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2005年9月の5件の記事

たまには本の話

「Mozart!」三昧の今年、公演日程のぽっかり空いた9月。
…でも大抵の人は空いてるどころじゃなかったろうな(笑)。

かくいう私も贔屓のライブが10・11と2日間、それに向けたワクワク感やら終わってからの余韻やらであっという間でしたね。「エリザベート」観たかったけど、「観たい」と思ったときには日程的に取れる状態じゃなかったし(^^;)。
…また再来週から休みなしですが。

そんな今月の読書記録。

ウォータースライドをのぼれ(ドン・ウィンズロウ)
ドン・ウィンズロウのニール・ケアリーシリーズ、全5巻の4巻目。
ジャンル的にはなんつったらいいんだ…ほのぼのジェットコースター、青春ハードボイルド?
シリーズ1巻(ストリート・キッズ)が出た時、なんとなく手にとって読んだらば、主人公の爽やかさ展開の小気味よさ、ラストのどんでん返しっぷりにすっかり惚れこみまして。で、続きが出るたびに飛びついて読んでるのですけど。
話的にいちばんワクワクしたのは1巻、いちばん心に残ってるのは2巻(キツイけどほんに感動しましたわ…)、いちばんハラハラしたのが3巻(あんまりにも話の展開が怖くて、それを読んでた自分が名古屋「ラ・カージュ」の千秋楽に向かう途中だった、とか妙なディテールまで覚えてる(笑))、そしていちばん笑ったのが今回の4巻かなあ…ウィットが効きすぎて元ネタが霞んでよくわからなくなるくらいの秀逸なパロディやジョーク満載。日本人にピンと来るのはそのうちある程度の部分だけなのでしょうけど、それでも「マイ・フェア・レディ」ネタやらマスコミ狂乱の描写やら、ニヤニヤが止まらない一冊でした。…あと、チョイ役でひとり日本人が出てくるんですけどね…2巻でとっても感心していたウィンズロウの「東洋」感に対する尊敬が根底からグラつくヘンな人でした(笑)。

女の一生(遠藤周作)
ずいぶん昔、読んだのですけど。
きのうたまたま本屋で文庫版が出てるのみて、ちょっと立ち読みしたら涙腺決壊して鼻水出そうになった(買えよ)…。自分的には浦上の切支丹の根底イメージってこれなんだなあ。

竜とイルカたち(アン・マキャフリイ)
「パーンの竜騎士」の最新作。「えー私の贔屓の○○はちょっとしか出ないのね」と残念に思いながら読み始めて、いつの間にか新しい主人公にすっかり惚れこんでしまう、といういつものパターンで読みきりました(笑)。着陸当時のエピソードからの伏線が後世の誰かの運命に繋がっていく、そのワクワク感とか、固有名詞で「おおぉ、繋がった!」と思ったときの感動とか、出逢って欲しい人と人が出逢ったり、サクセスして欲しい人がサクセスしたりを見ていく喜びとか、やっぱりこのシリーズ大好きだなと。
ただちょっと今回、棟梁方の中途半端な活躍ぶりが気になる(^^;)。このシリーズってパーンの指導者クラスを追っていく「正史」みたいな巻と、その出来事の裏で、普通の人々が織りなしていたドラマを追う巻と、大きく分けて二つの流れがあるのですけど、今回の「竜とイルカたち」は「どっちかにして欲しかったなあ」という詰め込みすぎ感覚がありました。前半は前の「竜の挑戦」のサイドストーリーで、後半はいきなり正史メンバーが急に暴れだすみたいな。えー、この人そんなに悪くなかったのに、急に悪役にされてかわいそう…な人が話の展開上コテンパンにされてたり、それだったらもうちょっと話引っ張っても良かったんじゃないの?ていう主要メンバーに活躍する暇がなかったり。ううん、そのあたりは次巻に期待…でもまた新しいよい子が出てきちゃうんだよな、パーンは(^^;)。

ゼンダ城の虜(アンソニー・ホープ)
クリスティーの「運命の裏木戸」で、タペンスが昔はまってた小説として出てきて以来気になってたのですけど。森薫さんの「エマ」の6巻でこの話がネタになってたのでまた気になって、取り寄せて読んだ(爆)。面白かった…!!
正統派おうきゅうのいんぼう、カッコいい主人公、誇り高いヒロイン、小粋な仲間たちに、優雅な悪党(これがまた!)。そして「主人公が○○と瓜二つ」という設定!王道!ブラボー王道!!
…続編書かずにやめときゃよかったのに、作者…ッ!!
(いえ今、続編の「ヘンツォ伯爵」の途中なんですけども。ハッキリ言ってペースが落ちまくり(T_T)終わって「イヤごめん、良かった!」って言えるといいなあ(T_T))。

トヨタの現場管理
番外。こっちは仕事の論文ガラミで読んだ…感動した…。
まさに「仕事の教科書」ですね。

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ゲキ×シネ蛇足(キリシタンの描かれ方について2)

最後に。
「SHIROH」に登場するキリシタンたちの描かれ方について、キャラ別にもう一度振り返ってみました。(もう全然ゲキ×シネ関係なくて本編の思い出話になってますが(^^;))

■四郎
この作品、ギャグを除いていちばん笑ってしまった台詞は伊豆守暗殺を企てた四郎の「我らは侍じゃない、キリシタンだ!お前らのしきたりなど知らない!」でした。率直に「すげえ」と思った…これだけ理不尽かつ無茶苦茶言ってるのにこんなにカッコいいってどういうことだ、と…(^^;)。そういえば冒頭の「罪知る者を罪知らぬものが裁くというのならその裁き、この四郎の刃が覆してくれる!」も、落ち着いて考えたら「えっそこで刃物出しちゃうのはいいんですかキリスト教的に!」っていうツッコミが生じるはずなのですが(笑)そこで押し通せちゃう迫力と説得力オーラ、さすがです(笑)。
でも根本的に四郎さんはそういう「矛盾」をわかって行動しているように見えて、そこにつくづく惚れました。
マトモな信仰だけで突き進んでくんじゃリーダーも戦争もやってられない。だけどやっぱり心の底はキリシタンだから、なんとか自分の納得のいく信じかたを探すこともやめられない(でも見つからない)。…やっぱし君の弱さが好き(T_T)。

■寿庵
この人は甚兵衛さん以上に政治家の厳しさを持った人だと思うのですけども、なんていうか信仰そのものについてはドライというか冷静な感じで、そこがほんと頼もしい。神さま信じてます、今日のごはんどうしましょうか、ていうのを別に考えられるタイプで、四郎にはホントにぴったりだと思います。ある意味敬虔さからは離れてるんだけど、こーゆー人がいちばん他人に優しい信者になれるタイプだと思う。(…でも彼女だけ十字の切り方が逆なんだ(T_T)それが惜しくてなー)。
ひとつだけ違和感を感じるのが、食料庫でお蜜さんが糾弾されるシーンで寿庵が急に剣呑になるところ。「罪を知る者」キリシタンとして、人を責めるのに「ユダだ」はあまりにも暴力的なんじゃないの、と…。そういうキリシタンもいたと思うけど、狂信とか感情的な役割って甚兵衛さんやお福が持てばいいわけだし。どうにも寿庵がキャラ違うなあ、という違和感が捨てきれませんでした>食料庫のシーン。周りを煽動したいとか政治的な意味があるならともかく、その場には身内しかいないんだから、処分するかしないか冷静に決めればいいのであって、本人を追い詰める必要ないじゃん、と。

■シロー
「SHIROH」観つづけて●●回(数えてねえ)、ほんっとにほんっとーに納得行かなかったのが「何で君が急に神様のせいにする?」てことでした。「これが神の仕打ちか!3万7千の命くれてやる!」という言葉、島原の四郎が言ったんだったらここまでのもの凄い重みや苦しみがカタストロフィにバシっと繋がったと思うけど、天草のシローが言うんじゃ「なんで!君いつからそんなに神さまに賭けてたの!」て違和感が大爆発。
…ところが、大阪大千秋楽のカーテンコールで、「まるちりだよー!ま!る!ち!り!」とコールしているアッキーを観てて、キリシタン的に頭クラリとするのと同時に、なんとなくそれまでの二ヶ月間の違和感が昇華しちゃったところがあり(^^;)。
「そうか、シローにはよくわかってなかったんだ」と…。
殉教も聖戦も、神様も宗教もラスト・ジャッジメントも、シローには理解できてなかった。ただ純粋な子供が「No!」って叫んだ、それが「皆殺しだ!」なんだと(違うと思う方すいません)。
そんな気持ちで観たゲキ×シネ、お蜜さんの死から「3万7千…」まですごく丁寧にシローのアップを追っていくので、シローの感情の高まりと爆発のところがホントに胸にザクザク来ました。今更ですけども、ちょっと嬉しい再発見でした。
でもやっぱり、シローには最後まで、海の向こうへみんなを連れて行こうとして欲しかったけどね…。

■お福
同じく大楽のカーテンコールの「殉教しましょー!!」にクラクラ来ました…すいません、マジにとっちゃいかんのはわかるのですがこういう客もいていいよね(^^;)。
お福に関しては一人の純粋な信者だって思えばいいのかも知れないけども、やっぱり最後の「違うよ四郎、私たちは進んで戦っているの」には「なんで」と思わずにいられなかったです。信じることと戦うことと全然矛盾しないと思ってたのか。求道者だったのか狂信者だったのか、そこのところ最後までピンと来なかった。

■甚兵衛
ホントこの方、大好きなんですが。シローよりもお福よりも謎でした。
神の御子伝説作戦を企ててがんばってたのはわかる(あの「ヘイユー四郎」って分かりやすさといい面白さといい設定をパシっと観客の頭に詰め込む説得力といい、最高じゃないかと(笑))、伊豆守に踊らされたと悟って狂乱するのもわかる、最期に十字架握って「死に場所を見つけた」って言えちゃうのがわからん。キリシタンとしてじゃなく、陰謀家として終わって欲しかったなー。

■お蜜&リオ
何度か書きましたけども。
キリシタンであるなしは置いといて、ホントに純粋に神様の近くにいたのは彼女たちなんだなあと…。
救おう救われようとしてくれればそれでいいんだよなあ…信者って宗教を難しくしちゃうんだよな。
そーゆー意味ではホントに、これだけ混乱させてくれたこと自体が「SHIROH」で描かれるキリシタンのリアルさかも知れない(^^;)。
矛盾だらけですよね、信者もそうじゃない人も。

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ゲキ×シネ蛇足(「まるちり」について)

これ公演中に書こうか書くまいか迷って結局書かなかったんですが、ゲキ×シネ「SHIROH」観てとってもいろいろとまた胸に込み上げたものがあったのでひとつまとめてしまおうかと思います。劇中のナンバー「まるちり」について。(あまり面白くないですが)

小学生の頃「まんが日本の歴史」で読んだ島原の乱の記述は衝撃的でした。
飢饉と厳しい年貢、キリシタンの弾圧(踏絵の話なんか子供にはホントにきつかった)、「蓑踊り」みたいな物凄い刑罰まで登場してくる恐ろしい土地で、十字架を持った十代の男の子を心の支えに、農民達が立ち上がる。でも一揆勢は全滅して、その少年も殺されてしまい、キリシタンの弾圧も続いていった…という、なんじゃそりゃ、そんな悲惨な話があるか、というストーリー、いえ歴史。かなりデフォルメされてる記述だったのですけども、教会で聞いていた日本の殉教者の話とリンクしていっそうひきつけられたことをよく覚えています。

普通に生きてくことが極限状態な(凶作で食べ物もない、税を払わなければ蓑を着せられて火をつけられて焼き殺されたり、臨月の妻を川の水に数日間つけっぱなしにされて子供もろとも死に追いやられたりした)人たちが「天国という場所が確かにあって、信仰を捨てなければそこへ行ける」っていうことを確信できていた、それが彼らにとっての宗教であったんだと思うわけです。この辺はたとえ自分がクリスチャンでも現代の日本人(「服あふれ靴あふれ籠にパンあふれ足るを知らざる国となり果つ」)である以上、実感できるものではありませんから、想像するしかないんですけども。

キリスト教もこれだけ歴史も長く流派も多ければいろんな考え方あると思うんですけども、自分的な解釈では殉教者って「信仰を捨てるのを拒んだために殺された人々」ですから、主君の為に死ぬってのとはちょっと違うかなあ。うまく言えないけど「指輪物語」のサムの台詞で「そのまま道を続けてってそれから、全部が全部めでたしめでたしで終わったわけじゃねえのです」てのに近い感じ…もうその道を行くしかないっていうのか。
為政者にとって秩序をもたらす仕儀であり、信者でない人たちにとっては異端者に対する当然の罰であった処刑を、せめて残された信者くらいは称えてあげなきゃ救われないじゃないの…ある意味、殉教者を称える行為ってそんなところかな、と思うところもあり。すごく一面的ですけども。

ただ、牢屋に閉じ込められて、明日、死ぬしかない人たちが絶望していたら、指導者である甚兵衛が、せめてみんなを落ち着かせ最期まで幸福でいてもらうために「これは殉教なのだから」と諭す、ていうのはアリだと思うんです(現実に日本でも外国でも、そういうことはたくさんあったはず)。

だから「まるちり」の場面は半分納得、半分は「そーか…?」て感じなんですね。甚兵衛さんの「殉教じゃ!」は指導者(=煽動者)のパフォーマンスとしてわかんなくはない、けどそのまま「そうだ、殉教『しよう』」ってみんながトランスに入ったり、「あきらめるな!」っていうシローに甚兵衛が「自由などない!」と食ってかかるあたりでは「甚兵衛さん何がしたかったの?」と反感を持ってしまう…これって「キリシタンはこーゆーもの」ととるか、「益田甚兵衛がそういうパフォーマンスでみんなを乗せている」ととるか、皆さんどっちなんでしょう。

まあ「SHIROH」のキリシタンたちはああいう人たちだったんだ、ていうことで納得することはできるんですけど。ここでヘンに頭に押し込めちゃうのも逆にもったいない気がするので、DVD見ながらまた考え込むんでしょう、私は。

【追記】「まるちり」で検索されてる方に向け用語追記します。↑そもそもの意味について語ってなくてすいません(^^;)。
「まるちり」はラテン語や英語でmartyr(マーティアとかマルティルとか)、主に「殉教者」を意味します。キリスト教の表現上、よく出てくる言葉なのでミュージカルの歌詞にも時々登場します。「レ・ミゼラブル」の司教様の歌でも「By the witness of the martyrs」がありますね。(闇からあなたを…のところ)

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ゲキ×シネ蛇足(映像編)

その他雑感。(あとからあとから書きたいことが出てくるなあ、「SHIROH」は…)

「SHIROH」のタイトルがスクリーンに映し出される瞬間は劇場でも肌がザワッと来る程感動しましたが、映像版でもカッコ良かったですね。「違う!違うんだ!私は天の御子ではない!」のタイミングにザッ!とタイトルがかぶって「貴方こそ天の御子!」という全員のコーラス、群がるキリシタン達の中で苦悩する四郎…そして、タイトルにかかる二人の天使が二つの骸骨に変わる映像。いやー好きだ。

ただ、それ以降のシーンでは、もっとモニターの絵をからめればいいのにな、と思った部分もありました。「花の紅天狗」のDVDみたく、舞台ではスクリーンに出してた映像を画面に重ねちゃう効果をもっと入れるのかと思ってたのですけど、そういうことはなかったですね。「耕したい男No.1」の文字が四郎さんのアップの背後にでかでかと入るとか、「いつまでもともだ…」で一幕のしげちゃんかっちゃんの幸せだった(爆)シーンがフラッシュバックするとか、そういうわけのわからない加工を一人で妄想して喜んでた身としてはちびっと残念(笑)。

スローモーションはそれぞれカッコいいし効果も楽しいんだけど、全体でどこか一箇所、せいぜい二箇所が限度じゃないかなあと思いました。(「今行くよー、かっちゃーん!」で入ってたのにはお腹よじきれましたけども)。最初のインパクトが薄れると「またか」と思ってしまうので…。特に上川さんの殺陣はー。一幕ラスト、下手から上手まで敵を切り飛ばしつつ、じゅばじりざくずざばさっ!!と駆け抜けるシーン、ああいう凄まじい見せ場はあえて加工しないで、スローモーションもカット割りもなしでロングがいーと思う。こればっかりは好みですけども。

あと、アップが多いのは嬉しい反面、全身から見えていた印象も大事だなと思った面もあり。特にシローはアップもいいけど、最初の凧のシーンで奥から走り出てくるところにあるような、華奢な印象もすごく大事だなー、と思うので。一幕の衣装好きだなあ…。
凧といえば後半、伊豆守のとこから逃げ戻ったお蜜がシローの歌を聞いてフッと崩れるところ、映像だとお蜜さんの表情をずっと追ってくので本当ーに泣けてきました。

収録時期については昨日書いたような理由で基本的には万万歳だったのですが、シローの洗礼名ガラミのネタ「じぇ、じぇ、じぇろにも」については微笑に留めたい(^^;)。この時期アッキーが「その『御子』っていうのはやめてくれないか、まるで俺が俺じゃないみたいだ」の台詞の変わりにじぇーじぇー言ってたせいで寿庵の「あなたであっては困ります」が意味を失っちゃってたんだよなー(^^;)。でも寿庵とお蜜さんが険悪になるところの二人のSHIROHのリアクションをコツコツ追ってくれたのは嬉しかったです>カメラ。

ああまだ書き足りない(^^;)。また追って。

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ゲキ×シネ「SHIROH」

ゲキ×シネ「SHIROH」を観てまいりました。

映像化に際しての工夫はもちろんいろいろあって、映像なりの発見もありましたが、どちらかというと芝居観てるのとほぼ同じモードで観ちゃいました。昨年12月に戻った気分で、感動・疑問・ツッコミ・笑い・共感・反感・幸福感・「ああ、出番ここで終わりだ」という脱力感(爆)…といったものがまざまざと蘇ってくる3時間。さすがに8ヶ月経つと「気合じゃー!キョーコーッ!」というネタは風化したな、とか(^^;)、時の流れに感慨深いものもありましたが。
ホント、思った以上に臨場感があったなあ。席も見やすかったですし、ものすごく音が良かったし。まあやっぱり、贔屓が出てくるシーンでは急に凶悪な気分になって「アングルーッ!!!」とか叫びだす、てとこはありましたが…まあそういうのは誰のファンでもあることで(^^;)。

アップでいろんな人の顔を、しかも一度に見るというのは贅沢な経験ですね。期待してましたがリオの一連の表情と涙、涙。
カットの拾い方で嬉しいのが、マツネタで四郎さんが小さくリアクションしてる(「入れ歯洗ってるよ!」で奥歯のあたりをちょっと触ってたり)ところとか、食糧庫のシーンで甚兵衛さんが隙を見てお蜜を撃つタイミングを計ってるところとか、端々のいい芝居を可能な限り入れてくれてるところ。もちろん、観るツボは人によって違いますから、自分的に「ああここはこっちへ行ってくれ」というのは当然、何箇所かはありましたが…まあ贔屓についちゃキリがないから言わないけど(ッでも「だいじょおーぶー」「きゃー!」のところの前後開脚着地・一瞬で直立ジャンプっつうあの動きだけは残して欲しかったッ!!)、ラスト手前のお福の「戦おう…」と歌う、曲調が変わるところでユラリと振り返る寿庵は観たかったなあ。

あと「世の中には『顔に汗をかく人』と『顔にだけは汗をかかない人』がいるもんだ」としみじみ…特に寿庵とリオは、そもそも汗というものを分泌してないんじゃないかと(^^;)。
いっぽうで登場直後の「遊びじゃないよおばさん!」で既に汗をかいているクラウドゼンザを見て「泉見くんはそーでなくちゃ」と思ってしまったり(笑)。ゼンザは全編、細かいショットがいっぱいちりばめられてていい感じでしたね。口之津のソロパート歌うところの雰囲気すっごい好きだー(コーラスに好きな人の声も混ざってるしな(爆))。

何箇所か、劇場ではなかった音楽や効果音が追加されてたみたいですね。冒頭の寿庵の歩みにバン・バンて音が入ってたり、場面によって伴奏やエコーが強くなってたりするところは場面によって気に入ったりうーむと思ったり、いろいろでした。オランダ船からの砲撃のシーンで悲壮なBGMを思いっきり大きく加えてるのはちょっと違和感。マツが「あんたたちが始めた戦だろ!」って叫ぶあたり、曲調のカッコ良さとのギャップが大好きだったのですけど、意識が逆にそれちゃって。
ところで甚兵衛さんの津屋崎だましの術のところで突然軽くなるピアノBGM、「天の御子よーここにー」のメロディだったんですねえ。今更気づいた(^^;)。

収録は12月中旬くらいでしたっけか。
全体に、ギャグと芝居の基本的な分かれ目がはっきりしてて、映像化に適した時期だったんだなと思いました。いえ、自分は日替わりネタ大大大好きですが、やっぱ残すんなら基本の台詞、「これだから九州の田舎者は嫌なのだ」であって「これだから九州の田舎者は有明海をダメにするのだ!ワっカメっをかっえせっ!」ではなかろうな、と(笑)。…でも四郎様の「やっと新感線らしくなってきたな」がなかったのは惜しかった(笑)。ちょうどこの直後ぐらいだったんでしたっけ。
個々のアドリブにしても伊豆守の大暴走が始まる直前だった(大暴言)せいか、ひとつひとつのネタが目的地にちゃんと収まってる感じで、「残す作品」としての完成度はこの時期、ちょうど良かったのではないかと思いました。

などなど。喜んだ点悲しんだ点(笑)いろいろなゲキ×シネでしたが。
「これだけで映像化の価値アリ、どーもありがとう!」と内心叫んでしまったのがやはりラスト手前の寿庵、倒れる四郎をバックに目をカッと開く表情のアップでした。
以下、リピーターのゴタクですが。

昨年12月に書いた話↓
>>うっすらと目覚めるけど何が起こったかまだわかってなくて、それが、背後の四郎が倒れた瞬間にカッと見開く。ゆっくりと立ち上がって、光の中を四郎たちが去っていくのとシンクロして表情が徐々に壊れていき、最後は何かを叫ぶかのような泣き顔…そして、語り手の山田寿庵に戻る。

ここの寿庵の表情の変化の仕方ってこの後変わってまして、たぶん12月ラストらへんから大阪公演の頃にはこういう感じじゃなくなってたんですね。四郎が倒れた時点ではまだ事態を把握してない感じで、倒れた四郎が立ち上がってシローのほうへ歩いていく、その歩みとリンクした形でだんだんと目を見開いていく…という流れに変わってまして。これはこれでジワジワと何かが迫り来る感じが素敵なんですけど、前の「四郎、倒れる」=「寿庵、目を見開く」というタイミングがバシッと合ってた、その絵がもの凄く好きだったもんで、これだけで今回の映像は「ああッいろいろ逃したネタもあるけれども許す!この時期にしてくれてありがとう!!」て感じでした。

あーでも最後にひとつだけグチを…。
板倉重昌の「一月一日没」のテロップ、最後の「享年50歳」は残そうよ…!!(号泣)

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