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2005年7月の8件の記事

Mozartのツボな人々5

前半楽に寄せて。
今日(29日)は観られませんでしたが、28日ソワレは本当に感動しました。
今宵はなんとなく女性特集。

■久世男爵夫人
大後悔。今更取り返しがつかないけど何でもっとよく観ておかなかったんだろうこの方の「Mozart!Mozart!」…! 後半は贔屓に集中しちゃうので仕方がない(爆)とはいえ、「怒りと悲しみ」の直前のなんともいえない微笑を近くで見て、うわあ、どうしようまだぜんぜんこの人のこと観切れてないよ、とすっごい焦りに取りつかれました28日。
ヴォルフに対する優しさ、厳しさ、ヴォルフが才能に食い尽くされることへの諦観、いろんなものがこもった表情、もっと観ていたかったです。

■高橋ナンネール
28日に目からウロコ落ちたんですが、前からでしょうか、すっごく少女らしくなっていませんか?「赤いコート」の場面も「星から振る金」も、果ては結婚してからに至るまで「ぜんぜん少女から抜け切れない」感じが倍増しててびっくりしてしまいました。

■西田コンスタンツェ
2002年の帝劇で彼女のコンスタンツェを初めて観たとき「おお!」と思ったのが「まともな家庭」でのウェーバー一家との馴染みっぷり。松さんはなんというか「はきだめにツル」(ウェーバー一家にすげえ失礼(^^;))ていう感じで、この家族の中で一人、突然変異のように生まれた孤独で綺麗な女の子、みたいなイメージだったのですが、西田さんの場合すごく「家族の一員」を感じたんですね。このシーンでもプラター公園でもはすっぱ(死語か?)な感じがすごくしっくり来て、そういうところが好きでした初演。
(余談ですが、そんな印象だったせいでヴォルフの「まるで殉教者だ(中略)僕が救い出してあげるよ」のニュアンスが、松コンスタンツェ相手だと「そうか、がんばれよ」と思ってたのが西田コンスタンツェだと「おまえなあ、少し落ち着け」てモードにガラリと変質したのが自分的にはプチ革命でした(笑))。
再演版でも、プラター公園でヴォルフに向かってスカートつまんで見せる初々しさがとても好きでした。さらに今期は二幕ラスト前、「ほかの人とぜんぜん違う…」と寂しげにリプライズするところで本当に胸を突かれる感じで、今年の彼女に会えてよかったなあ、と思いましたです。
2ヶ月間(もっと長い間この役と向かい合ってきたことと思いますが)お疲れ様でした。木村さん、大塚さんのコンスタンツェも楽しみですが、しばらくは西田スタンツェを思い出して寂しいだろうな…。

■伊藤アマデ
伊藤渚ちゃんのアマデでいいなと思うのは、ちょっと今までの感想と矛盾するかも知れませんが感情表現が控えめなところ。もちろん川綱治加来君の表情の豊かさや黒沢ともよちゃんの表情の現れやすさ、それはそれで好きだし別の解釈成り立って面白いんですけども、渚アマデの場合、わりかしアマデの重要な要素だと思う「何考えてるかわからないところ」が存分に味わえるのがよいな、と。
そういう意味では高橋愛子ちゃんにかなり近いかな、というのが最初の印象でしたが、高橋アマデはわりかし「睨みつけ」や細かい仕草にキパキパ感がある(アマデの天才っぽさや厳しさが強く現れる)のに対して、伊藤アマデは基本的にただヴォルフを「見ている」感じで、そうするとまれに感情を露にしたときのインパクトが強くなって、これがすごく面白い。大好きなのは冒頭で音楽の箱を閉じて正面を見る顔。アーモンド型の目がキラリと光るその表情に魅せられました。
その時その時には表に出ないけど、いろんなことを考えてそう。より妖精チックなアマデかな。そういう意味ではむしろ男爵夫人に近いかもな。

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魔笛とウィーン~興行師シカネーダーの時代

amazonで「シカネーダー」で検索するとそれっぽい本が2種類出てくるんですが。
一冊は既にMY携帯辞書と化した「シカネーダー~『魔笛』を書いた興行師~」。
でもう一冊がクルト・ホノルカというオーストリアの音楽批評家が著した「魔笛とウィーン~興行師シカネーダーの時代」で、これがずっと「在庫切れ」。
ずーっと気になってたんですが、このほどネットの古本屋さんで手に入れることができまして。
ちょっと期待しつつ手に取ったらば。
これがまた。

泣くほど面白い。

オペラを専門とする批評家が書いた一代記とあって、「魔笛」の成り立ちへの考察を中心に、19世紀のシカネーダー肯定説・否定説(ホンっとにこの人の生涯って「ここはウィーン」まんまなんだよな)を取りざたしたり、旅芸人時代から劇場監督時代、フライハウス、アン・デア・ウィーン時代…さまざまな時期のさまざまな心躍るエピソードがちりばめられています(^^)。
冒頭からいきなり「旅回りの一座」が深い雪の中で難儀して、親切な牧師さんの家に泊めてもらって(レミかい)28歳の座長シカネーダーが「品のいい冗談」を飛ばしながら牧師さんも交えつつみんなでオペラの合唱やアリアを歌い…なんていう逸話が出てきたりして。
いや、そういう生き生きした話が読みたくて読みたくてしょうがなかったMYツボ直撃って感じで…。
オタクの方はぜひ。いやホントに。

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The Hollow

クリスティーの「ホロー荘の殺人」を再読。
かなり好きな作品なので、ちょくちょくナナメ読み拾い読みはしてたのですが、最初から通して読んだのは20年ぶりくらいかなあ(^^;)。確か中学じぶんに読んで、その時もすごく素敵な作品だと思ったんだけど、今読むとまた当時の何倍も面白いですね。
伏線の細やかさといいトリックのシンプルさといい、推理小説としての完成度も高いと思うのですが、何より普通に、小説として面白い。犯人が分かってても何回も読んじゃえる類の物語です。
そつのない有能な女性であるけれども、内面的には骨の隋まで芸術家…なヘンリエッタ、みんなと一歩ずれた性質のために苦労しているガーダ、上流階級の人びとへの精神的なギャップを抱えた善良なミッジ、そして生きた妖精、ルーシー・アンカテル。このアンカテル夫人、思考が頭の中のあっちへ飛びこっちへ飛び、一般人には計り知れない言動と行動を取っていながら、本人なりにすごく筋は通ってる…という「生身の妖精」なわけですが、このキャラのすばらしさでいろんなことが煙に巻かれてしまい、めっさミステリアスな味を加えてまして。

クリスティーを読んでいると、人の冷たさ、というもののリアルさにドキリとさせられることがあります。生活感のある冷たさ、というのか。「普通の人々」には冷たいのも暖かいのも現実離れしたのもいて、ちょっとした冷たさを抱えていることって、背の高い人と低い人がいるように、ごく当たり前の範囲のことなんだよなあと。
「ホロー荘の殺人」に登場するアンカテル家の人々はどこか冷たい人々です。「冷たい人」というのは別段、意地悪だとか思いやりがない性格の人、とは限らなくて、世の中や他人に対する入れ込みが単に希薄というか、本気で人の身になったり誰かに尽くしきることがないというか…単にそういう風に生まれついた、どこか虚ろな存在(HOLLOW)なだけで、本人もそれは認識してるけど別にどうしようもないじゃない?みたいな…なんか身につまされるんだな(爆)。彼らを「冷たい」と言い切るミッジの精神的な美しさ、自分の冷たさに戦慄しながらも開き直って生きていくヘンリエッタ、別段気にしてないルーシー(いや、絶対こういうところあるわ自分(^^;))、いずれに対しても多かれ少なかれシンパシイを感じてしまう。

最近になって原題が"The Hollow"と知りまして。
物語の舞台である「ホロー荘」の意味のほかに、二重三重の意味があるようですね。作中、ポアロがヘンリエッタにテニスンの詩を引用してみせるところで「いとわしき森の奥なる暗き洞窟(HOLLOW)」というのが出てきます。そして、登場人物に共通する、どことなく現実からかけ離れた「虚ろ(HOLLOW)」さ…このへんを全部含めて"The Hollow"なんだなと感動したものです。ジャンプ読む人はホロウって言葉自体「BLEACH」でよく目にするからイメージしやすいかも。
"ENDLESS NIGHT"を「終わりなき夜に生まれつく」、"ORDEAL BY INNOCENCE"を「無実はさいなむ」と訳すセンス、すげえ秀逸だと思うんですが、"THE HOLLOW"→「ホロー荘の殺人」については標題としてわかりやすくなった分、失ってるものもあるなあと…でも難しいでしょうねタイトルつけるのって。今でこそ横文字のみでも違和感なくタイトルのニュアンスを感じられるものも増えてきましたけど、クリスティーものは日本で売り出された歴史も古いもんな。(にしても「邦題=横文字そのまま」は基本的になまけすぎだと思うぞ…「シャドウ・オブ・ヘゲモン」なんか「いくらなんでも」と思いましたさ…そりゃ別の作家の話(^^;))。

日本でも映画化されましたね。「危険な女たち」というタイトルで子供心にイヤな予感がしたんですが(苦笑)、やはりというか舞台を現代の日本にして、原作の表面的な事象をまとめて2時間サスペンス調にまとめて終わってる感じで、前述の"Hollow"感を取り払った内容とでもいうんでしょうか…ガーダにあたる役を演じた大竹しのぶはすごく良かったんですけど、ルーシーの「年配だけど少女なご主人」ぶりとか貴族階級のエドワードの現実遊離加減とか、時代設定もっと古くしないと(そしてやっぱりイギリスが舞台でないと)無理やなーと。
やっぱこれは無理に設定を日本にもってきたりしないで、思いっきり"Hollow"な内容の内面的な芝居に仕上げちゃったら楽しいだろうなあなんて最近思います。舞台化自体はクリスティー自身の手で行われてるんですよね。

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Mozartのツボな人々4

土日月で感じたところなぞランダムに。

■高橋アマデ
土曜マチネで初めてアッキーとの組合せを観ましたが、またちょっと思わぬコラボレーションという感じで面白かったです。アマデって基本はヴォルフの子供時代でもあるわけだから、愛子ちゃんのなんか高潔な感じとアッキーの野生っぽさだと雰囲気が全然違うし、どうなのかな…と思ってたのですが、この二人だとアマデが「ヴォルフのパートナー」みたいな印象になりますね。潔癖で一途な音楽の精が、普通の男の子であるヴォルフの傍らに降りてきて、仲良くやってたんだけど段々に…というおとぎ話みたいな。
あと愛子ちゃんでめっさ好きなのはウェーバー家でお鍋が吹き飛んだときのリアクションですね。「何やってんだか」という感じでちょっと肩をすくめて首を一瞬カクンと傾げて、とっとと作曲に戻るところ、いい感じでございます。

■徳垣ゾフィ
「一家団らんは羨ましいな」というところでスカート広げてぐるぐる回転してて、ヴォルフ(芳雄くん)が歌いつつハハハと受けていたのがツボでした。

■中川ヴォルフ
未だ解けない謎が。パパじゃないですが「そこで何をやってるんだ」(笑)。オルガンの向こうで女優さんとどっすんばったん(^^;)。
赤いコートの場面のひたむきなはしゃぎっぷりがどんどん細やかになるなあ(^^)。

■井上ヴォルフ
ウェーバー家でアロイジアの歌を聴くところ、スカート上げてちょいと脚を見せる動きに誘い込まれるようにぺたんと床に座り込んじゃうところかわいかった(笑)。…月曜ソワレのウェーバー一家シーン、全体のはっちゃけぶりがすごいツボでした。ウェーバーパパ、歌の後アロイジアにキスしてるのね。

■サリエリKENTAROさん
未だにパンフレットのカツラは懐かしい2002年日生の紫バージョンなんだなあ…と古いことを呟いてみる(^^;)。居酒屋での「猊下に平伏するレオポルト」の演技がじつに秀逸で…そういえば初演のこのシーン、コロレドの従者の制服で飲みに来てる人とかが「実際に見た光景」として演じてる風でしたが、今年は街の人ばっかりになっちゃいましたね。前のほうが繋がりがわかりやすかったと思うんですけども。
今年リニューアルした中でもこの方の「ウィーン」の衣装はすんごいカッコイイですね。否定派カラーのシルバーに黒、いいよなー。

■市民1・小原和彦さん
火吹き男もお気に入り…ですがフランス革命チェイサーはこの方が主役だと思うんだ(^^)。しかしカーテンコールではジャン・ピエールになってるから気がつかなくて、長いこと「あの『支配者よ死ね!』の人はどこにいるんだろう?」と謎に思ってました(^^;)。

■フランツ中山昇さん
「酒・歌・女」の「女」のとこでシカネーダーと二人でニヤニヤするとこが振り・表情ともに何ともいえず下っ品で好きだ(笑)。
フランス革命でもお気に入り(^^)。

■大谷ドクトル・メスマー
冒頭の「神が遣わした天才、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト!」を初日に聴いたときは「うぁーっ!帰ってきたー!!」とめちゃくちゃ盛り上がったことを覚えています。周りが談笑してる間もけっこう一人でアマデを見つめているのですよね。ウィーン肯定派の動きも楽しそうで好きだ。

■ベルヒトルト森田浩平さん
2002年の帝劇大楽での舞台挨拶で、司会の松澤さんに「この人の『ただいま』でナンネールの家庭が上手くいってないのが如実にわかる…リアルですねえ」みたいに突っ込まれてたのが大変印象に残ってます(笑)。最近は、片付いていないのを見てムッとする、とかいろいろ追加された結果あの夫婦の冷めっぷりがますますパワーアップしてまして(^^;)。

■川綱アマデ
ともよちゃんもそうだったけどアマデ役って3回くらい経験するともう別人になる気がします。治加来君自身の進化なのか、彼のアマデにこっちが追いついたのかわかりませんが、とにかく印象がかなり変わってきました。
後半へ向けてのアマデが「変化」していく段階のつけかたがスゴイ。コンスタンツェのこととか、ヴォルフとのひとつひとつのズレで段々と態度や表情が変わっていくことで、アマデとの関係を変質させたのはヴォルフなんだということを強く感じさせます。
「僕がいなけりゃお前もない」で「ヘェ?」というように目を見開いてヴォルフを見下ろして笑うところなんかピークですな…「天才」が活を入れてるんじゃなくてアマデ自身が「僕だ!」とヴォルフに対して勝ち誇る感じで。ホントこの場面ヴォルフ&アマデによって全然変わってきますね。

■久世男爵夫人
なんか最近、すっごい底知れない感じが増したな、と…。冒頭の「それはその子のものよ」という台詞の抑揚の抑えっぷりが大好きです。
香寿さんもですけど「星から降る金」のラストでヴォルフに向かって微笑んで頷く、というところ、視線の先のヴォルフより手前にちょうどアマデがいるので、アマデが男爵夫人を振り向くタイミングによっては、アマデに向かって微笑んだようにも見える…という絵がすごく気に入ってます。この人やシカネーダーはヴォルフが分かってるぶん、アマデが見えてても別段不思議はないと思うんだ。

■高橋ナンネール
最後に箱を開けるシーンの後、以前は「ああ…」と嘆きに入る感じでしたが、最近はヴォルフ(とアマデ?)を見つめてあいまいに微笑んで、そのまま何かが飛び立つのを見守るように視線を宙に泳がせていく…そして遠くを見やって顔を伏せる、という感じになっていて。ちょっと「SHIROH」のラストの寿庵の表情を思い起こしたりしてます。

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センパイ…

私は吉野圭吾さんのファンなんですが(まあブログだし一応前置きを(^^;))この方を初めて観た作品は音楽座の「マドモアゼル・モーツァルト」(以下MM)最終公演、96年の3月のことでした。
「レ・ミゼラブル」とかを何年か置いて観るならともかく、同時期に同じ芝居を2回観るなんてすごく抵抗があった頃(あったんだよちゃんと)。
初めて観たMM、音楽やストーリーや土居裕子さんのエリーザにひっくり返るほど感動して(そのときシカネーダーはWキャストの畠中洋さんで、私が観た回の吉野さんは精霊(ドン・ジョバンニ)の役。一幕ラストの白い細い立ち姿が印象に残ってます)、ニフティのFMUSICALというフォーラムで人の感想を読みまくりまして。その頃、他の作品でもいつも素敵なレビューを書かれるので精神的追っかけをしていた方(笑)がベタ褒めしていたのが「吉野シカネーダー」(いえ、いろんな方に大評判でしたが…今でも友だちに「MMシカネーダー同期」ってけっこういたりする(笑))。
今でも覚えてますけど「畠中さんのシカネーダーを音楽なる天上の世界への導き手とするならば、吉野シカネーダーは地獄からの使者。大衆相手の芸術屋の低俗なムード、暗く妖しい美しさ、『俺に売れお前の魂』でゾクゾクさせられ」…という感じで(すいません、要約したら変になった(^^;))。

で、すっかり興味をそそられて「じゃあその人のシカネーダーを観てみたいなあ」と。
で、観にいった。

で現在に至る…いやホント、あの時のあのレビューがなかったら今の私はないなあ(笑)。

そんな先輩(つうより恩師だな)が「Mozart!」と「マドモアゼル・モーツァルト」のシカネーダーを語ってくださってるので非常に盛り上がっている今宵の私なんだった(用はそれだけでした、すいません、るんせるさん(^^;))。

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朝のズームインで2

「微妙にヤバイ」などの言葉が浸透してきたという話題で、辛坊治郎さんが「『一生懸命』を『一所懸命の誤用』とこだわるのは変な風潮だ」みたいなことを言ってて、こだわってた自分としては「それもそうか…」とちょっと反省(笑)。
しかし、世の中いろんな意味で無視できない誤用ってあるもので…。以下は職場で比較的よく耳にする(うちだけか?)事例ですが。

事例1)「手戻り」のことを「出戻り」という
●手戻り…不具合発生などの理由で、前の工程に戻ってやり直すこと(ちょっと業界用語かも)
●出戻り…離婚して生家に帰ってきた女性のこと(俗語かも)
間違いの例:「焦って先に進めても結局後で出戻りが発生するんだから」

年齢を問わずSEに多いんだ、これが…(^^;)。女からは指摘しづらいよなー(^^;)。

事例2)「ベルサッサ」のことを「ピンポンダッシュ」という
●ベルサッサ…定時退社(ベルが鳴ったらさっさと帰る、の意)
●ピンポンダッシュ…ひとんちの玄関のベルを押して逃げる昔ながらの遊び(いえ悪戯)
間違いの例:「一斉定時退社日だし、たまにはピンポンダッシュするか」

「ベルサッサ自体、今どき使わないだろう」という方、ごもっともでございます(^^;)。
でも今日、一字一句この例文通り言ってた方がいたからさ…。

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Mozartのツボな人々3

「Mozart!」帝劇開始から一週間。熱いステージが続いています。
…改めて日程見てみると最初の休演日まであと10日もあるんだな…(^^;)気候も辛い時期だし劇場は変わるし二回公演多いしキャスト交代も近づいているし、出演者&スタッフの皆様さぞや大変な時期なのではないかと思います。皆様御身大切に。
…そして客席で観るほうは目も耳も贅沢しまくっている今日この頃(爆)。何人かの方について、近ごろの印象をまとめてみました。

■井上ヴォルフ
さらにさらに進化を続けるヴォルフガング。明るくあっても暗くあっても世界からちょっと(かなり?)ずれたクレイジーぶりがたまりません。
芳雄ヴォルフの場合、ザルツブルクにいる時点で既に、実家にいられる段階を過ぎてるように見えます。成長した天才=宇宙人みたいな生き物が、普通の家庭であるモーツァルト家に仮の宿りをしてる…本人もパパもそれに気づいていない、気づこうとしてない…みたいな。アッキーの「まだ子供、家族の一員」感とはすごく対照的…と思うんですけどここの印象は人それぞれかもですね。
2002年の頃苦手だったのに、今年たまらなく好きになってしまった台詞が「猊下、猊下。旅に出るにも許可が要る!」。この台詞、以前は両ヴォルフともちょっと不自然な印象(ていうか台詞自体が不自然(^^;))でしたが、今年の芳雄くんの「あァ猊下猊下。旅に出るにも許可が要る!」のウゼえんだよ系の若造っぽさが好きで好きで(アッキーの傷つき気味の反発もすごく説得力あるし)。あとパパをまねする「息子よ馬車に乗れ、いざ!」もむちゃくちゃ達者で笑ってしまいます。
そして何といっても後半。パパとの決別で弱くなったところへ「誰が誰」でグラリと来て、ウェーバー家が借金しに来るところで畳み掛けるようにダメージ受けて、パパの訃報でとどめ、という心の流れの丁寧さと、「父よあなたと…」の曲でぐちゃぐちゃに混乱していく様はもう観ていて震えが来ます。体を小さく縮めてつぶやくように歌うところから「急げ、急げ次のオペラを」の惑乱まで、もう凄いとしか。
(余談ですが、ヴォルフの内面がだんだん崩れていく過程を追う意味で、どーしても冗長に感じてしまうのがコンスタンツェとの「乾杯ヴォルフガング」だったりします…これカットすればパパとの決別→「誰が誰」→パパの死、でお話もすっきり伝わると思うし、スタンツェとの関係を追う意味でも別にどうしても必要なシーンじゃないと思うし。好きな方ご容赦くださいm(__)m)

■猊下猊下。
人ー気独占ー。
笑ーい独占ー。
…「はいからさんが通る」の節で歌ってみた(通じるかどうか)。
告白しますがトイレ歩き苦手でした。大阪千秋楽、みんなの期待or予想通りもの凄い「歩き」を見せてくれまして、そこでは私は笑えなかったのですけど。用が済んでから衝立から顔を出して「それは許さない」という所で髪がぼーぼーに逆立ってて、満場を鉈でぶった斬るように笑いで満たした時に「負けた」と思いました…もう「役としてどう」とか言いません。猊下はあれでいいんだ。前々からトイレ歩きよりここの方が面白いと思ってたがあの獅子髪バージョンで確立されたわ。…東京ではもう定着したっぽいですね(^^;)。上着を着せて髪を整えてあげるところをみてアルコ伯爵の好感度が跳ね上がったのは私だけじゃありますまい(笑)。…このまま行くと「衝立を倒したらチョッキがまくれている」とか「馬車が再び走り出すときにまた頭をぶつける」とか、さらにエスカレートしたりして…いやいや(^^;)。
10日マチネでは一幕ラストでトラブルがありまして。アルコ伯爵が「猊下はお楽しみお取り込み中」って言うと下手上段奥に腰元(?)たちと戯れるコロレドが…というシーンで、いつもならさーっと開く寝椅子の前の壁がかなり長い間開きませんでした。で、猊下はあの紫のパジャマ(違うか、部屋着)のまま中央の開いた口から飛び出してきて仁王立ちで「何事だ!」と歌ってまして。…場面的に「濡れ場」のはずが完全に「火事場」になってたんですが、この堂々さ加減がなんかすごくカッコ良くてそれなりにしっくりきてて、アルコの「乱入です」のタイミングがずれたな、って思うまで何が起こったのか気付かなかった(^^;)。その後、女たちがガウンを着せかける、というのもその場(中央)でやって無事にもとの動線に戻ったのですけども。

■川綱アマデ
川綱治加来くん、先週末初見でした。
愛する音楽に触れる悦び、みたいなものが全面に出るアマデだなと思いました。音楽の箱を始めて手にしたときや「魔笛」の台本を手にしたとき、曲を書き上げたときの、パーっと広がる笑顔。崇高なものに高揚するっていうより、純粋に音楽が好きだから内から喜びがにじみ出てくるんだなあ、みたいな印象が新鮮です。
このアマデはヴォルフの「才能」だったり「影」であるのと同時に、ヴォルフの「過去」そのものでもあるんだな、という印象を受けました。かつてのヴォルフ、天才だけど等身大の男の子、音楽を愛する男の子。ヴォルフに対する苛立ちとか、時折もらすタメイキとかを見てても、「才能」アマデが「人間」ヴォルフを見下ろす、というより、何よりも音楽を愛している子供が、「なんで他の事なんかに目を向けるんだよ!」って単純に怒ってるようなイメージで。別段、ヴォルフを支配したいわけじゃなくて、ただただ「音楽」に引き戻そう引き戻そうとしてるみたいな。
最期のシーン、これ角度的によく見えなかったので確信持てないんですけど、笑ってはいないですよね。なんか、もっと音楽を作っていたかったけどこれで終わりなんだね…みたいな寂しげな表情に見えて。
またしても目からウロコが落ちまくりのアマデに会えて嬉しさひとしおでございます。
以下は治加来君がらみで蛇足。
・メイクの印象もあるのかも知れないですけど、ピアノを弾く俯いた横顔のノーブルさと、正面から見た顔の子供らしさでかなり印象が違うので最初びっくりしました。で正面顔に限っていうと…きゅっと寄った眉間の感じがアッキーの一途モード入った時の表情にそっくりでベストマッチだなと(笑)。
・9日ソワレ、ヴォルフの首を絞めるところで揉み合う末に赤い上着の袖の折り返し部分が吹っ飛んで落ちてしまいました…がそのまま拾わずにベッドに登ったのナイス判断。その袖は「フランス革命」で人ごみの中誰かが処理しました…二階から観ると舞台の真ん中に丸見え状態だったのに、すごくさりげなく片付いてたこちらもGJ。
・これも9日ソワレ、カーテンコールの最後にヴォルフ&アマデの二人で出てくるところ、アッキーの投げたキスをキャッチして食べちゃったのを見てキミは上川隆也さんか、と(笑)。

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リセット

「Mozart!」帝劇初日を観てまいりました。
井上ヴォルフ&黒沢アマデ。この組合せで観るのは初めてで、すっごい新鮮でした。
いや美しかったさ、ともよアマデ…。初見の友だちにも大評判でした。

演出、客席、メンバー、いろんな意味で原点に戻ったな、という雰囲気の初日でございました。大阪後半の、なんとなく決まってきていた定番な流れが一旦リセットされて、新たなスタートを切ったというか。
久しぶりの久世男爵夫人、なんだかとても小柄に感じました。ウィーンでのツィンツェンドルフ伯(武内耕さん)とのせめぎあいがキュートだ(^^)。

■初心に返った話
細かいですが「ちょっぴり」の「ブルータスお前もか!」のところが、井上ヴォルフだと「ブルータス!」のタイミングでステッキでシカネーダーを刺した後自分も刺さっちゃって「お前もか!」というのが大阪では定番になってましたが、ここの動きが元通りに。アッキーのほう(ちょいと危険な場所を刺してしまってシカネーダーが「エッチ!」とか返す(笑))もたぶん一旦戻るのかな。いずれも大好きでしたけど、新しく育ち始めると思うとまたワクワクします(^^)。

■新しいなと思った話
こないだ書いたばっかしの「恋に夢中で楽譜を放り出すヴォルフと、それを受け止めるor拾い集めるアマデ」の動き。ばさーっとバラバラになるほど大雑把に放ってて、アマデが慌てて拾い集めて立ったまま抱きしめる…という動きになってて。偶然かな。こういうプランに変わったのかな。らしくていいなあ…と思いました。

■もう戻れない話
ヴォルフのカツラ(爆)。「TopStage」などの舞台写真を観てしみじみ「髪型、変わっちゃったなあ…」と遠い目になってます。いや、今のも大好きです。ただ大阪初日のあの前髪バサバサの焦げ茶ドレッドのワイルドさもたまらなく好きだったので(芳雄くんが、てとこがいいのだ)、まだ一ヶ月しか経ってないのに遙けくも来つるものかな髪型…と妙な寂寥感に浸ってみたり。

■どうしたいのか微妙な話
結局「ヴォルフガング」のアクセントはどちらに落ち着いたのだろう…(^^;)。今年バージョンで「ヴォ」で一貫してる人と「ガ」に完全に戻ってる人と両方使う人と入り乱れて…ええ細かいですけども実にこれ落ち着かなくて(^^;)。
細かいついでに趣味に走らせていただくと、この改革の結果「友だち甲斐」で「うぉーいヴォルフガングーいるのかー」って入ってくる酔っ払いのイントネーションがもの凄いことになっててすっごい楽しい(「ヴォルフー」って言いながら途中で「フルネームで呼んでみるか」と思い直したような、とって付けたような「ガングー」…しかも語尾上げ(笑)。ホンット酔っ払い巧いなこの人(^^;)。

■初心に返った話2
客席の雰囲気は普通の「初日」モードで、さすがにいきなり手拍子が上がる…ということはありませんでしたがそれでいいと思う(笑)。大阪ラストの客席の熱気が懐かしくないといえば嘘になりますが、リピーターにしか通じないような「お約束」が出来てしまうのも楽しくないし。客席もほぼ新しいメンバーになってるわけで、全体のノリみたいなものもこれから形成されて行くのでしょう。大阪後半の休日みたいに「ちょっぴり」や「並の男じゃない」で手拍子全開!になる日が来るかも知れないし、また違った形で盛り上がるのかもしれないし、それでいいんじゃないかと思います。
ちょっと嬉しかったのはカーテンコールで、最初のアンサンブルの人たちにも手拍子を崩して拍手をしてあげてる人が多かったこと。大阪ではなんとなくずっと手拍子で、シカネーダーで手拍子が拍手に変わる…(それ自体はすごく嬉しいけど)という流れだったのですけど、これはこれでいい変化なんじゃないかなと思ったこともあり。

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