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2006年11月の6件の記事

祝2

「Fate/Zero」告知。
http://www.fate-zero.com/

嬉しいよー。
嬉しさに公式から関連サイトからそこらじゅうのリンクをクリックして(全部同じFlashなのわかってるのに)無限とも思える回数見まくったよ予告編。

「Fate」の起源たる「Fate/Zero」。「Fate」でも「hollow」でも端々に気になる断片が飛び散りまくっていた10年前の物語。切嗣、言峰、セイバー、ギルガメッシュ、アイリスフィールと、わかってる登場キャラだけでもワクワクもので。凛パパも出るよねきっと。藤ねえも出てほしいなあ。

しかし最大のポイントの一つは言峰綺礼の髪型だったりして(^^;)アニメ版の回想シーンで「ギャーっ切嗣さん得物は銃ですかそうですかかっけーよ似合いすぎるよところで手前で伏せている手塚治虫の『MW』のガライ神父にそっくりな貴方は言峰さんですかなんすかその雑魚っぽさは」と衝撃を受けて以来、「楽しみ」のみだったZeroに一抹の不安が混じっていったんだった(^^;)。いや髪形がどうでも多分絶対10年前の言峰は今みたいな完成キャラじゃないわけだから、きっと一番衝撃を受けるだろうなと怖いながらもワクワクしてるわけですが(と書きつつ「男のカレン」で想像したらちょっとウケた。ズボンはいてなかったりして(爆))。

そんな私は目下「月姫」リプレイ中(本当ーーに観劇以外はTYPE-MOONで終わってくなあ今年)。ああぁ琥珀さん大好きだ。

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六本木ベルファーレが

なくなるそうで…世代的に感慨深いものは…ある人はあるんだろうなあ。

別に通ってたわけでもないのになぜこの知らせが心に留まったかというと、ちょうど10年前にここで行われたイベントを思い出したからで。
振付師の香瑠鼓さん主催の「バリアフリー・ディスコ・パーティー」。96年11月17日だったような(この年は今の道に飛び込んだ時期なので(笑)自分的に細かいことむちゃくちゃ覚えてるんですが)、あとにも先にも一回こっきり、あのディスコに足を運んだ日でありました。

車椅子ダンサーの方やLDの子供たちのユニット、客席もバリアフリー全開なイベント、お目当てはもちろん今の贔屓役者だったわけですが(今のFCの前身が立ち上がった時期だったなあ)。心に残るトピックといえば
・直前のSTEPS「Shocking!Shopping!」出演メンバーが思い思いのカッコイイ服装でトレメローズの「Ain't Nothing but a House Party」を歌い踊りまくっていたこと。
・…の中に当然まざっていた贔屓は深い帽子かぶって首んとこからパーマのけっこうボリュームのある付け毛しててこれがエライ格好よかったこと
・…そしてその直後の舞台の「シーソー」のバナナクラブという名場面ではまさにその髪型で出てきて踊り狂っておられ、その経験あたりから「どうも役者というものは自前の衣装で舞台に立つこともあるらしい」と認識し始めたこと(爆笑)。

(ちなみに「シーソー」は共演がー。こないだ観て来たロベスピエールの人とー。その前観て来た双刀の蝦夷の人とー。キーボードが玉麻尚一さんだったりー。うっわー時代感じる大阪まで行ったっけなあ)

最後のはぜんぜん六本木と関係ないですが(^^;)。
96年冬の白昼夢。懐かしいなあ。

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SEのフシギな生態

きたみりゅうじ作「SEのフシギな生態」。

3年くらい前に話題になったときにナナメ読みしたのですけど、最近また文庫版がよく平積みになってるので最初からじっくり読んでみました。
やっぱ面白いなあコレ。お客さんとの会話がズレていく、部下への指示が変に解釈されてとんでもない方向に流れていく、品質の「当たり前」のレベルのずれから外注さんとケンカになるetc、普段の仕事の中で生まれてくる失敗の数々を、マンガと体験談と反省のポイント整理でつづっていく。その失敗ネタの数々はSEなら自分ないしは隣の人が絶対一度は(おそらくしょっちゅう)遭ってるような御無体体験。

ホントは自分的にこういった仕事につながる書物というものがけっこう苦手でして。ノウハウ本は手に取った時点で「負けた」気分になるし(お高いね(^^;))、失敗談は身につまされすぎるから(笑)。人の失敗談を聞くと隅から隅まで追体験しちゃって、ものすごい疲れるし、それがさらに文句や警句だけで終わってたりすると、その嫌な疲れの持って行き場がなくなってしまうというか。

この本で美しいなあと思うことは、「よっぽどのことでなければ、基本的に改善のキーは自分にある(あった)」っていう視点で分析がされてることで。例えばむっちゃくちゃな商談をむっちゃくちゃな値段で営業さんが決めてきちゃった、なんて事例だったらフツーのSEはその営業さんを悪し様にののしって終わっちゃうわけだけども、「この段階で、こうしておけば、少なくとも状況をこうできた」という、いい意味での振り返りを行ってくれていることがよいなあと。
まだまだこの業界自体が若くて若すぎて、SEの仕事のやり方というのもいろんな試行錯誤の真っ最中、その合間で金銭面も技術面も仁義面もいろんな「なんじゃそりゃ」がまかり通る中、「本当は、当たり前のことを当たり前に気をつけて進めていくことでこういう失敗は回避できるんじゃないの?」ということを、とてもわかりやすく語ってくれています。

本のラストの一章は「実用的…かも知れない仕事術」。これが新人さんにもけっこう分かりやすい内容なので、毎年新人研修で回し読みされてるみたい。「要求定義とはこういうもの」とか「大きな仕事は分割していっこいっこつぶそうね」とか「どんな仕事も『目的』があるんだからね」とか「スーパープログラマーはそのうち仕事なくなるよ(笑)」とか、単純だけど重要なことを4コマでイメージしやすくまとめてくれてて、プロジェクト管理術本の解読やら教育やら実践やら評価やらに苦心惨憺してる中堅SEもたまには立ち返って読み返すようにしたらいいかもなと思いました。

なんとなく笑えるのはオビや背表紙のあらすじに「就職・転職に効くノウハウも満載!」と書かれていることで。内容はむしろ転職思いとどまれば?寄りだと思うのだけど、こういう言葉が売り的に大事なんだろうかなあ。

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もしも願いが叶うなら

「AKURO」終幕から10日ばかり。
この作品が再演されることがあるかはわからないけど、もしそんな日が来たら、こんな場面も観てみたいなあ…と思ったところをまとめてみました。

初見の一幕を観終えて「うっひゃあ…すっげ好み!」と思った後に「この後こんな展開があったらいいな」と思った部分。設定、キャラクター、ストーリーそれぞれがとっても魅力的なところから想像した部分、脚本には書かれていないけれども折角こういう設定ならこういうところも見たかったなあ…と思った部分。
集約すると、やっぱり登場人物同士の交流なんですよね…ということで組み合わせ別に。

■アテルイと田村麻呂
一幕終わりで高麿が「将軍の言うとおりだ」って言うのに対して、若者が珍しくフイをつかれたように「あ?」って反応するとこが好きでした。二幕の「とうとう牙を剥いた、あの男」とか、田村麻呂がラストでアテルイの幻を目にして必死で目の前から振り払おうとするところとか、この二人の因縁が匂わされてる部分もけっこうあるのですが、歴史的背景に前提知識(あるいは先入観)がある人とない人でずいぶん、このアテルイと田村麻呂の関係についての理解度は違ったのではないかと。
蝦夷の側から語られた「アテルイは騙されて殺された」という「真実」に対して、高麿がその真偽を将軍に問いただして田村麻呂がアテルイを死に追いやった経緯を明かすとか、それで初めて「ヤマトの側にも、蝦夷の側にも、御伽草子とは違う真実があった」ことに気づくとか、そういうストレートな対比構造があってもいいんじゃないかと思いました。
今だとやっぱり高麿除いてヤマトサイド全面的に悪役!という作りに見えちゃって、アリにはアリですが、勿体無いなーと。

■源太と高麿
源太が裏切ったこと自体は仕方ないんだけど、それに対して高麿がもうちょっと後悔する一面が欲しいです。長年一緒にやってきたわけで、旦那様がどーゆー人だかいちばん分かってたのは源太で、ああいう高麿だから源太の夢のことだってちゃんと思いやってたと思うんですよね。
あと、高麿の方向音痴キャラをもっと発展させて、源太にはぜひそこをツッコミまくって欲しかった(笑)。そいでアケシを連れて達谷巌で道に迷いかけた高麿が「源太」って呼びかけたら源太はいない、そして一瞬、落ち込んだ高麿の前にオタケが現れてクールに「こっちだ」って急かす、とかさ…はい、ベタですけども…(^^;)。

■アケシとヒトカ
前半のヒトカのアケシに対するいたわりが細やかであればあるほど、ヒトカが殺されたことに対するアケシの心の流れがもうちょっと深く観たかったなあと。「ヒトカは死んだのね」っていう言い方は好きですけども(ここ、アケシは目が見えないのに高麿が頷くだけなのは気になったなあ)。
高麿やオタケとの語らいの中で、アケシのほうはヒトカの真心に対してどう思っていたのか、そこが聞けたらもっとアケシやヒトカのキャラを深く感じられるだろうなと思いました。

■アケシと田村麻呂
「将軍ここは あなたが愛した 蝦夷の大地」という高麿の言葉があるけれど。
田村麻呂という人が、もともと日高見を愛し、蝦夷の娘と知りながらアケシを愛し子を成して、蝦夷との共存を願った人でありながら次第に変質していったのか、そうじゃなくてホントに最初から「蝦夷は人ではない」と思ってアケシを利用しただけだったのか…まあ今のストーリーで素直に蝦夷たちの目から見たら後者になっちゃうんだけど、当のアケシと田村麻呂はどう思ってたんだろうなと。高麿の「姫までおられる」発言に動転する田村麻呂の姿を見るに、そのあたりもうちょっと優しい要素があったんじゃないか、そうだったらいいなあ…と思いました。姫は死んだって決めつけられてることもさびしかったなあ。

■オタケとアケシ
…これは単に好みの問題でしかも単純な話なんですが(^^;)、アケシにはオタケのこと「兄さん」って呼んで欲しかったなー。
オタケからアケシへの怒りや労りっていうのはいろんな台詞や表情から伝わってくるんだけど、アケシの側はどう思っていたのか。ヒトカの恋人として、蝦夷の娘として日高見で生活していた頃のアケシがどんな娘であったのか、そこをもう少し見てみたいなと。

■アケシとアテルイ
「エミシの戦い」でアテルイがアケシに手を差し伸べるけど、もう自分から救ってやることはできないアケシに対して見つめる目であるとか、一幕ラストでアケシが「アテルイ…」と呟くであるとか、細かい伏線はあったのだけど。
鈴鹿御前は田村丸に寝返ったことになっているけれども、アケシは一応、平和の使者としてアテルイを説得したわけで(そこを「アケシは蝦夷を裏切った」と勘違いしてた人もいたみたい)、なのにアテルイは殺された、ということに対するアケシの罪悪感と、そもそもアケシがこの件全部の犠牲者になったことへのアテルイの罪悪感、これを昇華する流れが欲しかったなと。

■白い鹿と謎の若者
この二人(?)はやっぱり半分くらい同じ世界の生き物(?)なわけで、白い鹿が高麿を選んだことと、「若者」が高麿を選んだことと、そこがリンクするシーンが観てみたい。まあ白い鹿はそこに在るだけの存在なのが正しいのかもですが。
…本当の本音はこの二人のデュエットがもっと観たいってだけかもですが(^^;)やー勿体なすぎるって本当にこの設定でこの顔合わせでほとんど一緒の踊りないのってー(T_T)。二幕で剣を渡すシンクロの踊りが超絶イイ雰囲気なだけに。達谷窟で若者・高麿と鹿がすれ違うシーンで踊るとかなんか、もう少しでいいからー(T_T)。

…最後に妙な欲が出ましたが(^^;)
やっぱりキーはアケシなんだな。彼女がこの物語すべてにおいて「受身」だったことが観ていてさびしかっただけかも知れません。結果としてなーんか一方通行だった男性陣(高麿ですら)も、翻弄されるアケシも可哀想に思えました…これかなり好みの問題かもですが。
アケシが高麿に「でも会えた、優しいヤマトに」って言うシーンが本当に好きでした。ああいうの、っていうと語弊があるけど、とにかくアケシの側からオタケやヒトカや田村麻呂やアテルイに返していく言葉や気持ちの流れ、そういうものが見えたら、さらにこのお話が好きになれるんでないかなと思っております。

いつかそんな物語も観てみたいなあ。

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マリー・アントワネット観てきました

ふと思い立って、チケットを探してみたら良席を譲っていただくことができ(^^)
「マリー・アントワネット」を観てきました。
ひさびさにチャリで帝劇だわーい、と出かけてみたら……す…涼しい…(戸外が)
7・8月の日差しを思うと嘘のようです。日陰を選ばないで走れるって楽だ(笑)。

で、M.Aですが。★ネタバレです★

幕が開いてまず思ったのが
「ああ、こないだ原作読み返しといてよかったなあ(笑)。こりゃギャップを楽しむだけでもネタ満載だわくわく」

二幕中盤くらいまでいってようやく思い至ったのが
「…ああ、こないだ原作読み返したのが大失敗だったなあ(^^;)」

でした。
何がまずいってこの話で一番期待してたのはアニエスでしたから自分(T_T)
「どうもわからん…設定が全く違うのはいいとして、アニエスの出番があまりなさそうなのも予想しないでもなかったし、それにしても何かが足りない………いっぽう笹本マルグリットはむちゃくちゃカッコいいのに、なーぜか一貫性のなさみたいなものを感じる…なんでだろう」
「…これってもしかして原作のアニエスのジレンマを、全部マルグリットに持っていったってことですかい?!」と気づくまでめっさ時間かかっちゃった。人間のあるべき姿を目指して革命に力を注いだのに、流血に幻滅していったアニエスの思いみたいなものを、マルグリットが心に抱える虐げられたものの怒りに素直に「足しちゃった」結果、なんだか精神的に大変なヒロインができちゃったワケだなあ。結論からするとアニエス出す意味はなくなっちゃったんだな(T_T)(…のに妙に「修道院時代の先生」とかオリジナル設定が細かいのはなんでだ(^^;))。

失敗その2は別に私に限ったことじゃないけれども、やっぱ時代と登場人物に対する先入観がありすぎることで。
オリジナルを除くほとんどの主要人物に「みなさんもうご存知の」っていう定冠詞がついてて、例えばフェルセンとアントワネットの間の恋心なんかは「前提」になっちゃってて、二人が恋しあうまでのことは特に説明されない。にもかかわらず描かれる二人のキャラクターは結構な深みがあるから、一般に語られている二人じゃなくて、この、涼風マリーと井上アクセルという二人がどういう出会いをして、アクセルがあーゆーキャラキャラしたマリーのどこに惚れたのか、とかそういうあたりまえのステップを飛ばしたことがずーーーっと続く違和感の元になっちゃうんですね。
ルイ16世の子供を愛する心も然り、オルレアン公の野心も然り、首飾り事件やヴァレンヌのあたりのすっ飛ばしぶりも然り。「この物語上の解釈を説明するね」で済ましちゃうくらいなら全くやらないほうがいいと思うんだよな。

そんな中、気に入ってしまったのが、原作であまり描かれていない、史実やフィクション上でもあまり「お約束」のない(と思われる)人たちで。
・ランバル候夫人。王妃や王子に自然にタメ口きくマイペースさ、独特の雰囲気、気負いもなく怯えもなくナチュラルに流れていって悲劇に至る、その在り方が好きでした。(散歩に出て殺されちゃったみたいな結末にはあんまりだーと思いましたが)
・福井さんのロベスピエール…あぁぁカッコよかった。
・キャスト表見てバンザイしてしまった(笑)高橋愛子ちゃんのマリー・テレーズ。ヴァレンヌで捕まったときの凛とした表情でグッと来ました。母親とフェルセンのキスシーン(おい子供に隠せよ!と思ったらマルグリットが隠してくれた(^^;))の後、出て行くフェルセンを見送る表情とか、さすがキャラ立ってます。
・ローズ・ベルタンたち3人が歌うパリの流行は…みたいな曲が気に入ってしまって困った(^^;)脚本的にはあそこであの場面入れるのはいろいろとぶち壊しだと思うんですが、トリコロール茶化すところとかジロンドやジャコバンを「流行」で片付けちゃう、あーゆーノリは単体では大好きです。

ほか、ぷちツボはいっぱいありました。
・アキラさんの前髪が「鋼の錬金術師」のハボックさんに似てる…
・アキラさんのロアン大司教がアニメ版ベルばらのローアンそのまんっま(笑)
・ギロチン発明の流れがやっぱり茶化されちゃってて残念だったけど、ギヨタン博士とルイのシーンはシュールすぎて逆に快感(^^;)。
・「王と王妃ーーーー」ってマントを広げて走っていく錬金術師様はあれ、何カワイイって表現したらいいんだろう…。

etcetc。
総評しちゃうと、一幕では「なんっじゃこりゃあ」と思いましたが二幕の雰囲気はわりと好きでした(いや設定上の「なんじゃそりゃあ」は山ほどありましたがベルばら好きなだけでそう史実詳しいわけじゃないし(^^;))。ジャコバン・クラブの歌とかマルグリットの葛藤とか、終盤のおっかなさとか民衆のおどろおどろしさとか、幸福でも美しくもないただの「ひとつの終わり」だけであるラストとか、最後にマルグリットが差し出した手を取るマリーの手つきの優雅さとか、心に残るものもたくさんあり。
………なんかホントにいろんな人がいろんなことを言っててあまり全部腑に落ちてはいないんですけどね作品全体的に…(^^;)。

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「AKURO」語りのこし

いまだ「AKURO」脳内映像にしがみつきつつ、今回の公演で思った点いくつか。

■シームレス
TS作品でいつも素晴らしいなと思うのが場面転換の鮮やかさ。というか、自然さかな。「砂の戦士たち」で劇団モードと戦士たちモードが切り替わるタイミングも鮮やかでしたが、今回も本当に場面から場面へお客をスムーズに誘導していってくれます。
特に好きなのが高麿が鈴鹿御前のくだりを歌い出すところ、それから歌い終えて「探索する高麿」に移るところ。二幕で若者が高麿に「城へ行ってみな!」と告げて高麿が走り出ていって、若者が中央に佇んで正面を向いた瞬間にワーッ!!!と蝦夷の叫び声が轟くところと、そこからの一連。歌い終えた高麿が一旦立ち上がって舞台奥に向かってひれ伏して、田村麻呂の「それで?」に繋がっていく部分とかも。
…いや、本来はこういうことって基本なのかも知れませんけれども。なんせ一年間の観劇の過半数は「転換」といえば「暗転・仕切りなおし」に決まってるじゃないデスカという芝居を観ているもので(^^;)こういうことでいたく感動してしまうんだった。

■中塚皓平君を語ってみる
二幕頭のソロがすんごいカッコいいのと、腕フェチ魂をくすぐる両腕の長さ(笑)とで、段々注目して観るようになった中塚皓平君。
・若者が高麿を連れ出すとこ、上手で踊ってる黒い人たちを若者が一人一人つついて揺らすような振りをするとこの最後にいるのですが、上半身ぺったり倒して真上にまっすぐ立ててた片足をすごく軽くひょいって払われて、そのまま全身を一本の棒の様にしたまま180度回って直立するところ。時計の針がぐるっと回るような動きが、見とれるほどスムーズで無駄がない。
・二幕頭の仮面を被ってのソロ、即宙はホント見事なまでに高くて綺麗で正確。でその後客席から集まってくるメンバーと合流して、仮面を取って踊りだすのだけど、その仮面を取って舞台袖に投げ捨てるところ、正面をしっかり向いたまま正確に同じ場所へ仮面を飛ばすとこが、あー基本的な地味なことを地道に稽古してきたんだな、と…いや余計なお世話だなこれは(^^;)。
・あと「エミシの戦い」とかむちゃくちゃ活躍してるし、二幕で若者が刃を掲げてるシーンの後ろとかでも、どうやらすごく綺麗に跳んでる(←なぜ急にザッパになるかというとごめんなさい別の人観てました(爆))

■ミュージシャンを語ってみる
「AKURO交響楽団」「AKUROフィルハーモニーオーケストラ」「日高見の音楽隊」等々、駒田一さんにさまざまな名前で紹介されていたミュージシャンの皆様。個人的には三日目くらいの「AKUROバンド」がシンプルかつシャレっぽくて好きだな(笑)。
今回当然、和のメロディで構成されていたわけですが、イントロはじめ胡弓みたいな音とか全部ヴァイオリンなんですよね。すごく素敵でした。
あと、今回に限らないのかも知れないのですが、太鼓の使い方が本当にカッコいいなと…二幕頭や終盤手前の太鼓技以外にも、「阿修羅のように」の間奏で入る太鼓とか、ひとつひとつがホントに緊張感を際立たせてるなと。ラスト大立ち回りで盛り上がりに盛り上がった曲がイサシコのソロでバーンと終わって一瞬静まり、降りしきる雪の中に太鼓が鳴り出して登場するは双刀構えしオタケ!っていう「絵」と「音」の合いっぷり。
舞台上でも和太鼓を叩きまくって下さってる高篠雅也さんは、ラストはTシャツでバチだけ持って現れるのですけど、せっかくだから二幕頭のカッコで出てきてさらに喝采を浚ってほしかった(^^)。

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