンが嗚咽のような声を発するようになったのも大きい)。
「もしご一家が危機に瀕する時あらば!このフェルゼン!」のくだり、もうフェルゼンの台詞は叫び声になってるんだけど。
これを直接受け止めるルイの目は万感満ちてるし、
正面に向いたマリーの表情はこれまた目を見開いて、ああこれ涙がこぼれないようにする目の見開き方だ…って思いました。

ルイ。
「一番会いたかった人ではないのか」
振り向いたら泣く絶対泣く、っていうモードで目を見開いたままだったマリーがここで切り替える。
「彼には、彼の任務がございます」っていう台詞の言い方で、ああ、本当にマリー・アントワネットはここで人間として完成したんだな、って思った。フェルゼンを愛してるし家族を愛しているし、単に生き方を選んだ、その結果を淡々と自分に落として、ルイに無限の親愛を向けながら彼の話をする、っていう。口調が、口調が。

オランプ。
さやオランプは自分をもぎ離すように「おいとまをいただきます」って言って、人生の一ページをここで終えて去っていく。
ねねオランプは「おいとま」といいつつ「永遠に一緒です」って言ってるように見えた。ある意味フェルゼンと同じというか。抱き合って「これでいいのよ」って言ってもらって離れていく、身を離して踵を返してゆっくり歩み去るんだけど、ひたむきに王妃に向けた眼差しがずっと残っていく。とにかく序盤のパレ・ロワイヤルのくだりで王妃に向けていた「ああこの子本当ーーーーに王妃様が好きなんだな」っていう笑顔と同じ眼差しだった。もうなんか愛しかねえよマリールート実装しようぜ1789マジで(だから何の話だ)。

そして歩いていくオランプをおそらく、彼女が視界から完全にいなくなるまで見送っているマリー。

それぞれの美しい繋がりを見せてもらったなあ。

…ちなみに「見送る」のはアルトワとポリニャックとオランプで、去るところをマリーが「見ない」のがフェルゼンとルイなのも深いなあとちょっと思ったりしました。前の三人とは「別れ」であって、後の二人にはまた逢うというか、「分かれていく人たち」と「いずれ、同じところにたどり着く人たち」っていう違いかもなあ、と。

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