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2005年2月の7件の記事

シカネーダーの登場場面

★★★日本および外国の「Mozart!」、ついでに音楽座「マドモアゼル・モーツァルト」のネタバレ含みます。今年の「Mozart!」を先入観なしに楽しみたい方はご注意を!!!★★★

各論2回目にしてすっかり個人的シュミに(^^;)。

エマニュエル・シカネーダーのテーマ曲である「ちょっぴり・おつむに・ちょっぴり・ハートに」(「チョッピリ」というカタカナ表記に未だになじめず(^^;))は、ウィーン版や日本版では「残酷な人生」と「星から降る金」の間にあります。ヴォルフガングが母親を亡くした後ザルツブルグに帰ってきて、酒場で胡散臭く登場するシカネーダーと出会う…という順番なわけで。

ハンガリー版では母親の死のシーンからいきなり「影から逃れて」(一幕ラストの「自分の影から逃れられるのか…」という曲)を歌っていて、その後はザルツの人々の噂話みたいな歌が入ります。ヴォルフが出るのはその後「星から降る金」になってから。「あれ、シカネーダー出ないの?」と思っているうちにプラター公園もシカ抜きで進んでしまい。あれよあれよと一幕が終わって(いえ、長いんですけど)、二幕あたまのヴォルフのコンサートで、ピアノ弾くヴォルフに馴れ馴れしく寄ってきて「はじめまして僕はエマニュエルシカネーダー」。日本と共通してるのは「うさんくさい」てとこだけでした(笑)。
かつてハンブルク版ではシカネーダーの出番が大幅にカットになって「ちょっぴり」の曲はなかった、という話を聞いていたので、この時点で「あ、ハンガリーでもそうなんだ…」と一旦あきらめました。

とはいえ、出て以降はけっこう目立ってて、「ここはウィーン」の間はヴァルトシュテッテン男爵夫人をずっとエスコートしてモーツァルト肯定派をリードする動きしてたり、ヴォルフのところへ悪友どもが押しかける「友達甲斐」でも日本同様、出てきますし(シカネーダーの出番て小池版で増えたと聞き、ここかプラター公園かどっちかかなとアタリをつけてるのですが、間違ってたらすみません)。

で、レオポルトの死、コロレドとの決別(前項の「az egyszeru ut」)、レクイエムの依頼…と、お話がヴォルフの最期に向かって急降下していくところで急に軽~いBGMがかかり、女の子引き連れたシカネーダーがちゃらちゃらと登場、「魔笛」の上演をもちかけ…「ちょっぴり・おつむに」を派手派手に歌い上げたりして(^^;)。イントロ聞いた瞬間「…今からかよ!」と叫んでしまった(笑)。
(ちなみにフランス革命のシーンはレクイエムの依頼の前に終わってまして、ここもシカネーダー出ず、「魔笛」の依頼もまだです。ウィーンとも日本とも違いますね)

この「魔笛」への持っていき方とシカネーダーの出方。精神的にいろいろあって、消沈しているモーツァルトにいきなり「こっちへ来いよ!新しいオペラを作ろう!」とか畳み掛けて一見、救い上げる(自分の目的のために、神の子モーツァルトを「俗」に突き落とす)座長、ってまさに、自分が転がり落ちるように吉野ファンになった「マドモアゼル・モーツァルト」じゃないかと連想してかなり高揚してしまいました(笑)。こっちのシカネーダーも「俺に売れお前の魂」って言ってくんないかなあとかついつい妄想入ったり(笑)。
曲を歌いながら「亡霊と悲劇の王子…」のあたりではなんと、今まで誰も触っちゃいけなかった音叉(日本で言えば音楽の箱)をアマデから取り上げて、取り返そうとするヴォルフとアマデをあしらっちゃう。初演の日本版観ながらかねがね「アマデとシカネーダーの利害関係って一致してるよなあ…意外と共闘してるともとれるし」と考察して楽しんでた自分としてはワクワクしてしまいました。
そして「さあ、何でも用意してやるぞ!」とばかりにシカネーダーが指し示した後方から、妖艶な女性の方が乗った大きなピアノが登場(この辺でもあれだ、「仕事も金も女もみんな自由さっ!」っていう別のシカネーダーの歌詞を連想(笑))。ヴォルフがフラフラっときたところで怒り心頭のコンスタンツェが登場、「お楽しみね!」と怒鳴りつけます。ここのヴォルフ、日本版では一所懸命弁解しますが、こちらではもうスタンツェのことなんか見向きもしないでアマデと一緒に曲づくりに没頭しちゃいます。
でもだんだん、調子悪そうになっていくヴォルフにちょっとシカネーダーが気を使うシーンに変わって、「ちょっぴり、おつむに…」のリフレインして退場。日本ではコンスタンツェの啖呵との前後が逆ですね。

単なるシカネーダー好きの自分からすると、「これ導入して欲しいなあ…」と思ったのはなんといっても「音叉をアマデから取っちゃうシカネーダー」でした(笑)。日本の「ちょっぴり」はアマデ出てないし、設定的にもまずムリかもですが、夢、夢。

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Az egyszeru ut

★★★日本および外国の「Mozart!」のネタバレ含みます。今年の「Mozart!」を先入観なしに楽しみたい方はご注意を!!!★★★

ハンガリー版のCDにも収録されている「Az egyszeru ut」。えーと、uの上にそれぞれ2個と1個の点々がつきます…すみません記号の呼び方すらわからない(^^;)。
ハンガリー版ミュージカルを観た日本の「Mozart!」好きが一様に「何ィ?!」と思ったのではないかしら、というのがこの新曲。お芝居も終盤にさしかかって、ナンネールがレオポルトの死を伝えた後、フランス革命の直前くらいに入ってくる曲です。知る限りハンガリー版で初めて登場した曲であり、場面だと思うのですが、コロレドとヴォルフの大迫力のデュエットなんですね。
英語字幕のナナメ読みからの自分解釈と、詳しい方に伺った話を総合しますと、ヴォルフのところへいきなりやってきた(アルコが最初一緒ですが、猊下を残して退場しちゃう)コロレドが「もう一度私のためだけに曲を作ってくれ!」と説得(懇願)するのをヴォルフが拒絶する、えーと観たままの印象をいうと「帰って来ーい!」「いまさら何言ってんのよ!」みたいな…(^^;)。

タイトルの意味は直訳すると「ありのままの道」でしょうか(egyszeru は「ありのまま」「複雑でない素直な」で、utは「行きかた」「旅」「進路」…英語ならたとえば"The unvarnished road"とか)。でも「Az egyszeru ut」の後に歌詞上の決め台詞「az naivitas!」(naivitasは「純粋さ」)があって、内容的にはこれをあわせたニュアンスで訳すのが正確そう。以前からお邪魔しているサイトさんのハンガリー版CDについての記述を読み返すと「偽らざる道」とあってなるほどなあと思いました。

コロレドが「私のために、私のためだけに音楽をつくるそれがお前の『ありのままの(あるべき?)道』」と迫ればヴォルフが「僕の音楽は僕の中からあふれ出るだけそれが『ありのままの道』」と返す。必死でつかみかかるコロレドとあくまで拒絶するヴォルフ、二人が揉めているのは例の「コンタクトレンズ型円盤」の上なんだけど、曲が進むうちにこれが二人を乗せたまま上がっていくんですね。最後に二人で「ありのままの道は…純粋でいること」と歌いきり、ヴォルフに振り切られたコロレドは円盤から転がり落ちるという…情け無用のハンガリー。

2005年「Mozart!」で演出改変があるとすればですが、何より「この曲がぜひ入りますように」というのが希望でございます(^^)。
ここ一年、CDで聞きまくりましたが、これを日本語のニュアンスで感じ取ってみたい!という気持ちはつのるばかり。しかしあの立ち回りを祐一郎さん&芳雄くんorアッキーでそのまま再現したらどうなるか…と想像したら全然違う「絵」が浮かびました(^^;)。なんにしても、コロレドとヴォルフ両者の雰囲気によってかなり違う印象になる場面だと思いますので、ほんと誰で想像してもワクワクします。とりあえず日本で「吊り円盤」と「落下」はたぶんありえないと思うのですけども、せっかくの愁嘆場(爆)なんだからぜひ日本なりの名場面にしていただきたい。…ってまずはこの曲があるかどうかもわからないのですけれども。まずは「夢その1」でした。

■追記:すみません、何点かミスを修正しました(2/22)

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あぶすとらくと

★★★日本および外国の「Mozart!」のネタバレ含みます。今年の「Mozart!」をまっさらに観たい、という方はご注意を!!!★★★

ハンガリー版モーツァルトは現地語(マジャール語)で上演されていますから、言葉はいっそすがすがしいくらいわかりません(^^;)。
舞台の天井近くに英語字幕が出ますが、ちんたら読んでると舞台が見れません(^^;)。
そんなわけで解釈はあくまで日本語歌詞の記憶と、ナナメ読みレベルの字幕解釈に基づいておりますので、もしかして誤りや解釈ミスがありましたらご容赦くださいm(__)m。
まずは日本と違う点の要約なぞ。

■舞台
舞台中央には浅いお皿を伏せたような形の、直径3Mくらいの円盤(先日、友達がこれのことを「コンタクトレンズ」とのたまった。まさに!)。場面によって墳墓に見立てられたり、ワイヤーで吊り上げられたりします(役者が乗ったまま上がることも…)。また、その下にちょうど同じサイズくらいの盆があって、回転することもあれば、せり上がってきて柱に支えられた屋根のようになることもあります(その下に現れる部屋が…ウェーバー姉妹の寝室だったりコロレド猊下のお風呂だったり、ちょいと覗き系が多い気がするのは気のせいかしら?(笑))。
場面によっては脇から、歩道橋を真ん中で二つに割った橋みたいなものが出てきて、片側だけ突き出てたり、中央で二つ合わさったりします。
さらに中央、客席側にぐっと入り込んだ銀橋風の場所に、もう一つ狭いセリみたいなものがあって、この上にヴォルフが乗って上にググーっと上がって「僕こそミュージーィーック!!」とか歌い上げたりする。…すごくカッコいいんですけど、これといい円盤といい全編通して感じたのが「…危ないなあ(^^;)」でした(^^;)。
アン・デア・ウィーン劇場の升状にガタガタ上下できる舞台、エリザの「悪夢」で役者さんがズルズル落ちていくV字型傾斜とかもスゴイですが、ここは造りが単純なのである意味、余計怖い…。そしてまたよく円盤から舞台とか、舞台から奈落とか落ちるんだ、役者さんが普通に、演出で…(^^;)。そんな話もおいおいに。

■場面
ハンガリー版の嬉しい点は盛りだくさんなところ、難点はちょっとばかり詰め込みすぎなところ(^^;)。場面数だけ考えると日本の1.3倍くらいにはなっていたんじゃないかと…大袈裟か…いややっぱり多かった。オリジナル+各国のいろんな要素+ハンガリー独自演出、ふくらんでるけどカットはなし、という感じでしょうか。もともとあまり短い作品ではないので、ブダペスト着いたばかりの時差頭にはなかなかの耐久レースでした…が本当に面白かった。

ウィーン版は観てないのでなんとも言えない部分もあるのですが、単純に2002年の日本版と比較すると、
・場面が増えている。ヴォルフと母親がザルツブルクから旅立つシーン、その後パリを訪れるシーン、コロレドとヴォルフの決別のシーン(「神よなぜ…」より後にヴォルフに会いに来ちゃうのだ)等。
・ヴォルフの母親が何場面か登場する。歌なし台詞あり(旅立つシーンほか)
・「影から逃れて」は一幕の中盤とラスト、2回登場。二幕ラストの曲は「Mozart!Mozart!」。それ以外も曲の順番があちこち違う。
・アマデが持っているのは「音叉」で、日本で持っている「羽ペン」や「箱」は出てこない。(これはオリジナル踏襲かな?)
などなど、いろんな点が違っています。

これより、ツボにきた場面をまたランダムに挙げつつ、日本版に夢を馳せてゆきたいと思います。6月までの精神的ひまつぶしに、よかったらたまに覗きにいらしてください(^^)/

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Mozart!へ…

2002年の秋から冬にかけて通い倒したミュージカル「Mozart!」が今年、再演となります。大阪で幕を開け、東京・名古屋を経て博多まで、4都市にわたっての公演…………東京のオタクには最も金のかかるラインナップではございますが(^^;)、観れば観るほど観たくなるこの作品、再演版も楽しく追っかけていけたらと思ってます。

昨年の春に一度だけ、ハンガリー版の「Mozart!」を観てきました。キャストも内容も曲順も、日本版とはいろんな違いがあってすごく面白かったです。
あまり詳しくはないのですが、おそらくハンガリー版「Mozart!」て「エリザベート」同様、ウィーン→その他の国(日本含む)と上演されてきた作品をベースに新たに作り上げたもので、オリジナルに各国のいろんな要素を加え、さらにハンガリー独自の演出も加えた構成になっているみたいだなと。「Mozart!」についてはウィーンやハンブルク版を実際に観ていないので正確なことは言えないのですが、場面や曲数がとんでもなく増えていて曲の順番が全く日本版と違っていますし、例えばシカネーダーの出番ひとつとっても(いきなり私情(笑))、「あ、出番的にはウィーンオリジナルに日本版の演出も入ってるのかな」とかいろんなチェックポイントがありましたし。で「…こんなに自由度があるもんなんだ…」という感動と戦慄を覚えたわけで(笑)。
2005年の『Mozart!』がどんな変化を遂げているか、ハンガリー版をヒントにしばらくの間、妄想語りしてみたいなと思う次第であります(笑)。…実際はエリザ再演同様、フタを開けて「そう来たかー!」と叫ぶことになるのでしょうけれども。ワクワクするなあ。

まずはいちおう、2005年「Mozart!」の基本データなぞ。

モーツァルト!
-Mozart!-

製作/東宝
演出:小池修一郎
オリジナル版脚本・作詞:ミヒャエル・クンツェ
オリジナル版音楽:シルベスター・リーバイ

キャスト
ヴォルフガング・モーツァルト(ダブルキャスト):井上芳雄/中川晃教
レオポルト・モーツァルト:市村正親
コロレド大司教:山口祐一郎
コンスタンツェ:西田ひかる(7/4-29)/木村佳乃(7/30-8/26)
フォン・ヴァルトシュテッテン男爵夫人:久世星佳(7/4-29)/香寿たつき(7/30-8/26)
ナンネール:高橋由美子
セシリア・ウェーバー:阿知波悟美
カール・ヨゼフ・アルコ伯爵:花王おさむ
エマヌエル・シカネーダー:吉野圭吾

大阪・梅田芸術劇場メインホール
2005年6月4日~26日
東京・帝劇
2005年7月4日~8月26日
名古屋・中日劇場
2005年10月4日~30日
福岡・博多座
2005年11月4日~30日

池田紳一
大谷美智浩
小原和彦
KENTARO
篠原功生
島田邦人
砂川直人
武内 耕
谷口浩久
中山 昇
縄田 晋
野沢 聡
松澤重雄
森田浩平

秋園美緒
池谷京子
石田佳名子
今宮多力香
河合篤子
北林優香
高橋真記子
健畠慶子
徳垣友子
長谷川美穂
Belle
やまぐちあきこ

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朝のズームインで

スポーツ用品の会社からサッカー選手の人たちに「キャプテン翼」の漫画のコマがプリントされたデザインのスニーカーをプレゼントした…という話を聞いたせいで、昨日は一日キャプつば(ああ古いよ古いとも、でもこの呼び方が染み付いてるのだ世代的に)のオープニングが頭を回ってました。いやホント、シュールな歌詞でした蝶々サンバ…今はこの謎の歌詞も「チャンバとは何か」ってネットで引けば解析できる時代になりましたけども、当時は誰に聞いても答えてもらえなくて、途方に暮れていたものです(笑)。
スニーカーには「森崎くん、ボールは友達、怖くないよ!」のコマがきざまれてたみたいだけど、かの巣田祐里子さんのパロディでヘフナーが「甘いな…キーパーなら『ゴールは友達!』」っつってゴールに手足が生えて立ち上がる絵をまざまざと思い出してしまいました(笑)。懐かしいなあ…。

いきおいづいてエンディングの「冬のライオン」まで歌ってしまった…。ほとんど見てなかったのになあ…覚えてるもんだなあ…こっちの歌詞もシュールだよなあ…。

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ドラクエ

(★警告★ドラゴンクエスト8のネタバレ含みます!!!)

ちまちまと(私の基準では)進めていたDQ8がついに終了。エンディングはひととおり見ていたのですが、いろいろなやりのこしを片付けていってたところ、LV51でだいたい気が済むところまでこぎつけました(笑)。

………面白かった………。

もともと自分では「ドラクエでありさえすればそれを愛す」人間だと思っていたのですが、もう8ではドラクエ的な伝統愛(なんじゃそりゃ)加減と、ストーリーやキャラクターへののめり込み加減が相乗効果で膨れ上がって、どうしようかと思うくらいはまってしまってました(「SHIROH」「冬薔薇」と並行なあたり、まったく精神的に遊びすぎました、この冬は…(^^;))。なんでLV51でやめたかというと単に「どうしても最初から追いかけなおしたくなったから」であって(爆)、主人公を槍スキルで育ててみたいとか錬金をもう少し計画的に進めたいとか七賢者の伏線をたどり直したいとか、あらためてサヴェッラでククールの「せんせー俺病欠」発言を見直したいとか(笑)そんなこんなで9が出るまで遊び続けるかも知れません(おおげさ)。

ファミコン版のころから常々「こういうところがいいなあ」と思っていたのが、いくつになってもドラクエの主人公が決してしゃべらないことで。主人公は「あなた」だから「あなた」が感じたことが主人公の感情なんだと。だけど世のRPGがどんどん映画的(ストーリー強制)になってくると、主人公がしゃべらないとかえって不自然かも、と「クロノトリガー」なんかで思ったりもしたので、8みたくグラフィックもしっかりしてくるともう、その線は難しいのかなあ…と危惧しておりました。が、フタあけたらびっくり、主人公はやっぱりしゃべらない、でもそこへヤンガス、ゼシカ、ククールそしてトロデ王様がガンガンつっこんでくることで、そのことがこっちの想像力をめちゃくちゃかき立ててくれて、自分の中の主人公がみるみる出来上がっていく。

…いやホントに、はまりました。
べつのとこで既に書いたんですが、バトルロードのチーム名を「シカネーダーいちざ」にしたらとっても弱かった…いや名前のせいじゃなくて私の組み合わせが下手だったんですが。
2チーム目は編成の結果「ヘビーメタルエナジー・しげまさゴーゴー!」になってそこそこ強かったです。名前的にはこっちのほうがすぐ負けそうなのになあ(笑)。

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クリスティーのこと

「Winter Rose」という公演に通っていてご無沙汰しておりました。ああ短かった…楽しかった…「SHIROH」千秋楽のしげちゃんの伊豆守アドリブ回避に「そんなチキンハートで1月30日・ドラマシティの幕が開くのかー!」と叫んでいた十兵衛様は見守っていてくれたかしら(笑)。…博品館に上川さんからお花が届いていて嬉しかった。かっちゃんも観にいらしていたらしい。…しげちゃんきっかけで観に来たお客さんも楽しめてればいいなあ。

さてさて。今日は本の話題なぞ。

ここしばらく、未読/再読併せてアガサ・クリスティーを続けて読んでいます。
新訳版の綺麗な装丁のものがズラリと並んでいると、既読の本でもついつい興味が出て買ってしまう。字がおっきいなあ、それにしても…。

最近読んだ、または読み返したものは「秘密機関」から続く一連の「トミーとタペンス」ものだったのですが、未読だった「親指のうずき」でいたく感動…いやこれ、傑作だと思います。とにかく出てくるキャラ・出てくるキャラ、面白すぎ。キーになる台詞「あれはあなたのお子さんでしたの?」から始まって、謎が謎を呼びつつも段々に糸が繋がって…という過程の不気味さ加減が、現実GoGoのタペンス視点から見えていくおかげでより臨場感が増すというか。あらゆる伏線がラスト近くでガン・ガンと片付いてしまって、読み終わった瞬間「うわ、もう終わり?!」て感じでしたけども(そこは不満なわけね(^^;))。

もともと母が大のクリスティー好きで(祖母もだ)、その影響で子供の頃から手に入るもの片っ端から読んでいた記憶があります。最初は小学生向け推理小説シリーズに入っていた「ABC怪事件」(ハヤカワや創元推理ですと「ABC殺人事件」…今思うと、挿絵のポワロが男前すぎて大層笑える)と「冒険家クラブ」(同じく「秘密機関」…また挿絵が実に外人外人してて、黒髪のはずのタペンス金髪だ(^^;))。もう夢中になって読んだものです。
図書館の大人の本を借りられる年になってからは、それこそ初期も中期も気にせずずんずん読んでいったのですが、最近になって発表順にものを読んでみることに楽しみを見出しております。初期のポワロもののヘイスティングスの若々しさに卒倒しそうになったり、同じくミス・マープルものの準レギュラー(甥っ子とか、刑事さんとか)の登場の仕方を追ってトリビア探ししてみたり。特にマープルものはその生活感というか、詮索好きを上品さにくるんで開き直る(下世話さは重々承知で好奇心剥き出しで、でも良心も常識もあって、やさしい)話法に共感を覚えるせいか、結末がわかってても、何度読んでも面白いなあと。「一冊読んでみようかな」という方は「パディントン発4時50分」か「ポケットにライ麦を」なんかいいんじゃないでしょうか(ミステリー全然詳しくない人間の私見です。異論のある方、スイマセン(^^;))

また物語の印象が学生のころとは全然変わってて。
十代の頃は「NかMか」や「茶色の服の男」みたいな、たったか進むスパイスリラーが大好きだったのですが、今だと「ホロー荘の殺人」とか「死が最後にやってくる」(ぎゃー好きだー)とかそういう、日常の裏で実は異様だった状況を暴きだすような「生活感のある謎解き」とか、普通の人々の中で自然に起きてしまった悲劇(現象はドロドロなのに、妙に爽やか)みたいなものにスリルを感じます。あと、ミステリとはちょっと違いますが「春にして君を離れ」なんか…こんなおっかない小説は初めてだと思いました。人はどういう風にして自覚のないばけものになっちゃうんだろう…自分も多かれ少なかれ、実はこうなんだろうか…みたいなドツボに人を突き落とす作品。でありながらとんでもなく面白いんですけど。
そして、今も昔もなぜかずっと好きなのが「終りなき夜に生まれつく」…流れていく物語の絵的・精神的な美しさ幸福さ、そして上皮を剥がした下の暗黒(まさしくEndress Night)に文字通りゾクゾクさせられます。

たぶん60代、70代になってから読んだら別の楽しみがあるだろうなあ。(母が言うには「その頃には犯人もトリックも、読んだこと自体もすっかり忘れてるから、完全に初読モードで読めるよ」とのことだ(^^;)…そういえばおばあちゃんちの本棚には「ホロー荘の殺人」だけで3冊入ってたよ(^^;))。

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